番外編シリーズ1
つー君とZ子(5)
〜記憶と答〜
「被害者は青野陽一21歳、最後に会話したのがその友人。死因は……心臓麻痺」
まるで認めたくないかのように松方は死因を口にした。
「残念ながら犠牲者を出すのは防げなかったが、とうとう犯人の尻尾を掴んだ。
この目ではっきりと見たからな。すぐに奴の身元を洗うつもりだ」
「そう簡単に捕まるかな」
黒人が、自分と松方の見た犯人を元に描かれた似顔絵を見ながら言う。
似顔絵は、かなり精密に描かれている。口頭の説明だけでよくそこまで描けるものだと黒人は感心した。
「捕まえてみせる。そうでもしなければあの街はあっと言う間に人っ子1人もいなくなる」
「大袈裟に聞こえないのが嫌だね。」
「仕方が無いだろう、事実なんだから」
松方の表情は、怒っているようにも緊張しているようにも見える。もしかすると焦っているのかもしれない。
「手掛かりを追っても逮捕には結びつかなかったが、今度こそは逃がさんぞ」
「手掛かり? そんなもんあったの?」
「何だ、知らんかったのか? マスコミがあれほどまくし立てていたのに」
松方が怪訝な表情をする。黒人はそれを受けて頭を掻くばかりだった。
「まず、例の棺桶だな。調べてみて驚いたが、何処にも全く指紋が付着していなかった」
その事だったのか。あまりにも当たり前に怪しかったので、黒人はそれを手掛かりと認識していなかった。
「手袋とかの可能性は?」
「十分有り得る。が、あの量の棺桶に全く指紋が無いんだぞ? 犯人の、どころか製造者の手も付いていないと言うのはどう説明する?
それに、あんなに堂々と置かれていて、街の人間が指一本も触れないなんて、有り得るか?」
「成程、そりゃ有り得ない」
黒人は納得した様子で、椅子の背もたれに体を預けた。
その話が本当なら、確かに有り得ない。その棺桶に関わる者が全てゴム手袋を着けているとは考えにくい。
「やっぱり、能……」
黒人が言葉を途中で切った。そのあまりの不自然さは傍で聞いていた平刑事でも確認できた。
「能……なんだって?」
即座に松方が言葉を返す。
「ああ、ええーっと、その、なんだ、やっぱり俺の脳味噌じゃどうにも分からんなーって……」
「怪しいな。こじつけくさいぞ。何か知ってるんじゃないか?」
「いや、知らないって。犯人については何も」
「だが何か役に立つ事を知っているんじゃないのか?」
「いや、世の中ホントに知らない方が良いって事も……」
「そういう所まで知らなければならないのが、我々警察だ!」
しつこく食い下がって来る松方を前に、何か言い逃れる方法は無いものかと考えてみるも、咄嗟には浮かばない。
しかし、1つだけ、良い事を思い出した。
「あ、そうだ、俺、人と待ち合わせしてるんだった。あんまり待たせるのもなんだから、俺はこれで」
去ろうとした黒人の腕をしっかりと掴み、松方が珍しく微笑む。しかし、うっすら黒い影が差して見える。
「何もこのタイミングで出て行く事は無いだろう。せめて話をつけてから行こうな?」
「いや……ホント、急ぐから」
この後、2人のやり取りは数十分にも及ぶかという勢いだった。結局、黒人が松方の隙を突いて逃げる形になった。
太陽が頭上で照りつけるが、それでも寒さはほんの少し和らぐ程度だった。
「いらっしゃい」
「コンニチワ。今日も赤字?」
「ははは、確かにその通りですね。収入源はあなた達だけですよ」
そんな冗談の言い合いを聞きつけ、飼い主を見つけた犬のように乙子がカウンターに寄ってきた。
その顔は、十年も会っていない恋人でも見つけたような、嬉々としたものだった。
「おはよ! もう昼前だけど」
「や。変な事は無かった?」
