番外編シリーズ4




邂逅(12)
〜不敵〜






「体が動かないだろう。そういう力だからねぇ」

 禿頭の大男が言う。事実、黒人の体が動かなくなっている。 しかし、上半身はどうにか動くようで、周囲の状況を確認する程度のことはできた。
 背後から聞こえる呻き声で、少女も黒人と同じ状態になっていることが窺える。
 やがて、それとは別に、荒々しい、奇声のような声が聞こえてきた。要塞の住人達が、黒人を遠巻きに取り囲んでいるようだ。

「お前さん、随分暴れてくれたみたいだねぇ。しかし、俺の力に囚われた状態でそれだけ動くとはねぇ。成程、並の強さじゃあなさそうだ。 一般人なら、瞬き一つ出来なくなる筈だからねぇ」

 黒人は、下半身、機動の要である足を動かすことができなくなっていた。 瞬間的に、これまで起こっていた街ぐるみの惨劇に、抵抗の跡が殆ど無かった理由を悟った。

「そうか、この能力のせいだったんだな」

 そうして冷静に状況を判断している黒人の背後で、牢の錠が開く音と、 どすどすとその人間の体重が窺い知れる足音が響いた。


「あうっ!」

「おい! スト! この女がそうなんだな!」

 壁に叩きつけられた少女の声とほぼ同時に、「不快」という感情を凝縮させたような声が響いてくる。 黒人が上半身を捩って、無理矢理に牢の方を見る。
 黒人は一瞬、豚が立って歩いているのではと錯覚した。直後、豚が愛おしく感じる程、そいつの醜さを認識できた。

「そうですとも! それをさっさと運んでやってくだせぇよ!」

 「スト」と呼ばれた禿頭の大男が遠くからでも聞こえるように声を張り上げる。 その声を聞いた醜い小男は、汚らしく笑い、少女を乱暴に後ろ手に縛り、連れていこうとする。 しかし、少女の足はとても動けるような状態ではない。そもそも、ストの能力によって、体そのものが動かないのだ。力も入らず、体勢を崩し、そのまま倒れてしまった。その表情から、痛みに悲鳴を上げてしまいそうなのを必死で堪えているのが分かる。
 小男は、それでも尚乱暴に、少女を倒れた状態のまま引きずり出した。なんとか止まろうと試みてはいたが、その体の状態では碌に抵抗も出来ない様子だった。

「ぐふぇへへへ! この女さえいれば何の心配もいらん! ただし、ストよ! その侵入者は許すな!  あの警察官や新聞記者のように、『殺して下さい』と言いだすまで殺すな! いや、例え言ってきたとて、殺すな! わしが永遠の命を手にした後、ゆっくりと止めを……」

 醜悪な声は、しかし、最後までその声を響かせることはできなかった。
 その喚き声を遮ったのは、地に伏した少女だった。



「待ってます!」



 その声は、死にかけている少女とは思えない程、凛としていた。 実際、その真珠のような光の宿った目は、死への恐怖と言うよりは、強く、固い意志を輝かせていた。

「あなたは助けてくれるって、言ってくれた!  全部、終わらせてくれるって、言ってくれた!
 だから、私は待ってます!  あなたが、全部……全部終わらせて、助けに来てくれるのを、信じて、待ってます!」

 あからさまに無理をしているのが見て取れる。彼女は、最後の力を振り絞ったのだろう。 それでも、少女の目から光は消えない。
 その姿を背に、黒人は力強く頷く。自然と彼は笑っていた。異常にでも享楽にでもなく、不敵に、笑っていた。

「応! 俺が『助ける』と決めた以上、それは回避不能だから覚悟しとけ!」




 二人の間に割って入ったのは、小男だった。

「戯言を! 動けもしない貴様に、何ができる!」

 小男は、二人のやり取りに苛立ったのか、少女を思い切り蹴り飛ばす。

「ほれ、助けてみろ! この女を、助けて見せろ!」

 力そのものは大した事は無いが、少女の状態は、その大した事の無い蹴りで気を失ってしまう程だった。
 気を失う直前、少女は黒人の方を見て、ほんの少しだけ、その顔に笑みを浮かべていた。 少女の笑顔は、それだけで人を殺せそうな、鋭い眼光で小男を睨んでいた黒人にも、はっきりと見えた。
 途端に、黒人の眼から殺気が消える。そして、ほんの少しだけ優しく微笑んだかと思うと、再び、ストの方へと向き直る。それ以上、彼は牢の方へと振り返ることは無かった。

