番外編シリーズ1
つー君とZ子(2)
〜或る事件〜
「―――警察の捜査が続いていますが、犯人は、依然逮捕されておりません」
外では、枝に芽を潜めた樹木が、やがて来る春を信じ、北風に耐えている。
そんな事も露知らず、黒人は、ぼんやりとテレビを眺めながらコタツの中でまどろんでいた。
「これは……集団死って言うのか? 何にせよ、殺人に違いは無いわな」
一方的に情報を送りつけてくるだけのテレビからは、黒人の問いへの答が返ってくる事はない。
それでもテレビを相手にお話してしまうのは人間の性なのだろうか。
それはまあ置いといて、テレビから垂れ流されているニュースは、ここ最近に起こった、
連続変死、及び殺人事件についてのものだった。
心臓麻痺のような突然死的なものもあれば、体の一部が切り取られているような猟奇的なものもある。
しかも、それらはかなり近接した場所で起こっており、時間的にも、次の遺体が見つかるまで2日と掛からない。
あまりにも死ぬ間隔が狭すぎる。そんな事件の背景に、近隣の住民達は、
常に氷のようなものが背中に押し付けられているような感覚を味わっていた。
実は、黒人が現在住んでいる町も、かなり事件の起こった地域に近く、
中には、ほとぼりが冷めるまでと遠く離れた場所へ逃げる者もいた。
「事件の現場付近には、決まって同じ形の、箱のような物が廃棄されており、
事件の起こったこの町の中央モニュメントにある、同様の物とも何らかの関連が……」
奇妙な、誰に向けるでもない報告を聞き、黒人の眉根が微かに釣り上がった。
「同じ形の箱……。これは一応調べに行った方が良いのかな?」
大きくあくびをしながら、余計にコタツの中に潜り込む。
「……ああ、駄目だ。目が覚めてから……行こう……」
そのまま、黒人はコタツに肩まで埋めて眠り入ってしまった。
3日間程。
「―――何故このような事件がこうも立て続けに起こっているのでしょう。
我々は、専門家の先生にお話を伺って来ました」
「……だから専門家って、何の……」
無意識の内にテレビにツッコんでいる途中で、ふと気付いた。
「っ日付はっ!?」
日付表示機能のある時計に表示されるデジタル文字を見て、ようやく黒人は自分が何日間眠っていたのかを知った。
「やべっ……電気代! コタツのスイッチも入ったままだ!」
慌てて電源を切るが、今更どうしようもない。
やがて来る徴収日には、普段よりかさばった料金表を見て泣くことになるのだ。
「はぁ……迂闊だった。勿体無いなー」
ぐちぐちと独り言を零しながらコタツから這い出し、強張った筋肉をほぐす。
体の硬直がなくなると、眠っていた分を取り戻すかの如き量の食事を摂り、着替えに移る。
しかし、冬の寒気はあっと言う間に暖房の力を失った部屋を侵略し、そのせいで黒人は着替えるのが億劫になった。
それでも、渋々ながら、自らの体温で温もりを得た洋服を手放し、冷気でコーティングされた新しいシャツに腕を通す。
暫くの間の冷たさに耐えながら、顔を洗う。勿論、冬に水で洗うのは黒人だって嫌だ。
水が温まるのを待ってから、手をつける。が、少し湯を出し過ぎたらしく、熱さに手を引っ込めた。
丁度良い温度になってから、歯を磨き、顔を洗う。3日間で伸びた髭も、一応剃っておく。
「まだ殺人鬼は近くにいるのかな、と」
ニュースでは新たな遺体についてのニュースでごった返していた。
どうやらまだまだ人殺しは事件のあった町を離れるのが淋しいらしい。
「んじゃ、ま、行きますかー。っと……うあー、寒いー」
外の冷気は、湯で洗ったばかりの顔を引っ張り、黒人の表情を引き攣らせる。
腕組みをするようにして体がこれ以上冷えるのを拒むが、寒さは容赦なく襲ってくる。
「っ〜、おのれ殺人鬼……」
何か間違った方向へ殺人鬼への怒りを増幅させつつ、5キロと離れていないその町へと向かった。
今なら、黒人にも木枯らしに耐える木々の気持ちが分かるような気がした。
つくづく、自分に動ける体があることに感謝した。
道中、外には人がいなかった。それは勿論、例の事件を怖れてなのだが、
もしも犯人が能力者ならば、そいつは家の外からでも、容易く人を殺す力を持っているかもしれない。
それに、もしそれが大した能力ではないのなら、警察だけでもどうにかできる。
しかし、例えば殺傷力に優れている能力を持っていれば、警察が犯人を見つけたところで、
三途の川で釣りを楽しむ事になるだけだ。同じ能力者でも歴然とした差はあるものだ。
そして、今回の能力者はおそらく後者だろう。前者ならば警察が動いた時点で身を潜める。
どちらにせよ、さっさと片付けてしまわないと厄介だ。
朝早くから、警察は事件現場での捜査を行っていた。
その町は、遠くから見ると、山のように見える地形をしていて、その中心、
山頂に位置する場所にある大きなモニュメントは、ちょっとした名所らしい。
モニュメントの周囲は公園になっている。
少し意地の悪い見方をしてみると、その町は、なんというか、「スズメノハカ」なのだ。
子どもが死んでしまったスズメを埋めて、そこに石を置いて弔う、その墓の形によく似ている。
アイスの棒なんかを使う子もいるようだが。
黒人はひとまず、モニュメントに向かう事にした。
モニュメント周囲の公園に、何かおかしなものを見たのだ。
それは、一言で言うなら、棺桶だった。しかし、蓋が赤い。
まるで、血か何かを浴びせたように見えて薄気味悪い赤だった。
