異質な冬
左腕が動き出してからどれくらい経ったのだろう。
もう年も暮れに向かっている。
僕は家に帰らなかった。
帰れなかった。
こんなものを見せたら親は気を失うだけじゃすまないだろう。
「家に帰らなかった」と言ったが、直接どこかへ行った訳ではない。
あれから一旦は家に帰った。
さすがに生きていくだけのものは必要だ。
左腕が見つからないかどきどきしながら準備をした。
小さなかばんを持って、それに必要最低限のものを入れる。
携帯音楽プレーヤーも持った。
携帯電話も持って行く。
左腕の「入れ物」も用意した。
今度のは布製のやつだ。
一応連絡はしているが、親はやはり心配らしくしきりに僕に電話してくる。
学校のこともあったし、例の殺人鬼が出るかもしれないからと戻ってくるように言ってくる。
だが、まだ家に戻るわけにはいかない。
その殺人鬼を捜しているのだから。
動き出した左腕は、どういう原理かものを食べたり、見たりできた。
不思議に思ったが、あまり深くは考えないようにしていた。
考えていたらこっちがおかしくなってしまう。
とにかく、そんなヤツと共同生活をしていた。
奇妙な感覚だった。
左腕はあれから必死にジェスチャーを用いて、自分が犯人に復讐したいと僕に伝えた。
ずっと僕から離れないでいるのはさすがに困るので手伝うことにしたのだった。
吐く息が真っ白だった。
手はこごえてボタンをとめるのにも苦労する。
太陽は照っているがそれだけではこの寒さを和らげる効果はあまりなかった。
防寒具を少しだけ買った。
左腕にも手袋を買ってやった。
よく分からないが喜んでいるようだった。
それにしても犯人はどこにいるのだろう。
闇雲に捜していても見つからないとは分かっているが、動かずにはいられない。
何か行動しないと寒さで永遠に止まってしまうような気がした。
左腕に聞いてみても、小学1年生のつたないジェスチャーではとても分からない。
だが、たった一つだけ分かった事がある。
左腕が指でキツネの形を示した。手遊びでよくやる形だ。
だがそれだけでは何も分からなかった。
キツネが描かれた服? キツネをかたどった帽子?
とりあえずはそういったものに対象を絞って捜してみたが、どれもはずれだった。
もうどれくらい捜しているだろう。
左腕を捜していた時と同じぐらい時間をかけているような気もする。
僕の住む街にいるのかと聞くと、左腕は指で丸を描いた。
実は僕の街は相当広かった。
以前言ったように、街が一つや二つすっぽりと入りそうな山がある。
その山は僕の街たった一つの中にすっぽりと入っているのだ。
それぐらい広かった。
同じ街でも東西南北で環境が変わる。
そのため僕はあまり知らないような所まで行くはめにもなった。
そこらじゅうをあたらなければならないので、バスに乗ることもできない。
おまけに犯人は見つからないのだ。
あっという間に冬になっているわけである。
僕はとりあえず今まであたってきた所を間違って二度訪れることがないように、
街の地図に印を付けていった。
赤いボールペンを取り出す。
そういえば、ボールペンを出す度に左腕がやたらと動き出す。
特に気にも留めていなかったのだが、この時、その意味が分かった。
寒さで手が凍えていたので、ペンを落としてしまった。
すると、左腕が突然そのペンを拾った。
どうしたのだろう。
まさかと思って地図の裏側を左腕に向けた。
左腕は待ってましたとばかりに、ペンを紙に向けた。
左腕は、体(?) を支点にして器用に字を書き出したのである。
書いた文字はひらがなばかりで汚い字だった。
この左腕が付いていたのは小学1年生だったのだ。無理もない。
僕はある意味暗号のようなその文字を読んでいた。
「ぼくは**小がっこうの1ねん生だった。
もうすぐ2ねん生になれた。こうはい と いうのが できるらしくて うれしかった。
あたらしい 1ねん生と いっぱい あそんであげようと おもってた。
おともだちも いっぱいできた。Eくん、Rくん、Tちゃん、Gちゃん、Bくん、
とにかく いっぱいできた。みんな やさしくて おもしろかった。
がっこうでは いろんな たのしいことがあったし、べんきょうは たいへんだった。
