番外編シリーズ4




邂逅(17)
〜鎮魂行〜






「気をつけなよ。盗賊とか出るらしいから」

 青年が唐突に言う。



 杏と青年の二人は、荒涼とした岩石地帯を歩いていた。

「……本当ですか?」

 息を切らしながら杏が訊ねる。

「冗談のようで事実だから性質が悪いよな」

 途端に、杏には、周囲から獲物に気付かれないよう、姿を隠す者の息遣いが聞こえたような気がして、 背筋が寒くなった。

「大丈夫、ちゃんと守ってあげるから」

 青年があっけらかんと言う。
 杏には、それだけでも十分、安心に足る言葉だった。



 本来は、杏の力で周囲の邪気ぐらいは勝手に流れ込んでくる。
 しかし、体力の少ない現在の杏では、その能力で命を落としかねない。 そこで、青年は杏に、十字架を模したアクセサリーを手渡した。 それによって、杏の能力が抑えられるというのだ。
 初めは信じ難かった。どう見てもただの安物臭いアクセサリーだったこともその要因だろう。 しかし、それを身に着けてから、現在まで、取りあえずは能力の暴走は無いようだ。
 周囲に誰もいない可能性もあるのだが。

「しかし、カラスの手も借りずに行くなんて、思い切ったことをするな、キミは」

 疲労が見て取れる杏に対して、息一つ切らさずに平然とした顔の青年が言う。 休みを取りながらとはいえ、出発してから既に二日以上も歩き通しのため、 平然としている青年の体力の方が異常と言う外はない。

「なんだか、楽をしちゃいけないような気がして……」

 杏が、まるで理屈の通らない答を返す。しかし、青年はその返答に不満は言わず、杏に手を差し伸べた。





「うーん、今日は野宿かなー」

 黒人が辺りを見回して呟く。彼らの周囲には、同じような形の岩石が果てしなく広がっている。 暗くてよく分らないが、民家や宿はおろか、人の気配すら欠片も無い。 まともな人間の気配は、だが。

「女の子には辛いんじゃないか?」

 振り返り、岩の一つに寄りかかってへたり込んでいる少女に問い掛ける。

 しかし、少女から返事はなく、よく見てみると、既に彼女は寝息を立てて、深い眠りに落ちていた。
 荒野に似合わぬ可愛らしい寝顔は、彼女が寄りかかる岩さえも美しく錯覚させる。

 その姿を見て、黒人は苦笑を洩らしながら、少女の側に寄り添った。



 翌日、少女は、辺り一面に転がる、完全に気を失った、 正体不明の者達――恐らくは、盗賊達――を目の当たりにすることになった。





 青年の家を出発してから一週間後、ようやく、杏と青年は目的地の一つに辿り着いた。

 そこは、それなりの大きさの街だった。一棟とはいえ、それなりに高いビルもそびえ立っている。 家の形は、やはり人にとってはこれが落ち着くのか、数世紀前から殆ど変わらないものが多い。
 中には、機能性を重視した、恐らくは人が動かなくとも、 機械が全ての作業をこなしてくれそうな家もあった。 しかし、かつて人間の体力の異常な減少に警鐘を鳴らした、とある高名な科学者の提言で、 杏達が生まれる何十年も前には当たり前のように存在していたこのような家屋は、 今や世界中を探しても数百棟あれば多い方だった。 恐らくは、裕福な寝たきりの老人などが住んでいたのだろう。

 そんな、どこにでもあるような風景が、二人の眼前には広がっていた。
 当たり前過ぎる街並みに、人が一人もいないことを除いては、 本当にどこにでもあるような風景が。

「警察も、とっくに封鎖を解いてる。まあ、事件の首謀者が消えたんじゃ、な」

 長旅で疲れの残る杏の手を引き、青年が言う。 杏は、それに頷くことも、何か言葉を返すこともせずに、青年に付き従う。



 それからの作業に、二人は何日かの時間を費やした。

 青年が周囲の木々を伐採して、運んでくる。 青年は、杏に休んでいろと言ったが、何もしないのは許されない気がして、 木々を削り、それを二本使い、ある形に纏めていった。
 それらを、民家の一軒一軒の前に、一本ずつ突き立てる。
 全ての家にそれを突き立てれば、作業は終わりだった。

 最後に、二人で並んで、両手を合わせ、静かに目を閉じる。
 青年は数秒でそれを終えたが、杏は、暫くの間、そのまま動こうとしなかった。





「……こんなことをしても、誰も救われるとは思えませんけどね」

 少女が自虐的なことを呟く。それは、独り言なのか、それとも黒人に向けて言われたのかは分からなかったが、 黒人は自然に口を開いていた。

「止めるか?」

 その言葉に、少女が捨て犬のような顔で黒人を見上げる。

 泣き虫な少女は、また涙を流すのだろうか。 そう考えた黒人だったが、予想に反して、少女の表情は柔らかく変化した。 やがて、うっすらと微笑みが浮かぶ。 しかし、無理をしているのは明らかだった。

「止めません……止められませんよ。これだけは、最後まで」

 少女は、まだ何か言いたげだったが、それ以上は言葉にならないようで、 ただ強く、黒人の手を握るだけだった。
 その様子が流石に気の毒だった黒人は、今し方終えたばかりの、 自分達の成したものを振り返り、言う。