「うん、大丈夫だったよ。クロト君は大丈夫だった?」
乙子が心配そうに黒人の顔を覗く。とても昨日あったばかりとは思えない。
「俺はちゃんと自分の町に帰ってるから。大した事は無いよ」
そう言って大きく欠伸をした。そういえば黒人は碌に寝ていない。
「ホント? 良かったー。今日も朝からニュースで流れたから、不安になってたの。被害者の歳とか結構近いんだもん」
その後に、一言だけ付け加えた。
「……死人が出たのはあまり喜べないけどね」
「……そう、だね」
黒人の返事の力の無さに違和感を感じたのか、乙子が首を傾げる。
「どうしたの? 何かあった?」
「いや、何でもないよ」
「ホントに? 何も隠してない?」
会って2日目でもう隠し事を許さないと言うのか。しかし、黒人にはどうも隠し事をしているのが悪いような気がしてならなかった。
仕方なく、カウンターに腰掛け、塞がった口をこじ開けた。
「……現場に居合わせてたんだ」
その一言で、乙子と店主が息を飲むのは容易に予測できていた。
「犯人も見た。……警察の人もいたから俺は無事だったけど、ニュースに出てた人はもう、ね」
自分が進んで現場に向かっていた事は流石に言えなかった。心配をかけたくはなかった。
「それはそれは、よくご無事で」
店主の声は、かすれて裏返っていた。
その後は、前日をそのまま繰り返したように、乙子が話し、黒人と店主が返事を返す、という図式で雑談が続いていた。乙子は昔、絵本を作った事があるらしい。
もしかすると、この娘はこの事件を忘れたいが為にここまで饒舌なのかもしれない。
「なんで犯人はこの町を狙ったんだろう」
帰り道、またも前日の繰り返しと言わんばかりに乙子を送り届ける道中で、黒人が切り出した。
乙子には悪いが、何か情報が欲しい。この娘の安全の為でもある。
しかし、情報を得る為の質問にしては出来が悪い。これでは勝手な憶測でしか答える事ができないではないか。
そう思った矢先に、不可解な事が起こった。いや、起こったと言う表現は適当でない。
ふと、いつもの、と言ってもこの2日だけだが、その乙子がいなくなったような気がした。
「私を狙ってるんだと思う」
想像していた返答とはあまりにもかけ離れた答えだったので、黒人の脳は一瞬凍り付いた。
「キミを……?」
「うん」
暗い顔はしているが、怯える様子は無く、はっきりと受け答えする。
仮に自分が本当に狙われているとして、恐怖を感じないのだろうか。
「前もそうだったから。最後の1人になるまで……あいつ……私の絵本のキャラクターそっくりで………!」
「ま、待ってくれ。何言ってるんだ?」
乙子の目は何処にも焦点が合っていないように見えた。そして、彼女の言葉は黒人には向けられていないように思える。全て独り言のように。
「つー君が死ぬ時には私も死ぬんだって思って……だったら一緒にって、1つにって……つー君が……」
ぶつぶつと呟く乙子を見て、黒人は酷い悪寒に襲われた。正常ではない。その様子をただ茫然と眺めている事しか出来なかった。
「私……は、狂った……ん、じゃ、ない……2人で決めた……から……」
ふう、とひとつ溜息を吐き、黒人がようやく声を挟んだ。
「落ち着いて。どうしたんだ、一体?」
乙子の肩に手を置くと、驚いたように黒人の方を見た。その目は怯えた小動物と相違なかった。
「あ……私、また……?」
「独り言をぶつぶつ言ってたよ。俺の質問が何か思い出させたのか? それとも、この事件について何か知ってるのか?」
黒人はこの際だと思い切ってストレートに事件への関わりを問い詰めた。
聞きたくないとでも言いたいかのように、乙子は顔を伏せ、目をきつく閉じ、体を震わせている。目には涙が浮かんでいるように見える。独り言を話していた時とは正反対の様子だ。