 それが更に小男の神経を逆撫でしたらしく、彼女が気を失った後も、しばらくの間、彼女を蹴る足を止めなかった。
 やがて、その足を止める頃には、小男は酷く息を荒くしていた。そして、その乱れた息のまま、汚らしく怒鳴る。

「おい、お前達! この女を連れて行くんだ!」

 呼ばれて牢に入ってきた、比較的知性的な顔立ちをした男達は、小男に言われるまま、気絶した傷だらけの少女を連れて行ってしまった。

「残念だったな、小僧! わしらはこれから、貴様が絶対に追い付けない方法で調合師のいる北へ飛ぶ!  ま、それ以前にストが貴様を足腰立たなくしているだろうがな!
 所詮、貴様には誰も救えはしないのだ! ぎゃふえへへへへへ!」

 醜い小男が、唾を飛ばしながら黒人の背に言葉を吐きかける。 それだけを伝えたかったらしく、小男は、そのまま牢を後にした。

 自分が、相手に何を伝えてしまったのかすら、理解できないまま。





 下半身が動かない。これは、全く動かないよりはマシとはいえ、戦闘においては、圧倒的に不利になるのは明白だった。

 それなのに、黒人の顔には、焦った様子はおろか、微塵の不安を滲ませてすらいない。
 それどころか、眼光は鋭く、口元には薄く笑みさえも浮かんでいる。

「ま、そう言う訳だ。ウチの人間を三十人余りも殺ってくれたそうだが……快進撃もそこまでだ。
 ただ『止める』だけの力だが、単純なだけに中々やっかいでねぇ。この力には『制限』が無い。
 理解できるかい? 自分がどれだけ絶望的な状況にいるのか。 その場に立ち尽くしたまま、これだけの人数相手に戦わなけりゃならないんだからねぇ」

 ストがわざとらしく周囲を見回す。そこには、楽に五十人を超す人間が、それぞれ殺傷能力を備えた武器を構えている。

 黒人の戦意を喪失させる為なのか、あるいは黒人がどれだけ不利な状況にあるのかを教え、 優位に立ちたいが為に、自らの能力の説明をしたのだろう。 実際、普通の人間が聞けば、それこそ力の抜ける思いをするかもしれない。
 ただ、黒人は、それでも余裕を崩すことはない。

「長々と説明ありがとう。 おかげで、大した時間も掛からずにあの娘に追い付けそうだってことが良く理解できた。 五体満足でいたいのなら、さっさと逃げ出すことをお勧めするよ。勿論、俺の機嫌が良い内に、だ。
 俺が心底ぶちのめしたいのはあの下衆だけだから、今なら見逃してやらんでもない。 おお、それで良いんじゃないか? 時間の節約にもなるしな!」

 黒人は、わざわざ相手の怒りを誘い出す為とでも言わんばかりに言葉を返す。 そのせいで、彼を取り囲む面々は、今にも襲いかかって来そうな形相で、聞きとることが不可能な言葉を――恐らくは罵声の類だろうが――喚き散らしている。
 ただ一人、連中のリーダーと推測できるストは、眉一つ動かさず、静かに黒人に歩み寄る。 しかし、上半身は動く黒人を警戒してか、必要以上に距離を詰めない。

「随分上機嫌なようだが……自分がどういう状況にあるのかぐらいは把握しておくのが、長生きできる秘訣だと思うんだが、どうかねぇ?」

 「長生き」という言葉を使った割には、殺意を隠そうともせずに銃口を黒人に向けるが、黒人自身はまるで意に介さず、 それこそ鼻歌でも歌い出しそうな程、上機嫌だった。 ここまで朗らかな表情をした侵入者など、要塞の住人達にとっては初めての事だっただろう。
 足の動かない、笑顔の侵入者は、ストの皮肉にも、 どこかピントのずれた、しかし、彼にとってはこの上なく重大な事実で受け答えをする。


「把握してるさ! 状況も、俺の機嫌が良い理由も! どちらもたった一言で表せる! そう、たったの一言――


 ――良い娘に出会った! それだけでな!」



 そして、轟音を伴い、ストの銃から、黒人の心臓を目指して弾丸が放たれた。





 大砲でも発射されたかの様な轟音を目覚ましに、杏は意識を取り戻した。

 顔を上げると、スト程ではないが体格の良い男が自分を肩に担いでいるのが分かる。 彼の歩く振動だけで、脳天を貫くような痛みが走る。
 先頭には、見るだけで吐き気のするような小男がふんぞり返りながら歩いているのが見えた。
 やがてその歩みが止まると、同時に男達も足を止める。