休みじかんには そとで ドッジボールをして あそんだ。ときどき おにごっこなんかもした。
休みじかんがおわっても あそんでると、せん生に しかられたりもした。
なつ休みには せみとりをしたり、しゅくだいをしたりしてた。
じゆうこうさくでは ダンボールをつかって 大きな いえ をつくった。
みんな おどろいていた。せん生も ほめてくれた。
ほかにも、たくさん、たくさん、たのしいことがあった」
覚えて間もない漢字を所々使いながらそんな文をひたすら書いていた。
変わり果てた自分の事を少しでも知ってもらいたかったのだろうか。
最後の方にはこんな文もあった。
「すごく いたかった。あたまが われるくらい 大きなこえをだした。
のどが かれるぐらい さけんだ。でも どうにもならなかった。
あいつは ぼくのことを みて わらっていた。すごく こわくて いたかった。
そのうち ぼくの あし が からだから ちぎれた。
すごく いたかった。あかい ち がいっぱいでた。
まえに ころんで ひざ をすりむいたときにも ち がでたし、すごく いたくて なきそうだったけど、
こんどのは すりむいたときよりも もっともっと ち がでた。
すりむいたときよりも もっともっと いたかった。
しばらくすると、はんたいがわの あし もちぎられた。
おなかを 何かいも さされた。かおも さされた。
そのあと うで もちぎられた。
あいつはぼくのことを だるまだ といって わらっていた。
そのあと かお がめちゃくちゃにされた。
目 をさされて ぬきとられた。あいつは それを おいしそうに たべた。はんたいがわの 目 でみてた。
はな をちぎられた。じめんに びちゃっと すてられた。
それからは おぼえてない」
なかなか凄惨な殺され方をしたらしい。
けっこうはっきり覚えているようだった。
しかし、ここで至極当然のことを思いついた。
事件の犯人は、被害者に聞くのが一番早い。
殺人事件は被害者が死んでいるから捜査が面倒なのだ。
だが、その被害者が何らかの形で意思を伝える事ができれば。
僕は左腕に「あいつ」とは誰かを聞いた。
左腕はひらがなだけで名前を書いた。
まさにダイイングメッセージである。
その名前の後に、自分が何故殺されたのか分からないという意味合いの文を書いた。
その理由は僕が直接聞いてやると言っておいた。
なんにせよ、ようやく家に帰れそうである。
僕の住む地域に戻ってきた。
こんなに近くに犯人がいるとは思わなかった。
しかし、死体が見つかった場所から考えると、妥当な場所でもあった。
とりあえず、犯人の住む家に向かうことにした。
犯人の家は僕も知っていた。
その家のチャイムを押すと、Iが出てきた。
Iは、僕の通う高校のクラスメイトで、特に部活にも入らず、
クラスでもあまり目立たない存在だった。
僕とよく似た性格のようだ。
冬休みなので家にいたようだ。
左腕が見つからないようになんてことのない話をする。
今まで何処に行ってたかとか学校ではこんなことがあったとか、
そんな話だ。
なんとか例の話をできないかと考えていると、Iが突然言った。
「そうだ、山登りに行かないか? 好きなんだろ」
僕がよく山に登っている事は結構皆知っていた。
死体が見つかったのによく行く気になるな、と言われた事もある。
結局僕は山が好きなヤツとして見られていたのだった。
それで会話をしていて思い立ったのだろう。
Iはこんな事も言っていた。
「それにもしかしたらバラバラ死体の一部が見つかるかもしれないぜ? 」
山に登るのは久しぶりだった。
左腕が動き出すのを見て以来だろうか。
懐かしくもあった。
やはり僕とIは他愛のない話をしながら山道を歩いていた。
しかし、Iが山に登ろうなどと言うとは思わなかった。
何か目的でもあったのだろうか。
あるとすればやはり左腕を捜す事だろうか。
だが残念ながら左腕は僕の手の内にあった。
「いた」と言うべきだろうか。
しばらく歩くと、Iは立ち止まった。
死体が見つかった場所だ。
こちらを見てIは僕に話しかけてきた。
「それにしても左腕は何処にいったんだろうなぁ。
犯人はどうしたんだと思う? 」
何を言ってるんだと問い返す。
「粉々にして跡形もなくしたのか? 焼いてしまったのか?
