case1:「花火」
「ちょっと! いつまでこんな所にいなきゃいけないの!?」
アキコが言った。相当イライラしているみたいだ。
それも仕方のないことかもしれない。こんな状況ではストレスも溜まるだろう。
「そうカリカリしなさんなって。明日まで待って、明るくなってからここを出よう。
夜の山道は危険だ。」
ハルオが言った。
「そんなこと言ったってまだ夕方じゃない。急げば大丈夫でしょ!」
「何言ってるんだよ。道に迷ってる時に偶然ここを見つけたんだろ。
また迷ってすぐに夜になるに決まってる」
「山小屋があるんなら道もすぐ見つかるはずよ!
こんないつ崩れるとも分からない小屋にいるより全然助かりそうなもんよ!」
ハルオとアキコがいつまでも口論しているのに嫌気がさしてか、フユキは一層疲れがたまっていった。
ナツミは気にしていないのか、無邪気な笑顔のままでごろごろ転がっていた。フユキはそれを見て余計に精神的な疲れがたまっていった。
「じゃ〜ぁ〜、こうしようよ」
ナツミが口論に割って入った。
「コインの表裏で決めるの。よくあるやつよ。
表なら道を探す。裏なら一日ここに泊まる。これなら公平でしょ?」
フユキがあきれたように言った。
「お前ほんまに楽天家やなぁ。生きるか死ぬかの瀬戸際みたいなもんやぞ?
そんな状況でコイントスなんてしてもし間違った決断してもーたら意味あれへんやろ」
ナツミは床を転がりながら言った。
「だぁってどっちが正しいかわかんないからこういう賭けをするんじゃぁん。
何もしないでいるんならそっちの方がましだよぅ」
「一理あるけどな。もうちょい自分で考えてからそういう結論に辿りつけや。
俺としては一晩ここにいた方が安全やと思うけどな。
そう簡単に潰れるわけあらへん」
ナツミが壁を見て言った。
「あ、ヒビ」
「お前はまたいらんことを……」
こちらでも口論が始まってしまった。
そんな様子を知ってか知らずかいつの間にかハルオとアキコの口論は終わっていた。
「ばかばかしいこと言ってないでさっさとこの山を降りましょうよ!
日が沈んじゃうじゃない!」
アキコはどうあってもすぐに山を降りたいようだ。
「そんなこと言ってる間にさぁ、もう沈んじゃってるんじゃない?」
「え?」
アキコが間抜けた声を出した。
外を見てみると空の色はほとんど黒に近い藍色になっている。
月も出ていない。
「ああ〜! もう夜になっちゃったじゃない!! あんたらがちんたらしてるからこんなことになったのよ!
今日は見たいテレビあったのに〜!」
「録画してないのー?」
「ナツミ、お前そこはツッコむ所ちゃうぞ。
っつかアキコ、お前そんな理由であれだけ降りたがってたんちゃうよな」
フユキが尋ねる。
「何よ! それじゃいけないって言うの!?」
「あかんとは言わんけどもうちょい自分の安全も考えた方がええんちゃうか……」
「こんな小さな山で危険な事なんて何も無いわよ! だからさっさと降りようって言ったのに〜!」
「……!! 山を舐めるんじゃない!!」
ハルオが突然叫んだ。
「あ、ヒビがまた出来た。ハルオくんはほんと山の話になると熱くなるねぇ〜。
普段とは別人みたい。クラスではフユ兄達以外の皆は知らないんだっけ」
「多分な。こうなってまうと手ェつけられへん。全く、近頃の奴らはすぐこれや。
自分の好きなことをちょっとけなされただけですぐ熱ゥなって……」
「フユ兄はオヤジ臭すぎぃ〜。まだ18でしょ〜。ここにいる全員と同い年じゃぁん」
「お前は15やろ。お前かて年の割りに子どもみたいやんけ。ええねん、俺は色々悟ってるから」
「そういう発言ってさ、説得力ないよねぇ〜」
「やかましわ」
「あ、ハルオくんの説教終わったみたい」
「長かったな」
二人はハルオがアキコに山の恐ろしさを長々と説教しているのをなんとはなしに見ていた。
「……わかったか!?」
「わかったわよ〜。うざったいわねぇ〜。あ〜も〜早く帰りたい」
「まあまあ、もうすっかり日も暮れちゃったし、今日は我慢しようよぉ〜」