「まさか、箱ってのは、アレ……の事じゃなかろうな」
思ったよりも急勾配な坂を上りながら、そんなことを考えた。
確かに棺桶は1つや2つではなかった。寧ろ、公園を赤で塗り潰す程の数があった。
しかし、所々に赤の抜け落ちた部分があり、そこだけは黄土色が覗いていた。
「アレ……か、やっぱ。ニュースでも言ってたもんなァ」
ぶつぶつと言う様は傍から見れば怪しいにも程があるが、生憎それを見るような人間は外出していない。
せいぜい捜査中の警察ぐらいだ。
そもそも、警察は事件現場の捜査に力を入れているようであり、町中には聞き込みの人間ぐらいしかいない。
なぜ町中に犯人がいるとは考えないのだろうか。それとも、もう町中の住民は調べ尽くしたのだろうか。
それなのに、未だに聞き込みをしているとは、何とも無駄な作業に思えてくる。
聞き込みをしている本人達も考える事は同じのようで、2、3何かを聞いてすぐに次の家に向かっていた。
「あらら……やっぱり警察がいるな」
少し離れて様子を見てみると、黄色いテープが公園を囲っていた。
その手前には、生真面目そうな若い警察官が何人か見張りをしていた。近くにはパトカーもある。
暫くすると、テープの向こう側から、おそらく鑑識と思われる人が出てきた。
隣には、警察のお偉いさんのような人がついていた。結果をいち早く聞きたいらしい。
しかし、期待していたような情報は得られなかったらしく、落胆の色が、お偉いさんの表情に影を落とした。
「参ったな、無理から入り込むのも気が引けるし……」
困り果てた黒人に、知恵の神様は降りてこない。
黒人は、こういった作戦とかを立てるのが大の苦手なのだ。なまじ戦闘能力が高過ぎるため、
いつも力押しでどうにかなっていたからだ。
力ではどうすることも出来ない事もある。頭を使う事を覚えるのも必要だ。
黒人は反省しつつ、公園を離れる事にした。
「さーて、どうするか……。どっかで考えるかー」
高い位置から町を見回し、喫茶店のような建物を見つけると、黒人はそこを目指して真っ直ぐ歩いた。
もしかしたら店の人間も臨時休業とかにして家に篭っているかもしれない。
殺人犯はまだ捕まっていないし、可能性は十分にある。どうせ客も来はしないだろうから。
不安に思いながらも、その喫茶店のドアを覗き込んだ。
意外な事に、店は開いているらしく、黒人は安心して、心置きなくドアに手を掛けた。
「いらっしゃい」
黄色味を帯びた照明の中、木の臭いのするカウンターの向こうから、
老年の男性が、相手の緊張を解すような優しい声で挨拶する。
何とも懐かしいような気分にさせられながら、黒人はカウンターに座った。
「大変な事になってるってのに、随分と爺さんは呑気ですね」
「なに、もう私も十分人生を楽しみましたからね。殺されるってのは嫌な感じですが、
それもしょうがない事かもしれません。許せないのは、若い方達まで連れてってしまう事ですよ」
「へー、やっぱ、歳を取る人はそんな考え方も出てくるんすね」
カフェラテを注文しながら、黒人が零した言葉に、店主が怪訝な顔をした。
慌てて黒人は、前言を訂正した。
「あ、いや、歳を取った人は、です」
「ああ、そうかもしれません。でも、出来るなら、与えられた寿命の分だけ生きていたいですねぇ」
「うん……そーです、ね」
生きていたいと願えるのは、死があるからこそだ。
もはやその概念の無い自分と、死が目前に迫っているこの人と、どちらが日々を一生懸命生きているのだろうか。
いや、どう言い訳しようとも、答は決まっている。
「それにしても、客もいないのに、ずっとここにいるんすか?」
「ははは、そうですね。しかし、あなたのように突然お客様がいらっしゃるかもしれませんし、
ほら、そこにも。毎日来てくださる方もいますので」
店主が見た方向に視線を向けると、店の隅のテーブルに、確かに客が座っていた。
店内の淡く黄色い光は、店の隅々まで照らせているわけではなく、所々薄暗くなっている。
その客が座っていたテーブルも、光の届かない優しい闇に包まれていた。
「1ヶ月程前から、毎日通ってくださるんです。そんな方を差し置いて、
私だけ隠れている訳にもいきませんでしょう?」
「そう、です……ね」
1ヶ月前。
例の事件が起こり始めたのも、確か1ヶ月前だった。ニュースキャスターが言い間違えたのでなければ、
確かにそう聞いた。
店の隅でコーヒーを片手に何かの本を読んでいたその人は、視線に気付いたらしく、黒人の方を見た。
暗くてよく分からなかったが、どうやら女性らしい。歳は、まだ高校生ぐらいのようだ。
今時珍しいオカッパ頭に、赤基調のフード付きのコートは、なんとなく、古い童話の「赤頭巾ちゃん」を連想させる。
風邪でも引いているのか、マスクを付けている。今はコーヒーを飲む為に外しているようだが。
よくよく見てみると、なかなか整った顔立ちをしている。その目は長く見ていると吸い込まれてしまいそうだ。
外の寒さのせいか、ほんのりと赤くなった頬や鼻が、一層彼女の可愛らしさを強調している。
美女コンテストで優勝できる程、とは言わないが、クラスのマドンナぐらいには見える。
黒人の姿を確認して、彼女が会釈した。黒人もつられて挨拶する。
彼女の微笑みは、雪のように印象的で、それでいて儚げだった。
番外1−2 END
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