それとも喰っちまったのか? 」
Iはそう言った。
さらにこう続けた。
「俺 実は知ってるんだ。だからお前をここに連れてきた」
さすがに驚いた。僕が左腕を見つけたことを知っていたのだろうか。
だとしたらまずい。僕の事を犯人として警察に突き出す気だ。
そんなことになったら余計に被害は広がってしまう。
なんとかごまかさなければ。
だが、そんな必要はなかった。
Iはこう言ったのだ。
「聞いたら驚くぜ。ずっと誰かに言いたかったんだ。
お前なら口も堅そうだし、別に知ってどうこうしようとしなさそうだしな」
僕が左腕を見つけていたという事は知らなかったようだ。
そして、Iは過去の真実を口にした。
「誰にも言うなよ。実はその左腕はな……」
ドスッ
短く鈍い音がした。
「そのひだりうではにげたんだよ」
何も考えていなかった。
うかつだった。
血が地面に染み込む。
過去に染み込んでいた血と交わる。
こらえられずに血を吐く。
銀色に光る金属が体に深く突き刺さっている。
その金属が横に動いた。
胴体の半分ぐらいが切れた。
すると胴体から上は切れていない方に傾き、
最終的には二つに分かれた。
胴体の下半分は立ったままだ。
目はその下半身を見つめていた。
噴水のごとく血が噴出していた。
上半身は意識を失って倒れた。
下半身もそれにつられるように倒れたようだ。
「あとをつけて せいかいだったよ」
そこには返り血で真っ赤に染まった小さな子どもがいた。
小学1年生ぐらいだ。
その顔は妙に高い鼻に吊り上がった目。
例えるならばキツネといったところだろうか。
左腕のあのジェスチャーの意味が今更わかった。
少年は続けた。
「だからあれほど 人にいうなって いったんだ」
一枚の紙に書かれた犯人の名前。
それは、Dと言うF少年の同級生でIの弟である少年の名前だった。
奇妙な光景がそこにあった。
一人の男と一人の二つに分かれた男と一人の子ども。
あたりは静まり返っている。
子どもは話し始めた。
「あのひだりうではね、Fがしんじゃったときにとつぜんうごきだしたんだ。
びっくりしたよ。うでだけうごきだすんだもの。あっけにとられてにがしちゃったんだ」
なるほど。左腕はすでに動き出していたんだ。
簡単に言うと、F少年の魂が、物や場所に憑いたのではなく、
左腕に憑いてしまったのだ。
皮肉なものだ。自分自身の体に憑いてしまうとは。
だが、おかげで犯人にたどり着く事ができた。
「ぼくをつかまえたいの? でもぼくはこんなものをもってるんだよ。
おにいさんにそれができるかな? 」
ナイフを突きつけて僕に言う。
確かに、子どもと言えどもナイフで刺されたらひとたまりもない。
だが、力は僕の方が強いのだ。押さえ込んでしまえば問題はない。
しかし、その前に聞いておくことがあった。
なぜ、F少年を惨殺したのか。
D少年は答えた。
「あいつ、ぼくのきょうかしょにらくがきしたんだ。
それでむかついたからころしてやったんだ」
それが答えだった。
僕は呆れた。
なんてつまらない理由だろう。
過去にニュースで子どもがキレ易くなっていると聞いた事がある。
その極端な例なのだろう。
つまらない。
だがそれを知った僕も殺す気だろう。
小学生相手に不本意だが、逃げなければ。
さすがに刃物に向かうつもりはない。
D少年は僕を追いかけてくる。
僕はそれから逃げている。
当然逃げるのは容易かった。
慌てて道を間違えてさえいなければ。