「四六時中楽観のーみそのあんたに言われてもねぇ」
「それじゃぁハルオくんにもうひと説教してもらう?」
「……遠慮しとくわ。しょうがない、今日は我慢するわ。私だって命は惜しいからね」
「そうそう、今もしものことがあったらテレビなんか見れへんぞ。
一晩の我慢で十年テレビが見れるんやからなあ」
フユキは遠くを見ながら言った。
「フユ兄やっぱりオヤジ臭い〜。ぁはははははは」
「はぁ……。あんたの笑い声聞いてると力抜けるわねぇ」
「ぁはははははははは」
「そーだぁ、皆で花火でもしない?」
「え……、お前まさか……」
「じゃ〜ん。もちろん持ってきてるよ〜ん。こーゆうときはさ〜、楽しくやってる方が時間があっという間に過ぎちゃうよ〜」
「まあ、な。それもそやな。それにしてもナツミは花火が好きやなぁ。
飽きへんか?」
「ぜ〜んぜぇ〜ん。だって綺麗じゃ〜ん」
「いや、綺麗は綺麗やけどよ……」
「でしょ〜」
ハルオは説明を諦めた。先の説教のことが嘘のように落ち着いている。
「他にやる事もないし、いいんじゃないの? それで時間が早く過ぎれば何でもいいわ」
アキコはナツミの案に賛成した。
結局、四人で花火をすることになった。
線香花火やロケット花火など、色々あった。
「山火事が怖いからでかいのはやめとこうな。って言うかよくそんなにリュックに入ったな。」
もっともな意見だ。
「このリュック花火しか入ってないんだよ〜」
「え、水筒とかそういうの一切なし?」
「だぁってこんなことになるなんて思わなかったも〜ん」
「それでもあまりに無防備だろ。まったく、何処まで楽天家なんだよ」
「まぁまぁ、いいから花火早くしようよ〜」
「わかったわかった」
最初の花火に火が灯された。
「ぁはははは、きれいだ〜」
「こんな状況も忘れられるわねー」
「火事にはならないように気をつけろよ。本当に死ぬぞ」
「見て見て〜。8の字〜」
「絶対やるなぁ、それ」
色とりどりの火が四人のいる場所だけを不可思議な光で染めていく。
緑……赤……黄……白……。
「あ〜、もうなくなっちゃった〜。あとは線香花火だけだね〜」
線香花火に火が灯された。
さっきまでとは違って静かな光が辺りを包んでいた。
「……なんでこんなことになったのかしら」
アキコがぽつりとつぶやいた。アキコの線香花火の火が落ちた。
事の始まりはハルオの誘いだった。
受験勉強の息抜きに仲間内で自然散策でもしようという話になったのだった。
それを何処から嗅ぎ付けたのか、フユキの家の近くに住んでいたナツミも行くと言い出した。
別に断る理由もないのでフユキはそれを許可した。
ハルオとアキコに紹介すると初めは大層可愛がられた。
時間が経つにつれ、ナツミは皆と馴染んで、最終的にはタメ口で話し合うほどになった。
フユキもこの親しみやすさにやられたクチである。
大阪から越してきて三日後には妹同然になっていた。
実際ナツミには友人が多かった。
ナツミ自身はそのことを別段自慢する事もなかった。
ともかく、この四人で近所の小さな山に遊びに行ったのだった。
しかし、ナツミが妙な道に入り込んだのがいけなかった。
向こうに誰かいるなどと言って草むらに入って行ってしまったのだった。
ナツミの発言に興味を引かれて三人も一緒に入ってしまったのも悔やまれる所である。
結果として、四人は道に迷うことになってしまった。
昼だったのがだんだん薄暗くなってきて、全員の疲労もピークに達しようとしていた時に、
偶然にも一軒の山小屋を見つけたのだった。
しかし中には誰もいなかった。
しかし、小屋は生活が出来るだけのものはあった。
囲炉裏ややかんもあり、水道もあった。
蛇口をひねれば水が出た。
もっとも、そのおかげで花火ができるのだが。
四人は山小屋に上がりこんだ。住んでいる人が帰ってきたら事情を説明してなんとか泊めてもらおう、
などとハルオが提案して、口論が生じたのである。
