番外編シリーズ1

つー君とZ子(6)
〜24時〜






 『都会の空は濁るのに 響くチャイムで今日が昨日』









 午後7時。

 普通ならば、まだ人通りも見られる時間帯であるにもかかわらず、この町の人通りは全く無い。 街灯に惹かれる虫も、冬になると一切その姿を消してしまう。 まるで、この町で起こっている只ならぬ出来事を避けるように、生物の影は見当たらない。
 そんな中、何を思ったか、ふらりと1人の男が玄関から出てきた。 日が沈むまでは、殺されたくない、と、家の中どころか自分の部屋からすら出てこなかった男である。 しばらく何も食べていないのか、街灯に顔が照らされても、頬には暗い影が落ちている。
 虚ろな目をして、町全体に広がる坂道をふらふらと歩き続ける。その向かう先は、公園だった。 あの、幾つもの「棺桶」の置かれている、大きな記念碑を中心にした、公園。 「ハーメルンのバイオリン」につられるように。しかし、あの物語と違うのは、彼は成人であったし、 バイオリンの音など何処からも聞こえてこない。







 午後11時30分。

 ドアをノックする音。
 あの日の記憶が蘇る。
 私は恐怖を悟られないように返事をする。
 そこから聞こえてくるのは、彼の声。昨日、突然現れた不思議な男の子。
 その声は、あの日のあいつとは違って、とても優しい声。でも、何処か淋しそうな声。ただ、希望を携えた声。







 午後7時18分。

 男の目にふと生気が戻った。その時には、公園はもう間近だった。
 暫くの間、状況を理解できずに周囲を見回し、やがて、自分のいる場所を知り、 足下から大量の虫が這い上がるような寒気に襲われた。
 人よりも怖がりなこの男は、今にも失禁しそうな恐怖の中、せめて公園からは遠ざかろうと、背を向けて走り出した。
 しかし、そんな彼の目の前に、男が現れた。小太りで、眼鏡をかけた中年ぐらいの男だった。

「こんばんは、良い夜だろう? こんな日は外に出て星を眺めるのが良い」

 そう言いながらやや大きなナイフをどこからともなく覗かせた。 たったそれだけでその中年の男が例の殺人鬼であると確信できた。
 悲鳴を上げんとした彼の口をいつの間にか近づいていた殺人鬼が塞ぐ。

「昨日は悲鳴のせいで余計な客が増えたのでね。悪いが静かに死んでくれ」

 そう言ってナイフを大きく振り翳した。







 午後11時45分。

 男の子が私の方を振り返る。
 彼は左手に黒い手袋をしている。夜の闇に溶けて消えてしまったように見える。
 そして、昨日までとは違って、右手に鎖のようなものが巻きついている。でも、何だか光って見える。 そう思って聞いてみると、彼は何も言わずにその右手を差し出した。
 手品か何かを見たのかと思った。鎖が消えた。隠したんじゃない。完全に、消えてしまった。
 驚くのも無理はない。彼はそう言って、静かに話を始めた。







 午後7時19分。

 ナイフが突き刺さろうとしたその瞬間、殺人鬼の顔が歪み、自分から見て右方向へと吹き飛んだのを男は見た。

「今度は逃がさない」

 突然、目の前が真っ暗になったかと思うと、その暗闇がはためいた。
 言葉も出ない男を目の端に捉えながら、視線は殺人鬼の方を向いていた。 殺気が無く、それでも強い意志を感じさせる目だった。

「ようこそ、クロト君。よく見つけたものだ」

 闇の向こうから声が返ってきた。どうやら何のダメージも無いらしい。前日の夜と同じように。
 それが当然であると確信しているかのように黒人は殺人鬼のいる方へと歩を進める。

「公園の近くで張ってたんだよ。この時間にあそこに近づく人間だけに注意してればそれで良い」

「成程、確かに単純だが良い手だ。今日は警察もいないし、かなり近くまで引き寄せる事が出来た。君は中々よく動くね、クロト君」

「俺が頼んだんだよ。『能力』の情報と引き換えにな。全く、手間ァ取らせやがって。それと………」

 黒人が小さな石を拾って、茫然としている青年に軽く当てた。殺人鬼から目は逸らさない。
 青年は我に返り、短く悲鳴を上げ、慌てて逃げて行った。きっと彼は家に帰ると布団を頭から被って眠るだろう。
 青年がいなくなったのを確認すると、途端に黒人の姿が消えた。

「何者でもないお前が、俺の名前を気安く呼ぶな」

 その言葉が聞こえた時には、既に殺人鬼は頭から地面に叩きつけられていた。顔面は黒人の手で覆われている。
 しかし、意識を失うどころか怯みもせずに顔を覆う黒人の腕を掴み、黒人の勢いを回転に変え、その遠心力で投げ飛ばした。

「此処は少し狭いだろう。場所を変えようじゃないか。幸い今日は時間がある」

 頭から投げられるも、難なく着地した黒人に向って殺人鬼が言う。 黒人は殺人鬼が指差す方を見た。

「……公園か」








 午後11時46分15秒。

 彼の言葉を反芻する。







 午後7時22分。

「さあ、殺ろうか」

 眼鏡を上げ、殺人鬼が言う。

「消えるのは、お前だけだ」

 低い声で、黒人が返す。

 棺桶は、いつの間にかなくなっていた。殺人鬼がどうにかして移動させたのだろうか。
 石碑を背景に、2人の男が睨み合っていた。
 暫くの静寂を置いて、どちらからともなく、ゆっくりと、円を描くように動き出した。 その円は次第に小さくなって行き、それに応じて速さも加わり始めた。
 そして、円がお互いの間合いに入った瞬間、円を真っ二つにぶった切るように2人の拳が火花を散らせんばかりの勢いで衝突した。
 殺人鬼が逆の手に握ったナイフを投げる。黒人は、知っていたとでも言うかのように体を捻り、それをかわす。