たどり着いたのは崖だった。
「あはは、かんたんにおいついちゃった」
生意気なやつだ。
しかし、逃げ場がなくなっているのは事実だった。
「あきらめなよ、Fとおなじようにしねばいい」
僕はとにかく話した。
目玉を喰ったそうだな。
F少年をダルマだと言って笑っていたそうだな。
などと言って時間を稼いだ。
稼いだ所でどうなるわけでもないと知りながら。
D少年はその度に楽しそうに答えた。
「たべたよ。カラスさんはひとのしたいをたべるときめだまからたべるってきいたことがあるんだ。
あじはひみつだよ。じぶんのでもたべてみたらいいよ」
「だってダルマみたいだったもん。ごろごろころがってさ」
話しているうちに覚悟を決めた。
子どもと言えども許したくはない。
この際痛いのが嫌だとかいってる場合じゃない。
僕は突然D少年に突っ込んだ。
D少年は少々驚いていたが、僕にまっすぐナイフを突き出した。
僕が突っ込む。
Dがナイフで突っ込んでくる。
ナイフが突き刺さる。
痛い。
熱くさえ感じる。
ナイフは僕の左手に刺さっていた。
左手を犠牲にしてナイフを止めたのだ。
逃がさないようにナイフをつかむ。
Dは必死で逃れようとするが所詮は子どもの力だ。
僕はナイフを奪い取った。
痛みで気が遠くなりそうだ。
それでもこらえる。
やった。
これでヤツはただの子どもだ。
そう思ったのは一瞬だけだった。
Dはもう一本のナイフを取り出した。
そうか。そりゃそうだよな。
痛みも相まってあきらめかけた。
その時、あるものを見た。
Dは僕に向かってこない。
その顔は恐怖に満ちている。
僕は下を見た。
左腕だ。
左腕がDの足にしがみついている。
だが、Dは左腕が動くのを見ていたのだ。
そんなに驚くはずがない。
そう、全てが。
F少年の体のパーツが全てここに集まっているのだ。
どうやってここまで来たのだろう。
Dの体中にしがみついている。
「ナンデ……ボクヲ……コロシタ……」
Dはもはや意味不明な言葉を発しながら必死で振り払おうとする。
Dが死体のパーツに足をとられ、ふらつく。
あばれるDの体が宙に浮いた。
いや、宙に倒れたと言うべきか。
崖から足を滑らせ、Dはまっさかさまに落ちていった。
死体のパーツも後を追った。
左腕も。
崖の下から甲高い悲鳴が聞こえた。
山を降りて、僕は家に帰った。
左手を傷つけていたので叱られるよりも先に病院に連れて行かれた。
木の枝が運悪く突き刺さったと言っておいた。
医者は刃物で切られたようだといっていた。
冬休みが終わってから学校に行くと、手の傷のことで騒がれた。
もう少し落ち着いてほしいものだ。
もう一つ話題になった事は、
Iが行方不明になっているということだった。
そのことについて僕は適当に相槌を打った。
あれから警察に行ったりはせず、僕だけの秘密にしておくことにした。
どうせ話しても信じはすまい。
僕の左腕についての行動はこれで終了となった。
実に不思議な体験だったと思う。
・・・
今日もニュースを見る。
「先日から行方不明者が出ています。
**市に住むI君(16)、D君(8)の二名となっております。
調べによると……」
「……また、もう一人行方不明者が出ています。
同市に住む……」
僕はテレビを消して学校に向かった。
春夏秋冬
END
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