しかし、心の中で整理がついたのか、はたまた何か決心したのか、黒人よりも頭ひとつ分小さな体を向け、顔を上げた。
「隠し事は良くないよね……」
そう言って、ゆっくりと乙子はマスクに手を掛けた。そして、それを見た黒人は息を呑んだ。
そこから現れたのは、可憐な少女には堪えられないであろう左右に伸びる痛々しい傷跡だった。まだ治っていない傷もあり、肉が赤く燃えている。
口の中に見える筈の歯も、所々にほんの少し覗いているだけだ。
「1ヶ月前に此処に越して来たって言ったでしょ? ホントはね、逃げて来たの。でも、皆を巻き込んじゃったけど」
「逃げて来たって、何から?」
「殺人鬼」
乙子が短く言い放った。憎悪を込めて、また、恐怖を向けて。
「第2管区の小さな町。華光町って言うの。私の故郷。此処とは地形も町並みも全然違う。でも、空気はとても似てると思うわ」
「華光……? どっかで聞いたような気がするけど」
「多分、新聞やニュースで見たんだと思うわ。ちょっと有名になってたから」
「その……やっぱり事件か何かで?」
「そう。此処と同じ事件でね」
「その時の、結末は?」
正直、黒人はその事件の結末を知りたくは無かった。しかし、聞かざるを得なかった。
「皆、殺されちゃった。私以外はね」
「その殺人鬼に、か」
「1人だけ、違う人に殺されたんだけどね」
「1人……?」
「私が殺したの。ミチカズって言うの。通るって字に一って字。親友だった」
乙子の目からぽろぽろと涙が零れて止まらなかった。しかし、それを拭う事もせずに乙子は話を続けた。
「私も、1回だけ会ったことがあるの。あの殺人鬼に。一目で分かったわ。ああ、私も殺されちゃうんだって。
でもね、そいつはゆっくり私に近付いて来て、すれ違いざまにこう言ったの。『お前は最後』って」
「……そいつには順序があるのかな?」
黒人の質問に、乙子は分からないと首を振った。
「でも、1日、1日と日が経つにつれて次々と人が殺されて、その度に私の番が近付いてくるって思って怖かった。気が狂うかと思ったわ」
乙子は、嘲笑うように声を震わせた。
「それでね、もう殆どの人が殺されて、堪え切れなくなったの。そんな時に、つー君……通一君の事はそう呼んでたの……彼に助けを求めたの。
彼は、一緒に逃げようって言った。私もそれに賛成したわ。どうして気付かなかったんだろうって」
日光の恩恵は、もはや闇に吸い取られて行きそうだった。夜が来る寸前の最も暗い時間帯の内の1つ。乙子も、黒人も、お互いの顔が見えなかった。
「確かに、なんで気付かなかったのさ。町の人も、何人か逃げ出したりはしなかったの?」
「ううん、誰も逃げようとしなかったの。まるで、そもそも逃げるって選択肢が無かったみたいに。警察に知らせようとする人さえもいなかったわ。
華光町は田舎だったから、それで全滅するまで気付かれなかったの。他所から訪ねて来る人さえいなかった」
「なんか……変な話だね」
あまりにも不自然だ。来訪者もなく、警察にも気付かれず、町民は逃げる事を考えない。ただの連続殺人でそんな事が起こるのだろうか。
「本当……つー君しか気付かなかったのよ、おかしな話。
でも、つー君だけは気付いてくれた。お陰で私は今生きていられる」
「じゃあ、つー君ってのは、どうして?」
黒人は、何時の間にか自分が遠慮なく乙子を問い詰めている事に気付いた。そのきっかけは、街灯が明りを灯し始め、それによって照らし出された乙子の表情が先程よりもさらに暗い表情になっていたからだった。
「逃げ出そうとした時にね、家のドアをノックする人がいたの。声もした。『あけろ』って。
