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番外編シリーズ4




邂逅(15)
~帰還~






 夜空を飛ぶヘリコプターは、やがて朝を一番に迎える。 日光の差し込む内部は、赤黒い血痕で塗り固められている。 それが全て、たった一人の人間から搾り出されたものだと言っても、にわかには信じ難い量だった。

 杏は、呆けたように、ただ朝日を眺めていた。





「あんたは脅されてただけみたいだし、このまま家にでも帰ると良い。 ただし、俺達のことは見かけなかった。OK?」

 黒人の言葉に、操縦士は素直に頷く。 と言うより、他の選択肢も無く、 仮にあったとしても、それを考えられる思考能力は、彼には残ってはいなかった。
 ただ、このまま家に帰れば、内部の惨状をどう説明するべきか、ひどく悩むことになるが。

 ――まあ、途中で乗り捨てるなり何なりするだろう。
 黒人もそう考え、あえてヘリの内部をどうこうする気は無かった。

 人間同士の会話が済むと、嘴を血で赤く染め上げた烏が、誰に言われるともなく、ヘリから飛び立った。

 しばらくの間ヘリから離れるように滑空した後、大きく旋回し、ヘリへと引き返して来る。 戻って来た頃には、既に烏の体は、ヘリに収まりきらない大きさになっていた。
 ヘリと並んで飛ぶ巨大な烏の背に、黒人が少女を抱えたまま、乗り込む。
 それを確認したのか、烏は次第にヘリから遠ざかり、ゆっくりと下降を始めた。



 そして、朝焼けの空には、まるで事態について行けなかった操縦士ただ一人が乗る、 血ぬられたヘリだけが残された。





 烏は、地面に近付き過ぎることもなく、しかし雲よりも高く昇ることもなく、飛び続ける。 向かう先は、黒人の家だった。
 少女の体に障るため、あまり速度を出すような真似はしなかったが、 かと言って極端に鈍くなることもせず、その様は、「優雅」という言葉がよく似合っていた。

 要塞へと向かった時の倍以上の時間をかけ、烏が黒人の家の玄関に降り立った頃には、 朝日ははっきりと眩しい輝きを放っていた。
 黒人に抱かれている少女は、疲労がピークに達したのか、 それとも、全てから解放された安堵からか、あるいはその両方のためか、深い眠りに落ちていた。 血で汚れてしまっているにもかかわらず、少女の眠る姿は、柔らかな表情が可愛らしく、 まるで精巧に作られた人形のようだった。







 杏の目が覚めたのは、二日後のことだった。

 ほんの一月前までは当たり前のようだったのに、今ではそれが夢のような、 柔らかく、温かく、心地良い感触が身を包んでいる。
 その肌触りはあまりに懐かしく、自分の身を覆うそれが布団であると気付くのに、 少しばかり時間を要した。また、自分が今、どんな状況にあるのかに気付くのにも。
 体を動かそうとするも、殆どの部位が、痛みの限界を超え、麻痺してしまっているようで、 首を動かすのがやっとだった。 そうしてなんとか自分のいる空間を把握しようと試みていると、 不意にドアの開く音がした。 鉄の牢の錠が開くような、心に枷をかける重々しい音ではなく、 朝の訪れを人が知らせてくれる、小気味の良い木の扉が開く音だった。
 扉の向こうから現れた青年は、目を覚ました杏の姿を見て、驚いたように声を上げた。

「目が覚めたのか! 良かった……!」

 慌てて駆け寄って来る青年の姿を確認して、ようやく、杏は悪夢の終わりを悟った。
 青年は、心の底から安堵した様子で、杏の寝る布団の前に腰を下ろす。 手には小さな皿とスプーンが握られている。

「正直、不安だったんだ。あの日から、熱は出るわ意識は戻らないわで、 本当に死んじまうんじゃないかと思ったよ」

 やけに早口で喋る青年の声からは、嬉しさが隠しきれない様子がありありと伝わってくる。 杏には、それが少し照れくさく、涙が出る程、嬉しかった。

「大丈夫……ですよ。私、本当に……死なないみたい……ですから」

 ゆっくりで弱々しい声だが、なんとか話すことはできるため、 青年と言葉のやり取りをすることは可能だった。



 そして、紡がれた冗談のような杏の返事に対し、青年は少し考え込む姿を見せた後、口を開いた。

「キミは、フィス……妙な女と会わなかったか? 黒くて長い髪に、鋭い目つきの」

 杏には、その言葉に聞き覚えがあった。 あの惨劇の夜、「要塞」の住人達も、同じようなことを彼女に訊ねた。
 不思議に思ったが、杏は、青年の問い掛けに対して、素直に肯定の意思を示した。 すると、青年は、やはり考え込むような仕草で、呟くように言葉を続けた。

