番外編シリーズ4
邂逅(9)
〜出発〜
黒人の思考回路は、その文字を見た瞬間から、クロの飼い主の捜索に向けられていた。
助けを求められて助ける理由は、特に無かった。黒人は助ける事にした。
まず、虱潰しに動きまわってみるという考えが浮かんだ。すぐにその考えを捨てた。
これには明確な問題点がある。と言うか、頭が悪過ぎる。
足を使う情報収集は、ある程度、調べる場所を絞り込むからこそ効果がある。
今の漠然とした状況では、探す範囲は、クロが海を渡れない事を考慮に入れても、最悪で大陸全体だ。
さらに運の悪い事に、黒人の住む「第三管区」と呼ばれる地域は、この時代三つになっている大陸の内、最も面積の広い大陸に位置している。
それでも、この頃、既に彼は大陸中を一日とかからずに巡る事が出来るだけの力を得ていた。
だが、それはただ「駆け抜ける」事が可能なだけであり、人口の増加は殆ど収まっているとはいえ、一人ひとりに訊ねて回れば何年がかりになるか分からない。
これでは余りにも効率が悪すぎる。
「なあ、クロよ。お前、何に巻き込まれたんだ?」
クロは相変わらず冷蔵庫の方を見ている。
「返事ぐらいしてくれよー」
黒人がクロの頭を撫でる。
体毛の感触が心地よく、クロも嫌がる素振りを見せない。
が、この時初めて、黒人は妙な違和感に気付いた。
「……お前……?」
テレビの電源が点きっぱなしになっていた。
この時間帯は、ニュース番組が延々と流れている。他のチャンネルでも、同じようなものだろう。
不意に、黒人の手の感触に変化があった。
クロが頭をテレビの方へと向けている。こんな事は初めてだった。不思議と、クロは目を見開いているように見える。
「……どうした、そんなに珍しいか? ずっと流れてたろ」
できるだけ優しく声をかけ、テレビの前にクロを連れていく。
既にクロの感触に対する違和感の正体には気付いていた。
さっきまでは無理矢理動かそうとしても頑として動かなかったクロが、この時はすんなりと移動してくれた。
寧ろ、自分から動いたようだ。
テレビの前に立ったクロは、流れているニュースを、映像の一コマたりとも見逃すまいとしているのか、食い入るように画面を睨みつけていた。
黒人にも分かる程の殺気を放っている事は、自覚しているのだろうか。
「……ふぅ……む」
黒人もそのニュースには見覚えがあった。
一か月近く前、とある街で起こった惨劇。血の臭いが残る街。
今でも住人のいくらかが処理され切らずに無残な姿で転がっているらしい。いち早く伝えようと現場に駆けつけたリポーターが、それを見た途端に失神を起こしたと聞く。
街全体を巻き込むこの殺戮は、あらゆるメディアで取り上げられていた事も印象に残っている。
この事件を取り上げる彼らは、一様に「事件を未だに解決できない警察の不甲斐無さ」に対する非難を撒き散らしていた。
「こりゃあ……思ってたよりも事が大きそうだな、クロよ」
この惨劇は、単発的な不幸では無い。
少し調べてみると、同様の事件が、複数の箇所で間隔的に起こっていた事がすぐに分かった。
さらに、事件には不可解な点があった。
一つ、街を襲った者がいるとするのなら、それに対する抵抗は試みられなかったのか。
襲われた街は、多少の例外はあれども大抵は人口が集中する場所が狙われているようだ。
そんな街ならば、軍事勢力とまでは言わずとも、自衛ぐらいは可能な戦力を持っていても不思議ではない。
もう一つは、街の住民の全員が「死亡」とは伝えられない事だ。
確かに街ぐるみでの惨劇ならば、行方不明者が出る事もあるだろう。何処かへ逃げおおせた人もいるかもしれない。
問題は、その「行方不明者」の数が圧倒的に少ない事だった。
仮に住民の数を百とすると、伝えられるのは「死亡、九十九、行方不明、一」となる。
こんな取り上げられ方をするのを目にするのは、黒人も初めてだった。
つまり、行方不明者の身には、何かが起こっている。そう黒人が考えるのも自然な事だった。
初めは「あの種族」の仕業かとも思った。
しかし、それならば、もっと大規模な破壊と犠牲をもたらす筈だ。
