番外編シリーズ1
つー君とZ子(3)
〜会話〜
「こんにちは」
マスクを付け直し、カウンターへと歩み寄り、マスクのせいでやや篭った声で黒人へと挨拶する。
その物腰から、しつけが行き届いているように見える。
「ああ、こんにちは。えっと……」
挨拶を返し、体ごと彼女の方を向く。こういう時、回転する椅子は便利なものだ。
「私、オツコ。漢字で書くと乙姫の『乙』って字に子どもの『子』って書くの」
「乙子さん、ね。会って早々こう言っちゃなんだけど、変わった名前だね」
「あはは、私もそう思う」
マスクをしていても、笑顔の魅力が削がれることがない。さぞかしモテるのだろう。
「あなたのお名前は?」
「え? ああ、俺は黒人。よろしく」
「よろしく。店長以外に挨拶した人は久しぶりよ」
「へえ、やっぱり例の事件のせいで?」
言った後で、黒人はしまった、と思った。
彼女は表情を変えないように努めていたが、僅かにその白い顔に陰りが見える。
「ああ、いや、いいよ。ごめん。悪かった」
「ううん、大丈夫。そう、あなたの言う通り。あの事件があってから、外を歩く人もぱったり」
「……確かに、見かけた人は皆お巡りさんだったね」
「だから、本当に久しぶり。普通の人と話すのは」
「おやおや、私は普通ではないのですかな?」
カフェオレを黒人の前に置き、まるで孫をからかうかのように店主がそう言った。
「あはは、ごめんなさい。店長以外で、が抜けてたわね」
口を―――マスクで分からないが、恐らくそうであろう位置を―――手で押さえ、笑う姿は無邪気な子どものそれによく似ていた。
「クロト君って、私と同い年ぐらいよね。そんな風に見えるけど」
「ん? 何、突然?」
3人で雑談をしている最中に、乙子がふと黒人に尋ねた。
それは本当に突然で、黒人は実に久しぶりに意表をつかれた。
「なんとなく、知りたくなって。妙に大人っぽいんだよね〜。達観してるって言うの?」
「はは、そんなんじゃないって。心が荒んでるんだよ、きっと」
「そんなんじゃないってば。で、幾つなの? だいたい……18ぐらい?」
「さあてね。見た目よりずっと年上かもよ」
「あはは、実は若作りのおじ様? それはそれで魅力的かも」
小首を傾げて黒人を見つめる乙子は、やたらと子どもじみて見えた。
「でも、やっぱり高校生ぐらいなんじゃない? これから何でも出来る時期だね」
「何でも?」
「うん、だってまだ進路とかを決めるまでは、沢山の可能性があるじゃない」
指で顎を弄りながら、その言葉の意味を少し考え、やがて納得したように黒人が言った。
「成程、確かにそうだ。夢の見れる最後の時期だ」
黒人の付け加えた言葉に、くすくす笑いながら、乙子が続ける。
「意地悪な考え方ね。クロト君には、夢とかある?」
「夢か……。まあ、あるような、ないような」
「教えてくれない?」
乙子が体を乗り出すように、黒人に顔を近づける。
「……いやに人の事を知りたがるね」
勢いに押され、少し椅子の上で仰け反りながら、黒人が言う。
「性分なの。私、気に入った人の事とかすごく気になるの」
「俺なんかを気に入ってくれたの?」
「そ」
短く息を吐き出すように乙子が言った。
やがて、観念したかのように頭を掻き、黒人が話し始めた。
「……そうだな、俺は、世界中を平和にする事かな」
左手の手袋を握り締め、話を続ける。
「俺の使える力を全て使ってでも、成し遂げてみたい事ではあるね」
「うわ〜、大きな事言うわね」
「はは、違いない。んで? 君の夢は?」
「え? 私の?」
「ん、君の。君も、高校生ぐらいだろ?」
これは乙子も意外だったらしく、ただでさえ丸っこい目を更に丸めて驚いていた。
しかし、つと空中を眺めていたかと思うと、素直に語り始めた。
「……そうね。私は、此処みたいな喫茶店を建てたいな」
「喫茶店か。そりゃまた年寄りじみた夢だね」
「年寄りですみませんね」
黒人が店主の方を見ながら言うものだから、ようやく彼も話に割って入る事が出来た。皮肉のようでいて、その実、照れ隠しのようにも聞こえた。
「それでね、毎日、ゆったりお客さんを待ってるんだ。
本とか読みながら、自分で作ったコーヒーなんか飲んで。
1人もお客さん来ない事もあるかも。でも、それでも良いの。