しかし、暗くなっても山小屋の主は帰ってこない。
結局、この小屋は少し前、それもほんの数日前に空き家になったんだろうという結論に達した。
水道が止まってないのもそのせいだと判断した。
ナツミが転がりながら言った。
「家を空ける人が服とか布団とかまで置いていくかなぁ〜」
「あ、落ちちゃった〜。でもあたしが一番長くついてたね〜。……?」
ナツミが顔を上げると他の皆はナツミではない遠くの一点に集中していた。
「なんか静かだと思ったら、なに見てんのぉ?」
「あ、いや、向こうになんか人影みたいのが見えてな……」
「ヒトカゲ?」
「もしかしたらここの住人じゃない? それなら道を聞いてすぐにでもここを降りられるんじゃない?」
「馬鹿言うな。道を聞いても暗くて見えないだろ。それにここの人ならまっすぐこっちに向かってくるはずだろ」
「じゃあ今のはなんやってん」
「なんかの見間違いだったんじゃないのぉ?」
「いや、線香花火程度の光だったけどはっきり見えたよ。顔まではわからなかったが」
「こんな時間にこの辺うろうろしてるって、あの人も迷ってるんじゃないの? それならこっちに連れて来てあげたほうがいいんじゃない?」
「それもそうかもな。一応追いかけてみようか」
「誰が行く?」
「……」
色々と言い合い、結局一人小屋に残り、残りで追いかけるということになった。
「山小屋の方は安全だから別に一人でもいいな」
「じゃあ誰が残る?」
「やっぱりナツミは小屋に残っといた方がええんちゃうか?」
「そーする〜」
「相変わらず軽いわね……」
「まあいいか。とりあえず、慎重に行こう。西の方だったよな。懐中電灯あるか?」
「小屋に一個だけあったわ」
「まあ大丈夫やろ。行こか」
「がんばってねぇ〜」
「お前は小屋からふらふら出たりするなよ」
捜しに出て五分ほど経った。
さすがにこれ以上進むのは危険じゃないかとハルオが焦りはじめた時、アキコが静かに言った。
「ねえ、あそこじゃない? 暗いから結構ゆっくり歩いてたのね」
フユキが答えた。
「明かりがある俺らに比べたら道が全然見えへんからな」
ハルオは少し安心して言った。
「声をかけてみよう」
「う〜、暇だな〜」
フユキ達が例の人影を追って行ってから十分ほど経った。
やはり夜の山道で苦労しているのだろうか。それとも人影を見つけられないで迷ってしまったりしたのだろうか。
「……さすがにそれはないかぁ。皆そこまで深追いしたりしないよねぇ」
二十分経った。
三十分経った。
四十分経った。
いかに脳天気なナツミでもさすがに心配になってきた。
捜しに行こうかとも思ったが、懐中電灯も無く、捜す術も無い。
「きっと誰か怪我でもして手間取ってるだけだよね」
そう考えることにした。
五十分経った。
山小屋の明かりが消えてしまった。
ろうそくだったらしい。
それが尽きたのだろう。
ナツミはより一層心細くなり、勝手に取り出していた布団にくるまっていた。
「怖いよぉ〜。みんなぁ、早く帰って来てよぉ」
泣きそうになっていた。
脳天気だが、寂しいのには弱かった。
友達を沢山作ったのもそのせいだったのかもしれない。
一時間経った。
一時間十分経った。
一時間二十分たっ
ぐしゃっ
ぎゃああああアあああああアああアあああああああアああああアあああアああ
ひとり
うふふ
ざくっ
やめろおおおオおおおおオおおおおオおおおおおおおおおおオおおおおおおお
もうひとり
うふふ
ぐちゅっ
あああアあああアああああああああアああああああああああアああああああアああ
ナツミは飛び起きた。いつの間にか眠っていたらしい。
そんな事を気にする暇もなく、次々と悲鳴と何かを切ったり潰したりする音が聞こえてきた。
「な、何?」
突然のことにしばらく混乱してしまった。
その悲鳴がどういうことか理解したナツミは、たちまち恐怖に駆られた。
全身から汗が出た。震えが止まらない。
目を開けていられない。閉じていられない。
「殺される?」
殺される? 何に?