「救われるのは、キミなんじゃないかな」

「え?」

 少女は、意味が分からないとでも言うかのように首を傾げるが、 黒人はたった一言付け加え、それ以上、何も言わなかった。

「全部終われば、分かるよ。きっと」

 そして、黒人は、空いた方の手で少女の頭を撫でてやった。





 道中は、杏に危険が降りかかることはなかった。 全て、降りかかる前に、青年が排除していたからだろう。
 大抵の場合、二人を襲う相手が生物ならば、それらは夜を狙って来た。 しかし、襲う相手にとっては運の悪いことに、青年の生活パターンは「夜型」だった。 杏は一般的な朝型なので、青年もそれに合わせていたようなのだが、 それでも夜は眠りが浅いらしく、また、警戒もしていたので、 怪しげな物音一つですぐに目を覚ます。 そして、哀れな者達は、哀れな結果へと最短距離で向かう羽目になった。

 お陰で安全な旅路を送ることができた杏だったが、なんだか申し訳ないような気持で一杯だった。
 青年に対して、また、杏を狙って来た者達に対しても、自分が囮になって引き寄せたような気がして。

「やっぱり、私が強くなきゃいけませんよね!」

 ある時、何故かそんな結論に達し、そう力強く言った杏に、 青年は呆気に取られた表情を隠そうともしなかった。





 途中、アンナの住んでいたという街へと立ち寄る機会があった。
 しかし、アンナの両親は見つからなかった。 それどころか、アンナを知る者すら、一人として見つからなかった。

 まるで、「アンナ」という存在が、初めから無かったかのように。

「なんだか、私と関った人が皆、いなくなっていくみたい……」

 杏が淋しそうに言う。
 消え入りそうなその声が聞こえたのか、突然青年が立ち止まり、杏の正面に回り込んだ。 そして、俯き加減な杏を見上げるような状態まで頭を下げると、人通りがあるのを気にしてか、 小さな声で、それでも力強く、言った。

「俺は死なないよ」

 そして、子供のような笑顔を向ける。

 他の者が言えば、ただの馬鹿な発言として、聞き入れられもしないだろう。 しかし、青年の言葉は、確かな真実として、杏の心の奥まで響き渡った。

「……えへへ」

 暫く経って、青年の言葉を思い出した杏からは、自然に笑顔が零れていた。





 最後の街は、杏の故郷――正確には、二つめの故郷――だった。
 この街に着いた時点で、旅立ちから一年以上が経過していた。

 あまり破壊の見られない場所からは、 まだそこから人がひょっこり出てくるのではないかと錯覚してしまう。
 そして、杏の家は、ところどころに血痕が見られることを除けば、殆どそのままの形で残っていた。
 中に入ると、この家での思い出が、鮮明に蘇ってくる。

 毎朝、母の料理の香りが漂ってきたキッチン。

 煙草の匂いが染みついていた、父の書斎。

 そして、毎日をクロと過ごし、眠る時にも一緒だった、杏の部屋。



「おーい、どうしたんだ、こんなとこで」

 振り返ると、青年がいつの間にか杏に追い付いていた。 既に誰もいないのにも関らず、律儀に靴を脱いでいる。

「ここ、私の住んでいた家なんです。この部屋は、私とクロの部屋だったんですよ」

 懐かしそうに杏が言う。顔には、笑顔が張り付いている。

「……そっか」

 青年は短く言うと、そのままその場を後にした。彼なりの気遣いなのだろう。

 青年がいなくなったその部屋で、杏は、笑顔を貼りつかせたまま、声も無く、泣いた。
 ほんの短い時間のことだったが、涙の跡が床にしっかりと残っていた。





「んじゃ、やるか」

 思ったよりも早く家から出てきた少女に、黒人が言う。 少女は元気良く返事をすると、家の方を振り返ることもせずに何処かへと走って行った。
 黒人は、大して速くもない少女の駆け足に、同じく駆け足でついて行った。



 作業は、他の街でやったことと同じだった。
 材木を黒人が切り出し、少女がそれをある形に纏める。 それを家々の前に突き立てて行く。それだけだ。

 最初は、黒人が材木を切り出してくるスピードに、少女の作業が追い付いていなかったが、 今では、少しはマシになったのか、順調に黒人の運んだ材木は無くなっていった。



 今までの中でも特に大きな街だったのが原因なのか、 全ての作業が終わったのは、街に着いた頃には月の初めだったのが、下旬に達してからのことだった。
 やはり同じように、最後に二人で並び、両手を合わせ、静かに目を閉じる。





「何だか、分かったような気がします」

 杏が呟く。

 旅が始まったばかりの頃は、意味が分からなかった青年の一言。
 旅の中で、幾度も同じことをしていく内に、その意味が、実感と共に理解できた。


 皆、悲しんでくれる存在がいる。
 自分がその存在になることで、皆の生が、死が、ただの事象ではなくなった。
 そして、皆の存在に「意味」が出来たことで、自分にも、何か「意味」が生まれるような気がした。

 それが、杏にとっての、救いだった。





 一年以上振りに辿り着いた我が家で、黒人は再び少女を招き入れる。
 少女の体は、旅を通して、完全に元の状態に回復していた。 もう、日常生活を送るのに黒人の協力は必要ないだろう。 黒人には、それが嬉しくてたまらなかった。 杏の世話を焼く必要がなくなったからではない。 ただ、純粋に、助け出した娘が元気を取り戻したことが、嬉しかった。
 しかし、一方の少女は、浮かない顔をしている。



 青年の助けが必要でなくなった今、この家にいる理由など無いのだから。







番外4−17 END









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