「やっぱり、そうだろうな。でなけりゃ、あの傷で生きてる筈が無い」

 青年の言う謎の女性と、杏が死に難くなったことには、関係があるようだ。 それに、彼の口ぶりから、彼自身はその女性と何らかの関りを持っていることが窺える。

 青年は、更に続ける。



「簡単に言えば、キミは不老ではあるけれど、死なない訳じゃない。 どこまでが限界なのかは俺にも分からないが、確実にデッドラインってのは存在する」

 杏には、暫くの間、言葉の意味がよく理解できなかった。老いることは無いのに、死ぬ。 その奇妙な組み合わせが、杏の頭を混乱させた。

「どういう……こと、ですか?」

 単純な質問に、青年は嫌な顔一つせずに答える。

「言った通り。何事もなければ、永遠に死ぬことはないけれど、殺されれば死ぬ。 逆に言えば、キミや俺が死ぬ方法は、事故か、殺されるかぐらいだってことだ」

 青年は、敢えて「自殺」という言葉を飲み込んだようだった。





「じゃあ、彼らのやってきた事は……」

「ん、まあ、全くの無駄ってことになる」

 気まずそうに黒人が言う。後頭部を掻くのは癖だろうか。

 少女の説明を聞くに、「要塞」の主 ――その死に様が相応しいような最期を遂げた、醜い小男――は、 永遠の命を得る為に、フィスキーナによって力を与えられた人々を拉致していたようだ。
 そして、実験と称して、彼ら、彼女らにおぞましい拷問を加えていた。

 しかし、「与えられた」者達は、古い伝説に現れるような不死鳥ではない。 彼らの生き血を啜ろうとも、永遠の命など宿りはしない。 無論、少女や黒人のものであったとしても。

 そもそも、彼ら自身も「死に難い」だけで、完全な不死者など、いなかった。 要塞の住人達は、そのありもしない幻想を求めて、ただ、虐殺を繰り返していたに過ぎない。



 だったら、殺された人達は。殺されかけた少女は。

 少女にとって、これ程にショックな事実は無いだろう。 自分の命に、まるで価値が無いと言われたようなものなのだから。





 意味も無く殺される。その事実が、あまりにも怖ろしいことだと、杏は初めて理解した。
 そして、実際に殺された人々のことを考えると、それだけで脳が悲鳴を上げた。

「アンナちゃんも……何の為に……」

 口に出してみると、余計にそれが重くのしかかってくる。 脳裏に、アンナの最期の姿が浮かぶ。 傷付いた杏の身心では、程なく押し潰されてしまいそうだった。



「キミは、どうしたい?」

 杏の葛藤に割り込むように、青年の声が響いた。 ほんの少し、迷いも含まれてはいるが、杏を気遣う優しい声だった。

「復讐をしたいと言っても、もうそれは果たしてしまった」

 青年の言葉は事実だった。 既に復讐が終わっているのに、後からその原因を知ることの、何と後味の悪いことか。
 どんなに恨みつらみを込めた呪いの言葉を吐きながら、嬲るように殺してやりたいと思っても、 相手は既に、似たような手段で殺されている。



 それならば――。

 やがて、杏の思考は、復讐すべき相手から、殺された人々へと向かった。





「だったら……せめて――」

 少女が答える。黒人はそれに同意した。 そもそも、少女が何を言っても、反対するつもりはなかった。 黒人に、最も傷の深い、少女の胸中を窺い知ることはできないのだから。

「うん、良いんじゃないか?」

 その後に、少しばかり言葉を付け加える。最も黒人が懸念していることを。

「ただ、ちゃんと傷が治るまでは、大人しくしていた方が良い。 そもそも、今の状態じゃあ満足に動くこともできないだろう?」

 少女の体は、その殆どが包帯やギプスで覆われていた。 なにしろ、少女を看た医者によれば、 「折れていない骨を見つける方が難しい」と言わしめる程の有り様だったらしい。
 そんな生きているのが不思議な状態でも、 諦めずに治療を続けてくれた医者には、感謝してもしきれないが。


 少女自身も、自分の体がどれだけ傷ついているかは分かっているようで、黒人の言葉に素直に従った。

 黒人がそれを褒めるように、傷に障らないよう、優しく少女の頭を撫でてやる。  少女は、心地良さそうに目を閉じる。 頬の紅潮は、熱によるものだろうか。





「あの……そのお皿は?」

 話に一つの区切りをつけたからか、気分が落ち着いたところで、 杏は急に、周囲に気が向くようになった。
 この時、杏が最も気になったのは、青年が部屋に持ち込んだ皿のことだった。

「ああ、そうだ。いや、何日も寝てたから、腹減ってるだろう? 一応、作ってきたんだけど」

 青年が皿を手に取る。掌より少しだけ大きい程度の白い皿で、 中からは湯気と共に、食欲をそそる匂いが立ち昇っていた。

「医者はなるべく柔らかくて飲み込み易いものが良いって言ってたからね。 やっぱりこういうときは、お粥が良いよ」

 青年がスプーンで皿から粥を掬う。梅干しを添えられ、僅かばかり朱色に染まった溶けかけの米粒は、 窓から差し込む光を反射して鈍く輝く。
 彼はそれに息を吹きかけ、粥を食べやすい温度まで冷ますと、母親が子供にそうするように、 杏の口にスプーンを近付け、からかうような笑顔で言う。

「はい、あーん」




 青年のたった一言で、杏の体温が、一気に上昇した。







番外4-15 END









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