 脳が完全に覚醒した杏は、やがてその音に気付いた。
 耳をつんざくような風を切るその音は、杏の希望を奪い去る刃がしつこい位に振り回されているかのようだった。 風を切ると同時に、自ら突風を起こすそれが、音の原因だった。

 まず、醜い小男が乗り込む。それに続いて、男達が杏を抱えたまま、乗り込む。
 操縦士の隣にも、同じような体格の男が無言で乗っている。 彼の持つ小型の拳銃は、操縦士の頭を絶えず狙い続けている。

 全ての「異常なし」を確認すると、機体の上部のプロペラが、地面に向かって風を叩きつける。 やがて、機体は宙に浮き、そのまま、図体に似合わぬ猛スピードで北へと飛んだ。





 本来なら、上半身の動きだけで弾丸を避けることは可能だった。 勿論、黒人だからこそ可能なのだが。
 しかし、黒人は避けなかった。敢えてその規格外の弾頭を、その体で受け止めたのだった。

「そんな……馬鹿……な……事が……」

 最初に呻くような声を上げたのは、黒人とストを取り囲む男達の一人だった。


 弾丸は、そのコートの上で、自らの勢いによって板のようにひしゃげていた。
 黒人は、まるでダメージを受けた様子もなく、平然とその潰れた弾丸を摘まんで見せた。

「どんな手品を使ったんだかねぇ……」

 口では余裕を見せようとしているが、銃を握るストの掌にはじっとりと嫌な汗が浮かんでいた。 背中にも、同じものが流れる。
 黒人は、先程までとは違い、少々悪戯っぽい笑みを浮かべ、答える。

「俺はお前らの想像が追い付く程度の強さじゃないもんでな。 そんな力で暴れたら、あっと言う間に服もボロボロになるんだよ。 だから、ちょいと頼み込んで、繕って貰ったんだよ。 強靭な、そう、無敵なまでに強靭な、このコートをな」

 弾丸を取り除かれたコートは、破れるどころか、糸のほつれすら見当たらなかった。

「勿論、高速時の摩擦熱にも耐えられる耐熱仕様だ。高かった。実に高かった。その分、期待以上の働きをしてくれるけどな」

 しかし、コートだけの力では勿論ない。常人の体だったならば、コートだけは無事でも、粉々に砕かれていただろう。 どんなに運が良くても、数十メートル単位で吹き飛ばされるのは確実だ。

「ふざけやがって……!」

 ストの表情から、余裕が消えた。銃に二撃目を装填する。銃の巨大さから、連射はできない仕組みになっているようだ。
 しかし、そのタイムラグを感じさせない程の慣れた手つきで装填を終え、十秒も経たない内に、再び銃口を黒人に向ける。



 そして、その一連の動作が完了するのと、黒人が攻撃を始めたのは、ほぼ同時だった。

「悪いが遊んでやる時間は無い。『まるで反則のような』手段で行かせてもらうぞ」

 ストの言葉をそのまま奪うような台詞で、黒人が能力を発現させる。同時に、空気が一変する。



 見た目には、これと言った変化は無かった。
 しかし、すぐに、周囲を取り囲む男達が、次々と声にならない呻き声を上げて倒れ出した。 何人かはどうにか踏みとどまっているが、最早立っているのがやっとといった顔をしている。
 ストにも表情の変化が見て取れる。ただ余裕を崩されただけではない。 彼が今、この瞬間から完全に、「窮地」に立ったことが分かる。 それ程に「苦」に満ちた表情だった。

「貴様……何をしたッ!」

 叫び声の矛先にいた黒人は、先程までと変わらない顔をしている。 先程までと変わらぬ、不敵な笑顔のまま、そこに立っている。

「そう卑怯者を見るような顔をするなよ。俺にだって影響はあるんだぜ? それに……」

 そう言って、黒人が右手を上げる。
 その右手に向かって這い上がるように、墨のような色をした模様が蠢くのが見える。 夜にも関わらず、その黒がはっきりと見える。
 やがてその模様は、一つの形を作り出した。
 見る者によっては、ただの奇妙な模様に見える形を。

「『反則』は、これからだ」




 模様は一つの形を作り出した。
 見る者によっては、ある意味を持つ文字を。





 「戒」の一文字。

 全てを封じ込める、その力の形を。







番外4−12 END









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