「良い動きだ」

 黒人に避けられ、闇の向こうに飛んで行った筈のナイフが、糸でも付いているかのように殺人鬼の手に引き寄せられた。

「次は容赦しないよ」

 殺人鬼は表情を変えずに言う。
 そして、全く躊躇もせずに黒人へと歩いて行く。

「なら、俺も遠慮はいらんな」

 黒人もまた、無表情で答えた。







 午後11時50分。

「そういう事だ。これから始めようと思うが、キミが耐えられるかどうかは保障できないし、下手をすれば死ぬ。 悪いが余裕もあまりない。いつまたヤツが現れるかも分らないしね。10分だけ待つから、覚悟を決めてくれ」

 そう言った彼の声は、無理矢理にでも残酷に、冷静でいようと必死だった。
 10分間、私は静かに目を閉じていた。
 本当は、決めていた。すぐにでも構わなかった。それでも、10分。祈るように私は目を閉じていた。







 午後7時22分15秒。

 不意に殺人鬼の歩が調子を変え、瞬間で黒人の前に立つ。
 ナイフが黒人の服を裂き、腹に刺さる寸前で、全ての動きが完全に止まった。
 今度は巻き戻しを見るかのように殺人鬼が数歩下がった。

(鳩尾でもダメージ無しか)

 ナイフが刺さるよりも速く振り上げられた脚は正確に急所を突いていた。 それでも殺人鬼は意に介さずに前進を止めようとしない。

(まずは足を止めるか)

 殺人鬼に向って黒人も前進する。殺人鬼とは違って高速で。
 と、互いの攻撃が届くであろう距離まで近づくと同時に、殺人鬼の視界から黒人が消えた。

 体を地面すれすれまで一気に沈めた黒人が殺人鬼の背後を取っていた。そして、鋭く澄んだ音と共に、殺人鬼の足が落ちた。







 午後11時55分。

「災難だったね」

 彼がわざとおどけるように言う。
 まったくだ。私はそう思った。私にそんな才能があっても、実行できる筈もない。
 それでも、責任はある。







 午後7時23分。

 ちっ、と黒人の口から舌打ちが漏れる。

「人形め……」

「よく分かっているじゃないか」

「ならば、この事態もそう驚く事ではないだろう?」

「持つべきものは、才能だね」

 黒人の周囲を、殺人鬼『達』が取り囲んでいた。その数は、公園に入りきるのが不思議な程だった。

「大分死んだからあまり多くはないが」

「この町の人間の数だけ、私は存在する」

「しかし、『能力』は別の所にある」

「殺しに関する」

「全ての技を」

「力を」

「能力を有する」

「それが、本来の『能力』」

「そして、君の予想通り」

「当然だが、私自身は一切のダメージを負わない」

「分かったかな?」

 まるで訓練されているかのように、全ての殺人鬼達がナイフを掲げた。


 笑い声。
 黒人のものだった。

「どうしたね?」

 その足を、人智を超えた速度で黒人が放った脚撃によって切り落とされた殺人鬼が、痛がる素振りも見せずに訊ねる。
 黒人は、その質問に、顔を上げずに答えた。

「よーく分ったよ」

 辺りが、ちりちりと焼け焦げるような空気になっていく。

「本当に自分の力を得意げにべらべら話すような間抜けってのはいるもんだってな」

 そして、声が途切れると同時に、公園内に高重力にも似た圧力が発生した。
 しかし、殺人鬼達は、先刻までの1人のように、眉をひそめすらしない。
 構わずに黒人に向って押し寄せてくる。

 しかし、黒人はそれを無視するように何か呟いている。
 それでも、攻撃は一切当たらない。



「『想い は創る』『故に 彼 在り』『故に 彼の力 在り』
 『ならば 想いを 戒める』『即ち 彼を 戒める』『即ち 彼の力を 戒める』」



 す、と黒人が右腕を天を仰ぐように突き出した。幻覚ではなく、確かに淡く光っている。その光が、次第に形を造っていく。

「何の呪文かな?」

 そう言った殺人鬼の1人の腕をを、光っていた右腕で黒人が掴む。

「言葉に出した方がイメージし易いんでな。正直、恥ずかしいが、今はそんな事を考える状況じゃない」

 光が、完全な形を造った。黒人の右腕は、まるで鎖を巻きつけたようになっていた。
 そして、その形が現れると同時に、殺人鬼の腕が、蒸発するように消え去った。

「『戒』」

 そして、そのまま、その殺人鬼は跡形もなく蒸発した。







 午前0時。

「時間だ。覚悟は?」

 チャイム代わりにそう言った彼の声が、私の頭の中に響く。私は無言で頷いた。一体、今、自分がどんな表情をしているのか、分らない。
 彼は優しく微笑み、そっと私の傷に触れた。

 温かい。

「大丈夫だ。ヤツの力に耐えられたんだから、俺の力ぐらいどうって事はない」

 そして、彼は事を始めた。


 もう、日付が変わった頃だろうか。







本文第1行『』内―――ASIAN KUNG-FU GENERATION「24時」より1部抜粋


番外1−6 END








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