ナツミは何もわからなかった。
ただただ恐怖がナツミを縛り付ける。
逃げる事もできない。
こちらに来ているわけではないが、いずれは見つけられるだろう。
逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。
逃げる? 何処へ?
何処でもいい。とにかく安全な所へ。
逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。逃げなくちゃ。
逃げろおおおおおおおおおおおおおおお
ナツミいいいいいいいいいいいいいいいいいい
ぐちゃっ
フユキの声が聞こえた。
「フユ……兄……?」
体が呪縛から解き放たれた。
フユキの声で恐怖から解き放たれたわけではない。
フユキの声が恐怖に拍車をかけたのだ。
フユキの声は絶望的なものだったから。
そのせいでナツミの体は条件反射のように動き出したのだった。
ナツミは走っていた。
後ろから足音が聞こえる。
振り返ってはだめだ。その間に追いつかれる。
まてええええええええええええええええ
なつみいいいいいいいいいいいいいいい
追ってくる声は信じられないほどの嗄れ声だった。
果たしてこれが声と呼べるものなのだろうか。
フユキの声が聞こえていたのだろう。あれだけの音量だったから。
ナツミの名前を叫びながら追ってくる。
「やだぁぁぁ! たすけてぇぇぇ!!」
ナツミは息も絶え絶えに走っていた。
汗でぐっしょり濡れていてそれが服に吸い取られたため、走りにくいし気持ち悪い。
それでもナツミは止まることなく走り続けた。
止まれば殺されるから。
とにかく斜面を下に。
坂道を転がるように下っていく。
どんどん走る。
石などに足をとられかけても、木の枝に傷つけられても、
そこから血が流れ始めても。
痛みなど気にしている暇などなかった。
足音は少しずつ、それでも確かに近づいてくる。
ナツミは泣き出していた。
涙で前が見えない。
いや、涙がなくても夜の山道だ。
はじめから道など見えてはいない。
これまでに感じた事のないような恐怖が追ってくる。
あれは何者なのだ。
わからない。
フユキ達が見たという人影。
おそらくあれに殺されたのだろう。
それが恐怖の元凶。
ばけもの
その単語がナツミの頭をよぎった。
おかしな事だ。人影に殺されたと考えながらそれを化け物とも考える。
いやいや、追ってくるのは人間でしょう。
でも、人を殺したんでしょ。
たぶん、残酷な方法で。
だってぐちゃぐちゃ言ってたもん。
そんなことするなんて、見た目は人間だとしてもやっぱり化け物だよ。
人間って残酷なこと好きだもんね。
広く言えば人間だって化け物になるんじゃないかなぁ。
こんな状況でそんな事を考えてしまった。
ナツミは走る。
ばけものは追う。
まだふもとには着いてないのか。
ナツミはもはや限界だった。体力が続かない。
山道のおかげでばけものも多少慎重に走っているようだ。
まだ追いつかれてはいない。
しかし、止まってはいけない。
止まればすぐに追いつかれる。
死ぬ気で走っている。生きるために。
すぐに森を抜けるはずだ。助かるはずだ。
そんな希望もむなしく、同じような木がどこまでも並んでいる。
そう思ったが、どうやらナツミの希望は叶えられたらしい。
木の向こうにうっすらと明かりが灯っている。
おそらく道路に出られるのだ。
それは街灯なのだろう。
そう思って涙で歪んで見える光の下に出ようと最後の力を振り絞った。
まてええええええええええええええええ
とまれええええええええええええええええええええ
ばけものも追ってくる。
しかし、一瞬速く、ナツミは街灯の下に出た。
やった。これで助かる。
そう思ったナツミの足に違和感があった。
おかしいなぁ。
必死すぎて足がおかしくなるぐらい走っちゃったかなぁ。