街には、住民以外の全てが残っていた。荒らされた跡があったが、あの種族ならばこの程度で済む筈が無い。
彼らならば、人も、街も、――あるいは星そのものすら――まとめて消し飛ばす。
そして、更に決定的な証拠があった。
調べている内に見つけた――恐らくは法を犯して撮ったであろう――街の写真。
ビルや家が並ぶ中、それらを穿つ暴力的な穴と、そこから縦横に伸びるヒビの数々。弾痕は至る所で確認できた。
あの種族ならば、武器など必要無い。
「鏖……汚いやり方だ。平和になるとすぐにこれだから嫌になる」
憎悪に満ちた表情で黒人が呟く。悔恨の念も僅かに含まれていたが、黒人自身もそれには気付かない。
犯人は、あまりにも容易に突き止められていた。
現場に残された無数の足跡は、必ずある一点に向かっていた。
足跡の集合地、血の臭いを閉じ込めているその場所を最初に突き止めた警察は、即座にそこへと踏み込んだ。
次にその場所を突き止めたジャーナリストは、取材の為と、そこへと忍び込んだ。
それ以来、誰もが近寄らなくなった。警察も関わりたがらない。
ここまでこの事件が大々的に取り上げられるのも、警察に対するバッシングの意味を持っているのかもしれない。
警察を責める彼らも、ただ喚き散らす以上の事をしようとはしないので、一向に事態は良くはならなかった。
自衛の為の軍は、そこへ攻め込むのではなく、自分の守るべき地区を守る事を重視し、解決に積極的では無かった。
黒人も同じ考え方だった。今となってはその甘さが事態をややこしくしたのだが。
いつしかその場所は、要塞とでも呼ぶべき化物に成っていた。
「クロよ、そこにお前の飼い主がいるんだな?」
確信を持って黒人が言う。肯定したのだろうか、クロは一声だけ、わんと吠えた。
「オーケイ、分かった。まずはここだ。違うのなら仕方が無い、悪いが一からやり直しだ」
黒人がコートを手に取った。
真っ黒なそれを、クロは不思議そうに見ている。
「ん、このコートが気になるか? ちょっと特別なもんでな。重宝してる」
クロと一方通行な会話をしながら、袖に腕を通す。
クロには家で待つように言った。危険な上に足手纏いだと伝えると、大人しく従ってくれた。
「その代わり、絶対に飼い主を助け出してくれ」とでも懇願するかのように、クロは頭を垂れた。
その頭を黒人が優しく撫でる。
それはまるで、慈愛、という言葉を表現しているかのようだった。
「今まで、よく頑張ったな。後は俺に任せて、ゆっくり休め。
……大丈夫だ、お前の飼い主は絶対に助けてやるから」
そして、黒人は玄関の扉を開けた。
家の中に残されたクロは、リビングの端へと静かに座りこみ、眼を閉じた。
「行くぞ、カラス! 聞こえてるだろう!」
空を仰いで黒人が叫ぶと、裏手の雑木林から一羽の烏が現れた。
空の青を闇色に切り取りながら、烏は黒人の下へと降り立った。
「向こうだ。空から攻めよう」
その一言で全てを察したその烏は、黒人が指した方角を向くと身を低く屈めた。
いつの間にか、烏は、本来の烏の体長から大きく逸脱した姿へと変貌していた。
「頼んだぜ」
烏の背に乗り、黒人が言う。
烏は、任せろと言わんばかりに一声鳴き、大空へと飛び立った。
「院長、あの子、どうしてるでしょうね」
「さあな、だが、残り少ない命だ。自由に使わせてやろう」
「え? でも、出て行った時は元気に……」
「見かけはな。しかし、あいつは……な」
院長は、自分でも信じられないとでも言いたげに黙り込む。
「あの子、どうかしていたんですか?」
「う、うむ、傷が急に治り出した頃だったろうか、あいつの体温がこう……スーッと抜け落ちて行くような……」
「体温が抜け落ちるって……どういう事ですか?」
「てっとり早く言うと、体温が無かったのだよ。自分でも馬鹿馬鹿しいとは思っている。つまらないジョークにもならない」
「え、だったら普通……」
「死んでいるさ。普通なら。あいつを支えていたものは何だったのか……」
院長は静かにカルテを閉じた。
番外4−9 END
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