そんなのんびりした時間を死ぬまで過ごすのって、なんだか憧れちゃうの」
「はは、いよいよ年寄りくさい考えだ」
「悪かったわね」
頬を膨らませる動作をしながら、やはり声は笑っている。
「悪いなんて言ってないさ」
黒人も合わせて困った風にしてみせる。勿論本気で困っている訳ではない。
さらに間髪入れずに、次の台詞を並べる。
「それに、そういう暮らしも悪くない」
黒人がカフェオレを置くと同時に、ふふんと鼻をならして乙子が得意げに微笑む。
「でしょう?」
話は尽きず、というより乙子が尽かせず、一息ついた頃には飲みかけのカフェオレが冷たくなっていた。外を見ると夕日が建物の影に入る程の高さになっていた。
「あー、こんなに話したのホントに久しぶり。何年ぶりかしら」
「俺もだ。それもまさかこんな所でとは思いもしなかった」
「わっ、もうこんな時間。いつもより長居しちゃったかな。ごめんね、店長さん」
そう言う乙子の目は、どことなく淋しそうだった。
「さて、暗くなったら危ないし、さっさと帰ろっかな」
代金を支払い、慌てて店を飛び出そうとする乙子に、呼びかける声があった。
「待ちなよ。暗くなくても危ないだろ、今は。家まで送って行こうか?」
思いがけない申し出に、少し戸惑いながらも嬉しそうな顔をして黒人に駆け寄った。その様は、主人を見つけた仔犬のようだった。
「ホント? ありがとう! あっ、でも、まさか変な事するつもりじゃ……」
「……して欲しいの?」
ずいっと乙子に近付いて店主に聞こえないよう、黒人が囁く。
当然というか、乙子は目を白黒させ、慌てて誤魔化した。
「うそうそっ、冗談だってば! ほらっ、行こっ」
乙子は顔を赤くしながらそそくさと店を出た。
(う〜、まさか返されるとは思わなかった……)
そう思い、黒人の方を振り返る。黒人はなんてことないような顔で後ろから付いて来ている。
実は、黒人自身にも自分の発した言葉の意味はよく分かっていない。
はるか昔、姉に冗談交じりに教えられたままを実行しただけである。
黒人も使う機会が来るとは思っていなかった。
道中でも、乙子はよく喋った。蝉や鈴虫の方が大人しいんじゃないかと思えるほどだった。
「クロト君って、ギター弾けるんだ! 今度聞かせて?」
「良いけど、ロクなもんじゃないよ。ギターもアンプも古い物だし」
「大事に使ってる証拠よ」
「買い換える金が無いだけだよ」
「じゃあ親とかにねだっちゃえば?」
「ん〜、ねだる親もいないしなあ」
「えっ、クロト君も1人暮らし?」
「………まあ、そんな感じかな。それより、君も1人暮らしなの?」
「………うん、まーね。あ、ほら、あそこ!」
他愛のない会話を続けている内に、乙子の家に到着した。日は既に落ち、闇がそこかしこに転がっていた。
光は、のっぺらぼうでもうずくまっていそうな、古びた街灯からこぼれるのみである。
乙子の家は、所謂一般的なマンションだった。決して広いとは言えないが、1人で暮らすには丁度良い広さだ。
「送ってくれて、ありがとね」
「いーよ。大変な時なんだし」
それにしても、この娘のお陰で、まるで何も調べられなかった。
「ごめんね、色々話し込んじゃって。ホントは何か目的があって来たんでしょ? でなきゃこんな時にこんな町に来ないもんね」
「まあ、色々あったんだけどね。そんな日もあるさ。君が楽しそうなのを見てると、ついね」
そっけなく言うような言葉も、喫茶店を出る時のやり取りを思い出すと、乙子は何故か意識してしまう。
乙子がもじもじしている間に、黒人は開きっぱなしになっている部屋のドアに手を掛け、小さく手を振った。
その姿に、思わず乙子の方から黒人に歩み寄り、大きな声で叫んでしまった。
「………私っ! 明日もあの喫茶店にいるからっ!」
思いがけない大声に、黒人はしばし動きを止めた。と言うより、驚いて硬直した。
やがて、言葉の意味を反芻し、短く返事した。
「そっか」
その黒人の笑顔を最後に、重い鉄の音で、ドアが閉められた。
「さてと……」
帰り道、閑散としたコンビニで、黒人は懐中電灯を1つ買った。
店を後にした黒人の瞳が、月光を反射して金色に輝いた。
番外1−3 END
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