番外編シリーズ4




邂逅(10)
〜壊/会〜






 夕闇の中で尚深い黒の輝きが空を駆ける。それは、沈みかけの夕日の光を浴びて、本当に「輝いて」いた。

 それに乗る、更なる深さを覗かせる黒の瞳を携えた青年は、独り言のように会話を続ける。

「構わないよ。ああ、そうだ。鏖には鏖を以て、だ。ちょっと今回の相手は許せそうにない」

 物騒な事を言っている内に、目的の場所が見えてきた。
 夕暮れはやがて夜に変わり、満月が輝き始めていた。 この日、空を見上げた者は、月に照らされる縮尺の狂った一羽の烏の影を見たことだろう。


 目的地へと辿り着いた彼らが目にしたのは、巨大な要塞だった。闇に溶けてしまいそうな暗色でそびえ立っている。 端の塔は灯台の役割を果たしているらしく、周囲を一定間隔で断続的に照らす。間隔は短く、間抜けな侵入者は五秒とかからずその光に引っ掛かるだろう。 しかし、その光を以てしても、遥か上空から見下ろす黒人達を捉える事は叶わなかった。

「カラス、お前は待機だ。まだ力の加減も出来ないんじゃあ、いるかもしれない人達まで巻きこんじまうからな」

 黒人は身軽に烏の背を伝い、烏の足の鉤爪に指先を引っかけた。
 そして、大きく体を振り上げ、その反動を利用して、地上に向かって、跳んだ。



 その日、要塞を守っていた者達は、一様に、月明かりに映える、真っ黒な稲光を見た。





 杏が力に目覚めたのと、要塞全体を揺るがす程の爆音は、ほぼ同時に起こった。 杏は、衝撃に気付かぬ程、精神をアンナと自分の力に向けていた。





 轟音と衝撃の割に、要塞には一切の破壊が起こらなかった。 衝撃の中心地には、一人の男がいた。満月を背に、大仰に立ち上がったその男は、一度天を仰ぎ見、何かを悼むような表情をする。
 その一瞬、世界の全てが凍り付く戦慄に覆われるような錯覚が、要塞に住む者達に襲いかかった。 彼を直接見てすらいない者にもだ。例外はただ一人、杏だけだった。
 そして、男が、今度は激情を以て、地上を強く睨みつける。
 余りにも凄まじく、間近で受けると、そのまま絶命してもおかしくは無い程の殺気だった。


 要塞の住人達は、すぐさま異常事態に気が付いた。要塞の頂点に立ち、自分達を見下ろす彼に。 そして、ほぼ全員が彼の殺気にあてられ、動けなくなった。中には、逆に嬉しそうな者もいたようだが。 ほんの一瞬の戦慄だったが、すぐにあの場所に佇む男が「危険」だと悟らせるのには十分だった。 残念なことに、要塞の住人達はそれを頭で理解することは出来なかった。そんな脳は持ち合わせていなかった。 それが、致命的であると気付くことすらできない程に彼らは壊れていた。

 男は何かを呟いた後、突然、要塞の住人達の視界から消え失せた。


 今のは、一瞬の夢だったのか? そんな考えが脳裏をよぎるが、やがてそれは悪夢に変わる。


 マシンガンの集中砲火が起こったのは、要塞の外壁のすぐ内側だった。すぐにその中に悲鳴が混じる。やがて銃声よりも断末魔の方が響き出す。 何かがちぎれる音。何かが折れる音。潰れる音。弾ぜる音。砕ける音。悲鳴。悲鳴。悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴悲鳴。

