ある秋の事象


「左腕」を手に入れてからも僕の暮らしに変化は無かった。
誰にも知らせてもいないし、見られるようなヘマもしてない。
特に友達ができた訳ではないが、
クラスの人間に話しかけられたら普通に受け答え出来ているし、
勉強は、
……まあ良くなったとは言えないが、人並みの成績はとれている。
学校では目立つことなく生活できていると思う。


左腕は、とりあえず見つからないところに隠しておいた。
まず見つかる心配は無いと思う。
左腕の捜索はすでに打ち切られており、
犯人が持ち去ったものと断定されていた。
それについても少し前にニュースでやっていた。
夏休みが終わってすぐくらいだったと思う。
大々的に取り上げられていたわけではないが、やはり専門家の意見などが流されていた。

「犯人は殺人の記念に持ち去ったんだろうと考えられます」
「犯人がこれまでにも殺人を犯していたなら、その家からはそういった人体の断片がいくつか見つかるかも」
「つまり、犯人はこれまでも見つからずに殺人を犯している可能性があると?」
「十分あり得るでしょう」

そんな感じのやり取りだったと思う。
これまでにも殺人を犯していた可能性があるというのは同感だった。

この犯人は少年を分解する時何を考えていたのだろう。
左腕を見に行く度に考える。
生きたまま分解したのだろうか。
それとも死んでから?
快楽殺人者ならおそらく前者だろう。


僕は毎日のように左腕を見に行った。
特に何をするでもなく、ただ見ているだけだ。
時々触ってみたりもしてみた。

毎日見ていて分かった事がある。
見つけたときは、乾いた血などで汚れていてあまり意識しなかったが、
この左腕は腐っていないのだ。
普通何ヶ月もそのままになっていれば腐るのが道理だ。
だが、血こそほとんど蒸発して残っていないが、
その肌は、血が流れているかのようにきれいな肌色をしているのだ。
まるで生きているような瑞々しさがある。
僕でなくても怪しむだろう。
死体が腐らないなんてありえない。
ミイラ加工をされたわけでも死んだばかりだというわけでもない。
それなのに腐らない。
それは不気味なことだ。
祟りか何かじゃないのかとも考えるだろう。
だが、僕はそれに惹かれていた。
こんな現象に立ち会えてラッキーだとさえ思えた。
最近ではそれを見るのが楽しくてたまらない。
僕の中の正義感が無くなっているわけではないが、興味深いものに惹かれるとどうもその正義感が見えにくくなる。
僕自身もそれを実感していた。
もはやずっと眺めていたくなるような気さえした。
これ以上僕の興味を引くものは今のところ無くなっていた。
他のものも今までどおり程度には嗜んでいるが、今はこれが一番だった。

腐らない死体。
血液を除いて他の全てのものはおそらく生前と変わらない状態でいた。
骨、皮膚、肉。
浸食を許さない死体がここにある。


暗くなり始めたのでこの日は帰ることにした。
隠し場所は、実は山の中にある。
最初に死体が見つかった場所に近い。
捜査も打ち切られたので、ここに人は寄り付かない。
皆気味悪がっている。
僕にとっては実に都合のいい隠し場所だった。
左腕はビニール袋に入れたままだ。
遠くから見てもただのゴミにしか見えない。
そんな場所に隠した。
念のために雨風もしのげる場所にした。

腰を上げて左腕に背を向けた。
帰るときに左腕の入っているビニール袋ががさがさなった。
結構激しい音だった。
風が出てきたのだろうか。
あまり僕のところまでは風は吹いてこなかった。
しかし、木の葉のこすれる音も聞こえるし、実際吹いていたのだろう。


ある日、また僕は左腕を見に山を登った。
それまでに、学校では体育祭と文化祭があった。
体育祭では僕はリレーの選手に選ばれた。
毎日山登りをしていたせいか、足腰がかなり強くなり、クラスでも一、二位を争うほどになっていた。
集中するということはなかなか凄いことだ。
体育祭の本番でも、リレーでは僕のクラスが一位をとった。
全体的に見ると結果は八クラス中四位だった。
また微妙な順位だとクラスで笑いあった。実に楽しかった。
文化祭では定番でお化け屋敷をやった。
僕は看板の絵を描くのを手伝った。
完成すると、クラスの皆に
「気合入れすぎだ」
「お〜、無茶苦茶怖いじゃん」
「面白い才能だな」
などと褒められたんだかからかわれたんだか分からないコメントを貰った。
文化祭当日、お化け屋敷はなかなかの賑わいになった。
一般客も来る日になると、子どもや大人も遊びに来てくれた。
子どもの中には看板を見ただけで泣き出す子もいた。
それほどいい出来だった。
怖がらせるのが目的なので、満足しても良いだろう。
看板にはほんの遊び心で左腕の絵を描いた。
それがかなりリアルな出来になってて良いと先生に言われた。
毎日本物のちぎれた左腕を見てきていたのでできた事だった。
やはり文化祭も心底楽しめた。
いい看板が描けた礼でもしようかと意気揚々と山に登って行った。
きれいに拭いてやろうかと思っていた。


その場所について、心臓の鼓動が一気に速くなった。

ない。

あるはずの左腕がない。
僕は愕然とした。
まさか見つかった?
いや、それはない。
ここ最近は特に頻繁に訪れていた。
学校の時間の事もあったが、
今日は日曜日だった。
土曜日にも来ていたのだ。
それこそ一日中左腕を見ていた。
昨日の今日で見つかって持ち去られる可能性はあまりにも低い。
夜にあんな場所に入ろうとする人間などいないだろう。
僕を除いて。

それでは、動物が持ち去った?
それはありえる。
今まで見つからなかった方がおかしい位だ。
僕は動物が山の中にいるという常識的なことも意識の外に出していたのか。
なんて馬鹿な真似をしたんだろう。
僕はがっくりとうなだれた。

不意に僕の服を引く手があった。

しまった。
こんなところに人が来るとは思っていなかった。
まずいぞ。左腕を見られたか?
ああ、左腕はなくなっていたんだっけ。
そう考えながらゆっくりと手の主を見上げた。


体も顔も見当たらなかった。
気のせいだったのか?
しかし、僕の服には確かに手の重量感がある。

僕の推測は全て外れていた事をその時知った。
僕の服を引いていたのは人ではなかった。
正確に言うと、かつて人間についていたはずのものであった。

僕の服を引くのは「左腕」だった。
あの、腐らない、体から離された、左腕。
器用に切断面で腕を支えて僕の服を引いている。
ああ、そういうことか。
僕は恐怖を感じる前に、理解した。
この左腕は動くのだ。
今までも動いていたのだ。
ただ、それを見られたくなかっただけなのだ。
ああ、あの時ビニール袋がガサガサ言っていたのはこういうことだったのか。
そう思った。
ずっと見つからないように隠していた僕のことを信用したのだろう。
きっと動物からも上手く逃れていたに違いない。
腐らなかった理由もそこにあるのだろう。
動いているという事は、生きているという事だ。
血液こそ通っていないが、生きている。
僕は今まで幽霊だのお化けだのそういう類のものは信じているわけでも否定するわけでもないが、
このときばかりは認めざるを得なかった。
そんな事を考えていたせいか、恐怖はまったく感じる事は無かった。
ただ、考えたのは、こいつもものを食べるのだろうか。
そんなくだらないことだった。
さしあたりこれからの左腕の扱いも変わることになった。
とりあえずもうこの山には置いておけない。
僕は懐に左腕を忍ばせた。
大分寒くなってきていたので、少し厚着だったから助かった。


新しい入れ物を用意しなければ。


ある秋の事象
END


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