あいつの声だった。それから先の事は覚えてない」
しばらくの間、静寂が周囲を取り囲んだ。日の沈んだ空に、月が昇る。心なしか、赤色に染まって見える。
「気が付いた時には、血だらけで倒れてるつー君と、彼の頭を膝に乗せた私しかいなかった。
でもね、頭がふらふらしてる中でやっと分かった事はね、私の両手は、まるで蛇口を捻ったみたいに血を浴びてた事と、それが彼の血だった事。
それで理解したの。私が彼を手に掛けたんだって」
「そうと決め付けるのは早いんじゃないかな」
黒人は下手な気休めを言うのは嫌いだったが、この時ばかりはそうとしか言えなかった。
「ただ彼がやられた時にその血を浴びただけかもしれないだろ?」
しかし、乙子は首を振る。
「私の体で血が付いてたのは両手だけだったの。もし彼の血を浴びただけだったら、私の顔や服ももっと血で染まってた筈だもん。
私がやったに決まってるよ」
乙子の目には、もはや昼間のような元気の漲る光が宿っていなかった。まるで何日も寝ていないような顔つきになっている。
「それでね、虫の息だったつー君が言ったの。『僕と1つに』って。どうやって? そう聞いたら、口をぱくぱくさせて、そこを指差した。
それで……ね。もう……分かるよね?」
「……もう良いよ、ありがとう。……悪かった。酷い話をさせたみたいだ」
気分が悪かった。彼女は断片的な話しかしていない筈なのに、記憶を直接見たような気がした。
何故、殺された人間の顔が次々と浮かぶのだろう。
「僕と1つに」その真意までもが入り込んで来たような。1つになる事で得られるもの。カニバリズムの由来。
つながりが見え始めた。何故「つー君」だけが逃亡を思い立ったか。即ち、殺人から逃れる術を得たか。
何故、あの殺人鬼は、黒人の鉄拳を受けて平然としていたか。そして、何故、乙子が「つー君」を殺していたのか。
「最後に1つだけ教えてくれ。『つー君』ってのは、どんな人間だった? 何か、彼といて不思議な事が起こったりした経験は?」
「クロト君みたいな人だった。不思議な人だったよ。なんだかね、彼の言いたい事は、直接頭の中に話しかけられるみたいによく分かったな」
「そっか……」
「あ、あとね、彼とは直接関係無いんだけど、その事件が起きる何日か前にね、変な夢を見たよ」
「変な夢?」
「うん、すっごく苦しい夢だった。死んじゃうんじゃないかって思うぐらい、ただ苦しかったの。
そういえば、傍に女の人が立ってた。何で覚えてるのかな、額に怖い刺青をしてたけど、美人だった」
「刺……青……?」
「……どうかした?」
黒人の目が大きく見開いていた。その顔から、驚愕が見て取れる。
その顔を乙子に見せたくないとばかりに背を向け、考え込むような様子で黙り込んでしまった。
「ねえ、どうしたの? 大丈夫?」
乙子が袖を引っ張る。人ごみで、子どもが迷子にならないように、必死で親の袖を掴むように。
それに気付き、無理矢理に表情を作る。
「いや、なんでも……ない。大丈夫だよ」
自分でも嘘寒い台詞で誤魔化して、足早に歩き出す。
「あっ、待って、1人にしないで……」
泣き出しそうな声で乙子が追いかけてくる。黒人がそれを見て立ち止まる。
「あ、ごめん。置いていく所だった」
「……ホントに大丈夫? なんだか変だよ?」
「大丈夫だって。さ、行こう」
それから、殆ど会話も無く2人は歩いていた。
その間、黒人は何度も同じ結論を出しては何度も打ち消そうとした。どうしてもその結論を認めたくなかった。
それでも、全ての糸は、既に繋がっていた。
番外1−5 END
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