 駆け付けた者はその惨状を目の当たりにして、相手が人間でないと悟った。そう錯覚した。

 要塞の壁に貼り付いた異常な量の血と肉片――目玉や内臓の一部と思われる物もある――は、不快な音を立てて、 ゆっくりと、地面を求めてずり落ちる。



 それに気を取られた隙に、援軍である彼らは、血を流す間もなく肉塊になった。





「ここも空か。何処にいるんだ? それともハズレだったか」

 要塞に開いた小さな穴。鉄格子の付いた窓、地面に突き立っているようなそれを見つけて、 黒人は、クロの飼い主が捕らわれているのは地下だと推測した。
 黒人の推測は結果として当たっていたのだが、なにしろ一時は百人近くを監禁していた要塞の牢の数はかなりあり、飼い主のいる牢を探し出すのは困難だった。 そしてなにより、これまで黒人が覗いた牢は、全て人一人入っていない空の牢だった。 この事実の意味を、黒人はすぐに知ることになる。


「手前か! 侵入者はぁ!」

「おいもうやっちゃおうぜ殺しちまおうぜさっさとよおぉ! 丸腰相手なんだからよおぉ!」

 窓を探る黒人の背後から、突然怒声が響いた。要塞の住人が二人、気が狂ったように喚き続けている。 つい先程に感じた戦慄すら、忘れてしまっているようだ。

「おい聞いてんのか手前こらぁ! こっち向きやがれよその体穴だらけにしてやっからよおぉ!」

「五月蝿いな」

 その一言で、喚き倒していた彼らの声はぴたりと止んだ。黒人の言葉に素直に従ったのではない。 正確に言えば、彼らは「黙った」のではなく「言葉を失った」のだ。 理由は背後に立つ黒人だった。
 たった今まで銃を向けていた相手が、背後に立っていた。 要塞の住人達は、幾分か壊れた所があるが、銃の照準は正確に目の前に合わせる。
 住人達には、黒人が動く素振りも怪しい気配も、感じ取ることすらできなかった。 それどころか、背後から声をかけられる瞬間まで、そのことにも気付かなかった。

「さっきので逃げ出すようなら、逃げ出した奴らぐらいなら勘弁してやっても良かったんだがな。いや、無理か? 無理だな。お前らを許したくはないから、な」

 黒人に銃を向けた二人は、彼の言葉を最後まで聞くことは無かった。
 後に残されたのは、潰れたトマトのような赤い塊が二つ。





「頭ァ! 大変だ! 外の見張りが次々に消されてる!  何発撃ち込んでも一発も当たらねぇであいつらあっという間にミンチか何かに、あああ、あんなのが来るなんて聞いてねぇよ!」

 慌てて部屋へと駆け込んで来た手下が、禿頭の大男に向かって、縋るような声で叫ぶ。 パニックの度合から見て、黒人に気付かれない距離からその所業を目に入れたようだ。

「おいおい、相手は鬼か何かか? 角を生やして牙を生やして、あいつらを頭から貪ってたか?」

 歯牙にもかけない様子で禿頭の男が言う。しかし、侵入者を野放しにする気はさらさら無いようで、駆け込んできた手下を連れて静かに部屋を出た。 途中、手下が「あんな男の前に立ちたくない」と喚き出した。二秒後には脳漿を床と壁に飛び散らせた。

「やれやれ、警官に鉛玉をブチ込んでた時の威勢は何処へ行ったんだかねェ」

 大経口の銃を片手に、禿頭の男は再び外へ向かい歩き出した。





 七十六番目の牢を覗いて、黒人はようやく新たな変化を見つけた。 血痕、それも夥しい量のそれが、牢の床に、壁に、付着していた。 これから調べるつもりの、七十七番目の牢と繋がる側の壁には、人が寄りかかったような形の血の痕まで見受けられた。 一体、此処にいた者は、何をされたのだろうか。それ以前に、この大量の血が一人から流れ出したものだとするなら。 それを可能にさせるのは、黒人には他に思い当たらなかった。

