番外編シリーズ4
邂逅(4)
〜不死〜
世界は変えられるものじゃないけれど、世界が変わらない訳じゃない。
杏の目が覚めた時、最初に見えたのは、月と空だった。やけに高い所にあるような気がした。
あとは、その空を四角く切り取った窓と、月を縦に割る鉄格子が見えた。
次に気付いたのは、自分の手足にある、冷たく固い感触。
それが自分をこの空間に縛り付けているという事だった。
そこでようやく、杏は自分のいるこの空間が牢である事を理解した。
時間が経つと、目が慣れたのか、周囲が見えるようになった。
出入り口はぶ厚そうな扉で閉ざされている。外の様子は分からない。
夜なのでよく分らないが、きっと扉は赤黒い錆のような色だろう。
他には特別目に付くものは無かった。無機質な壁で塗り固められているだけだ。
混乱している内に、扉の開く重い音と共に、僅かな光が差し込んだ。
入ってきた男達によって枷を外され、別な枷を付けられた。移動用という事だろうか。目隠しもされた。
訳も分からず歩かされる。手を引いて誘導、なんて優しいものではなく、
大抵は髪を掴まれるか、蹴り飛ばされるかだった。
目的地に辿り着くまでに体の方がどうかしてしまいそうだった。
目隠しを外され、急に明るい光に照らされ、杏は目を細めた。
「これが、そうなのかぁ?」
不気味な嗄れ声を上げる男が目の前にいた。
「な……にが……ですか?」
ようやく杏が口を開く。発した言葉はその弱々しい一言だけだった。
生まれてこの方、「強がる」ということをしたためしが無い杏は、相手を睨みつける事も出来ず、
只、不安げな表情を見せるだけだった。
それが楽しいのか、目の前の男は笑いだした。蛙の鳴き声と聞き間違いそうな声だ。
「不老不死だよ、お嬢ちゃん」
目の前で汚らしく笑う背の低い男に代わり、大柄で禿頭の男が答えた。
何故か、その目は背の低い男を蔑視しているように見える。
禿頭の男の言葉に、杏は混乱した。
その様子を見て苛立ったのか、禿頭の男が何かを懐から取り出した。
突然、銃声が響いた。
杏の右肩が強く叩かれた感覚と同時に、強烈な頭の痺れがあった。
刹那で頭の痺れが引くと、今度は焼けるような熱さが、そして抑えようのない痛みが右肩から全身に広がった。
余りに激しい痛みに、声が出ないどころか、呼吸さえもままならなかった。
抉られた肩から生温かい液体が腕を伝う。慌てて押さえようとしても、余計に溢れだしてくる。
耐えられず、床に倒れる。
「こ……う事……」
禿頭の男が何か言っているが、パニックに陥っている杏の耳には殆ど届かない。
僅かに目の端に捉えたのは、背の低い男が禿頭の男に向って何か怒鳴っている様子だけだった。
しかし、そんなものを気にする以前に、この痛みをどうにかしたかった。
同時に、この世のものとは思えない激痛に、杏はある事を思い出してもいた。
似たような経験が無かっただろうか。もっと、もっと酷い思いをした事は無かっただろうか。
いつの間にか、杏は、自分で不思議な程に冷静さを取り戻していた。激痛は依然そのままであるのに。
荒い呼吸をなんとか鎮める。すると今度は涙が止まらなくなった。
痛みが平気になった訳ではない。パニックが治まった分、人間らしい反応になっただけだ。
しかし、こんなにも痛い思いを、いつだったか経験した記憶がある。
杏には訳が分からなかった。
「ちゃんと聞こえるかい、お嬢ちゃん」
禿頭の男が目線を合わせて喋る。何を考えているのか分からないその目に、杏は恐怖を覚える以外無かった。
思わず杏が目を伏せると、禿頭の男は杏の頭を掴み、強引に目を合わせた。
「ちゃんと聞こえるかって聞いてるんだがね」
その声に、杏の心臓が激しく波打つ。
「は……い……」
そう答える以外、何もできなかった。声が震えているのが傍から聞いていてもよく分かる。
やがて、静かに禿頭の男が話を始めた。
「俺達が探してるのはな……」
再び牢へと連れ戻される。その時も、肩の傷など気に留める様子もなく、ただただ乱暴な牽引だった。
枷で繋がれ、扉が閉まる。鍵のかかる音もした。
牢に一人残された杏は、夜であるとはいえ、激痛の為に眠ることもできず、流れる血を意味もなく見ていることしかできなかった。
妙な事に、しばらく経つと血は止まった。
それに、止まったと言っても相当な量の血が流れ出ているにも関わらず、杏は意識すら失わなかった。
その事実に、男達の話を否定できなくなっていた。
そして、話が本当ならば、待ち受けているのは地獄にも等しい苦痛だ。
そう考えるだけで、吐き気がした。
どれぐらいの時間が経ったのだろうか、杏が恐怖に震えていると、妙な音が聞こえてきた。
かりかり、かりかり。
壁からだろうか、だんだん近づいてくる。
かりかり、かりかり。
痛みで壊れてしまいそうな頭をどうにかはっきりさせ、這いずるように壁に近付く。
枷をされているとはいえ、牢の中ぐらいは動けるようだ。
かりかりかりかり、かりかり。
やがて、その音が正体を現した。
「良かった、ちゃんと生きてた」
番外4−4 END
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