番外編シリーズ4
邂逅(3)
〜魔女狩り〜
杏の住む町には四季がある。
それらの変化も比較的穏やかで、極端に寒くなる事も極端に暑くなる事もない。
それだけ過ごし易い土地であった。
故に人も集まる。
皆が善人というわけではない。
杏の住む町から北へ半日程進んだ先に、巨大な建造物がある。
周りには草木が生えていない。全て除去されているようだ。
その建造物以外には何も無い。不気味なために、近付こうという者もいない。
数キロ離れてようやく人影が見え隠れする程度である。
人々からは「要塞」と呼ばれている。その余りにも威圧的な見てくれからだ。
時々、人が出入りしていても、誰も気付かない。
「音日さん、全然身長伸びてないね」
友人が何気なく言った一言が、杏には妙に引っ掛かった。
一年程度なら気にしなかった。
しかし、十六歳を境に、全く身長が変化していない。
体重ならば少しの変化はある。しかし、それも測定の前に食べた食事の分程度の差しかない。
「大丈夫なのかな……」
自分の体は自分が一番よく分かる訳ではない。自分の体を自分自身で解剖して覗くなどという真似はできないし、
それなりの知識が無ければ何の病気を患っているかすら分からない。
自分の体を自分でどうにかできるなら医者など職業として成り立たない。
杏も、自分の体がどうなっているのか、全く分からなかった。
夕方頃、「要塞」の門が開いた。
「本当にあの町にいるのか? 最近はどこもハズレばかりではないか」
「あそこには人が集まり易い。まあ、可能性は十分でしょう」
奇妙な集団のざわめきを尻目に、少し離れた場所で二人が会話している。
背の低い一人が笑った。豚の鳴き声と揶揄するのが豚に申し訳ない程、下卑た笑い声だった。
もう一方の大柄で禿頭の男は、表情一つ変えず佇んでいる。話し方から、背の低い男の従者や部下のようだ。
彼らは「要塞」の住人である。全員が人を死に至らしめるだけの力を十二分に持つ得物を手にしている。
一人ひとりの顔を見ても、恐らく正常な思考の持ち主はいないだろう。
「じゃあとっとと探しに行け。見つけたらわしの所に持って来い。それだけだ」
背の低い男の声で、住人達は南へと進み出した。集団を率いるのは禿頭の大男だ。
彼らが去ると、背の低い男は「要塞」内へと戻った。
内部は、それこそ本物の要塞のようで、入り組んだ通路のあちらこちらに監視カメラと思しきものが設置されていた。
男がエレベーターに乗り込む。地下まであるらしい。
南へと向かった集団は結構な人数だったが、それでもまだ内部には大量の人員が残っていた。
門番までいるらしい。
エレベーターが地下に着き、扉が開く。
男の眼前に広がるのは、「牢」だった。
男の口の端が、醜く歪んだ。
その日の夜、杏は銃声で目を覚ました。
銃口が町人に向けられると、慈悲も躊躇もなく引き金が引かれた。
人一人の命を奪うにはあまりにも軽い音が響くと、町人は声を上げる間もなく脳漿を地面に撒き散らした。
杏には何が何だか分からなかった。あまりにも突然過ぎた。
次第に辺りから次々と悲鳴と銃声が聞こえ出した。その勢いは猛烈に広がり、やがては町全体を包み込んだ。
銃声の他にも何かを殴ったような鈍い音も近くで聞こえた。
「クロ……クロ!」
灯りを点けないままでクロを呼び寄せた。クロは匂いを辿ってそっと杏の傍に寄ってきた。
クロの低い唸り声が、尋常でない状況を物語っている。
杏は、クロを抱いて震え続けた。
「あんた、変な女と話した覚えは? 長い黒髪で、額にこんな模様のある」
そう言って「要塞」の住人が見せた模様は、人々が最も思い出したくないそれであった。
「し、知らない! そんな奴、見たくもない!」
関係者だと思われると殺されるかもしれない。元々覚えは無いが、町人はとにかく否定する。
「要塞」の住人はそれを聞くと嬉しそうな顔をして言った。
「あーそう、そうなの! 残念、知らないか!」
銃声がまた一つ、木霊した。
突然襲いかかってきた敵に、町はみるみる内に壊されていく。
「武器だ! 何でも良いから持って来い!」
町人はパニックに陥りながらも、黙って死ぬのを良しとせず、抵抗を試みる。
その様子に気付いた禿頭の大男がぼそりと呟く。
「いちいち手間ァ取らされるのは嫌いなんだがね」
男の行動は、ただ人々を見渡すというだけのものだった。
ただそれだけで、その場にいる町人全員の動きが停止した。
彼らの意思とは関係なく、まるで体が言う事を聞かなくなっていた。
「ただ手足の動きを止めるだけの力だがね。あんたらみたいにウロチョロする相手には丁度良いでしょうや。
ま、口は動くんで、喚くのも喋るのも自由だ」
そして、男は訳の分からない質問と虐殺を再開した。
杏の部屋は二階にある。
その為、はじめに杏の新しい親の断末魔を聞く事になった。
震えが止まらなかった。クロの体の暖かさだけが唯一の安息だった。
しかし、やがて踏み込んで来た「要塞」の住人によってそれからも引き剥がされてしまった。
杏は必死にクロに助けを求め、またクロを助けようともがくが、無駄である事は初めから分かっていた。
普段やたらと吠える事の無いクロが、吠え続けていた。彼が最後に出来る威嚇はそれしかなかった。
既にクロは、殴られ、蹴り飛ばされ、無残な姿になっていたが、それでも彼は必死に声を上げた。
当然、そんなものは何の効果もなく、ただ彼らの癇に障るだけであった。
銃声と共に、驚くほど呆気なくクロは倒れた。
泣き叫ぶように杏がクロの名前を呼ぶ。
しかし、クロはぴくりとも動かない。
「おいおいおいおいおいおい、よく見りゃこいつ無茶苦茶上玉だよ。折角だから連れて帰って遊ばねえ?」
「ついでに確認しとこうぜ。なあ嬢ちゃん……」
そして、「要塞」の住人達は杏に画一化された質問をした。
杏は既に、抵抗する気力を失っていた。
「ッチィ、数ばっかり多くても一人も見つからねえんじゃ意味が無いな」
禿頭の大男が苛立ったように言う。彼の足下には人一人では補い切れない程の血が滲みこんでいる。
「見つけた! 見つかったぜ、頭ァ!」
彼の部下が数人、息を切らせて走ってくる。その声で、彼はようやく安堵の溜息を洩らした。
部下達が連れて来たのは少女だった。
夜の闇に溶け込んでしまいそうな黒髪。
潤んだ眼からうっすらと滲み出ている涙は、ひどく澄んで見える。
どんな表情をしても、その可憐さが損なわれる事は無いだろう。表情によっては更に男達の心を乱すかもしれない。
少し爪を立てるだけで裂けてしまいそうなその肌は白く、触れるとそれだけで彼女を汚してしまいそうだった。
彼らが去った後、町は血と、死体と、静寂に覆い尽くされていた。
もはや助けを求める者も、戦おうとする者も、逃げる者さえ一人もいない。
朝が来て、死に包まれた町の中で起き上がった影があった。
体内に銃弾を残したまま、息も絶え絶え、どころかいつ死んでもおかしくない状態で、クロは歩き始めた。
彼の体と首輪の間に、紙切れが挟まっている。
クロの目指す先は決まっていた。昔の記憶だけが頼りだった。
確か、同じ名前。
番外4−3 END
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