「此処にいた人は、フィスに……?」

 黒人がそれに気付いたのと、見張りの残党全員が現れたのは、ほぼ同時だった。

「気ぃ付けろよ! こいつ、何かとんでもない武器を持ってるに違いねぇ! 他の奴ら、全員飛び散ってたからなぁ!」

「良いなあ、その武器! おいガキ! 俺達が大事に大事に使ってやるからそれ寄越せよ!」

 七十五番目以前の牢の前に、見張り達が並ぶ。数で言えば、十数人と言った所だろうか。 黒人の所業を、全て得体の知れない武器によるものと思い込んでいるらしい。 それを出していない今なら、一発撃つだけで簡単に彼を殺せるだろう、とも。
 黒人は動かない。七十六番目の牢を覗き込んだまま、茫然としている。
 しかし、やがてその目に、計り知れない何かが宿る。 大きく見開かれた、その目に穿たれた暗い穴のような瞳で、見張り達を見据える。 見張り達は、変わらずにニヤニヤと不快な笑みを浮かべている。 その、自分達のしたことに対する罪悪感の無い表情が、スイッチだった。

 黒人が見張り達に向かって、一歩踏み出した。 見張り達はそれを敵意と判断し、引き金を引く。全員が発砲する。
 それよりも一瞬速く、黒人がコートを脱ぎ、自分の前面を覆うように広げる。 そして、いくつもの銃声が重なって木霊する。

 一呼吸の間を置き、やがて時が再び動き出す。 黒人は、何事も無かったかのように歩を進める。 銃弾は、全てコートで止まり、ぱらぱらと地面に情けなく散らばった。
 見張り達は何が起こったのか全く分からなかった。 今までこれで撃った相手は例外なく体の何処かに穴を開けた。 下手をすれば、撃った場所が粉々に砕け散ることだってある。 その筈なのに。

「何で俺がお前達を殺すのか分かるか? 分からないよなぁ、分かる筈が無い。それで良い。 お前らの手にかかった人達だって、訳も分からずに殺された。 お前達も同じ気分を味わってみろ。格別だろう、なあ?」

 長々と話す内に、黒人は見張り達の目の前に迫っていた。 見張り達は慌てて再び銃を構える。

 消えた。そう錯覚した。

 黒人が、ではない。見張りの一人が、消えた。 他の者には、そう見えた。

 事実はそうではない。消えた筈の見張りの一人は、ちゃんとそこにいた。 いた、と言うよりは、「あった」と言った方がまだ正確かもしれない。
 彼は、きちんと、要塞の壁に潰れた頭と、まだ僅かに動く体を貼りつかせていた。

 子供に平手打ちを喰らわせた母親のような、あるいは恋人にビンタをくれてやった女のような姿勢で、 黒人が立っていた。さっきまで、吹き飛んだ見張りの一人が立っていた目の前の辺りだ。


「……え?」

 彼らのどうしようもない頭脳では、そのくだらない、言葉とも言えないような短い一声しか出てこなかった。

「仲間が死んで、言う事はそれだけか?」

 そう言った次の瞬間には、二人目の犠牲者が出ていた。

 視線も動かさずに放たれた足刀による横蹴りで、黒人の真横で立ち呆けていた見張りの腰が、達磨落としのように反対側から飛び出した。 内臓も同時に。背骨の一部まで。 支えを失った彼の体は、下半身は立ったまま、上半身だけが地面に崩れ落ちた。

「なあ?」

 その上半身が地面に着くまでに、更に三人、「ブッ壊れ」た。


 それから、全員が地面に横たわるか壁に貼りつくか、あるいは完全に消えてなくなるのに、一分もかからなかった。





 事を済ませて牢探索の続きを始めようとした黒人の目に、妙なものが映った。 それは、外を求めて彷徨うように、ふらふらと七十七番目の牢から立ち上っていた。 よく見てみると、それが何かの灰だと分かる。
 ようやくだ。黒人は思った。だが、どうせなら最初からそうして欲しかった、とも思った。





「……やっと見つけたぞ。世話ぁ焼かせやがって」

 その声に反応して、牢の中に繋がれていた少女が、顔を上げる。やはり驚きの色を隠せないようだ。
 血に染まりながらも美しさを十分に認識させるその顔が、黒人を見上げる。
 そして、自分よりも少し年下に見えるその少女に影を落としたまま、黒人は続ける。

「……今の灰は狼煙代わりか?」

 理由は無いが、黒人はなんとなく察することができた。

 彼女が、クロの飼い主だと。







番外4−10 END








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