ナツミの足には、地面の感触がなかった。
まるで空中にいるみたいだった。
街灯というのは誤りだった。
涙で歪んでいたその光は、月の明かりだった。
半月ほどだった。
何故気付かなかったのか。
ちょっと考えればわかるだろうに。
混乱していたナツミの頭はそれを街灯だと判断させてしまった。
「きゃああああああああああああああああ!」
ナツミはまっさかさまに落ちていく。
相当高い崖だった。このままでは助からない。
何も考えられない。
ナツミはそんな状況で必死に叫んだ。
「助けて!神さまぁぁ!!」
ふと気がつくと、皆がいた。
「どうしてん、ナツミ。ぼ〜っとして」
「線香花火もう落ちてるぞ」
「あら、どうしたの、涙目で」
「ふぇ?」
「これで終わりか。結構早かったな」
「打ち上げ花火が残ってるわよ」
「馬鹿言うな!火事になったらどうするんだ!最初に言っただろ!」
「大丈夫よ、まわりに危ないもんもないし」
「まあ一本だけやろうや。それでおしまい」
「一本だって危険だぞ!」
「気にすんなや。大丈夫やて。そうそう火事になんてならんやろ。
むしろ空にあげるねんから他の花火より安全なんちゃうか?」
「むぅ、それはそうだが……。
……しょうがないな。一本だけだぞ」
そんな会話をしている。
そうか。夢だったのか。あんな状態で夢を見るなんてどこまで自分は脳天気なんだ。
嬉しくなった。皆無事だった。自分も無事だった。
ただそれだけなのに心の底から嬉しかった。
あんな夢でも見なければこんな感情は持つ事は無かっただろう。
そういう意味ではいい夢だったのかもしれない。
「そら、あげるぞ」
「うわぁー、でっけえー」
「きれいねぇ」
皆で大きな打ち上げ花火を見ていた。
大きくて綺麗な花火だった。
真っ赤だった。
「ぁははは……。綺麗だなぁ……。真っ赤だぁ……」
一人の少女が崖の下でうわごとを言っている。
おそらく助からないだろう。頭から落ちてしまっている。
頭から吹き出す血はまるで花火のように地面に広がっては染み込んでいた。
「くそっ、間に合わんかったか」
半月が照らす崖の上で一人の青年が崖の下を見ていた。
気のせいだろうか。下で血を流している少女はうっすら笑っているように見える。
「なんやってん、あの男。ハルオもアキコも殺されてもうたし、まるでばけもんや」
フユキは何とかばけものから逃れてナツミに知らせようと追いかけていたのだった。
恐怖のあまり絶叫し、声も嗄れてしまったため、ナツミには得体の知れないものに感じられたのかもしれない。
逃げられてしまった。そして結局ナツミは助からなかった。
自分だけが生き残ってしまった。
「あかん、どうすればええねん。このまま山にいてもあの化け物に殺されるし、
下手に逃げるとナツミみたいになってまう」
そんな独り言を言ってはみたが神経はナツミに集中されてしまっている。
フユキはただ呆然とナツミを見下ろしていた。
風で木の葉がこすれる音も半月の明かりもフユキには届かなかった。
足音ひとつも聞こえなくなっていた。
一人の青年が崖にいた。
崖の下をぼーっと見ていた。
よく見ると服はぼろぼろだ。木の枝にでも引っ掛けたのだろうか。
一人の青年の後ろに人影があった。
人とは思えないうめき声を上げている。
足に当たる部分がぬるぬるしているようだ。
そこから赤色が月の光に写った。
人影は腕らしき部分を振り上げた。
その姿はなにか異形なる物を想像させる。
腕らしき部分には何か持っていた。
それも月の光を赤く染めた。
真っ赤な花火がもうひとつ、打ち上げられた。
どこから飛んできたのだろう。
一枚の紙切れが、木に引っかかった。
case1
END
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