番外編シリーズ3




GHOST(2)
〜図書館にて〜






 近頃、私の通う高校で飛び交っているある噂、一年生の不良。
 誰もが彼と接触するのを避けているらしい。勿論私も近付くつもりは無かった。

 なんでも、入学して早々、暴走族の一団を壊滅させたとか、ヤクザ相手に喧嘩を売って素手で勝利したとか、 挙句の果てには何人か殺しているのではないかなどと言われている。
 いくらなんでもそんな子供の想像したような無敵の不良図を鵜呑みにする訳はないのだが、 それなりに危険な人なのだろう。それだけは確かだった。

 実際の人物像としては、金髪で鋭い目つき。それぐらいしか情報は入ってこなかった。 しかし、少ない情報だからこそ、信用できるだろう。
 とりあえず、それに該当するシルエットを見かけたらすぐに進行方向を変えよう、と密かに決意した。


 ああ、それなのに、どうしてこんな時にだけアレは危険を教えてくれないのだろう。





 二学期が始まったばかりに比べると大分気持ちが楽になった秋口。
 中間テストの勉強の為に、休みを利用して―――お父さんの休みも偶然重なったことも幸いして―――図書館で時間を過ごしていた時の事だった。

 急に難しくなった数学の公式を必死に頭の中に詰め込んでいる最中だった。


 一人の男が近寄って来た。その時は「男」とは分からなかったが、後で知ることになる。
 私の隣に立って、話しかけてきた。

「この席、空いてるか? どこも空いてなくてよ」

「どうぞー。私、一人ですから」

 その時、私は彼の顔をきちんと確認しなかった事を後悔した。


「なんだ? お前、一人で勉強かよ。つまんねー人生だな、おい!」

「なっ!」

 面識もない男に言われて久々にむっとなって振り返った。その瞬間、私の顔から血の気が引いたのが自分で分かった。

「なんつって、俺も同じなんだけどな。似た者同士だな! その教科書、同じ学校の奴だろ?」

 そう言って笑った彼の目は、怒ってもいないのに子供が泣き出しそうなものだった。
 がっしりとした体つき。私と同年代にしてはやたら高い身長。そして……金髪。


 と、とんでもない奴とあり得ない場所で出会ってしまった。
 どうしよう、今はやたら上機嫌のようだが、この先、何か彼の機嫌を損ねるような真似をすれば殺される!
 今にして思えば、大袈裟だ。なんだかんだ言って、私も彼についての噂を勝手に大きく膨らませていたようだ。
 しかし、この時の私にとっては、それだけが全てだった。


「……? 何、固まってんだ?」

「あ、いや、別に……」

 我に返り、勉強に戻った。当然フリだけだ。さっきまで覚えていた公式さえも全部吹き飛んでしまった。
 とにかく、なるべくこの男と関るべきではない。教科書に視線を落とし、目を合わせないようにする。


 ああ、何なのこの巡り合わせは!? お父さんの休みとこいつが図書館に来るのと席がいっぱいなのが一致するなんて!
 こうなったら今すぐここから逃れて……。いやいやダメダメ、そんな事したら明らかに怪しいもの!

 あーん、もう、どうしたらいいの!?


「……い。おいってば」

 肘で小突かれてようやく彼が私に話しかけていた事に気が付いた。

「はっ、はいぃ!」

 素っ頓狂な声を上げてしまった。
 彼の事で頭がいっぱいで……勿論、恋愛感情ではないと断っておく……忘れていたが、此処は図書館だ。 突然大声を上げた私に館内の視線が集まった。

「ばっ、おま、変な声出すんじゃねえよ! 俺まで恥ずかしいだろうが!」

 顔を伏せて彼が囁く。
 これはまずい。私も恥ずかしいことは当然のことだが、彼の心象を悪くしてしまったかもしれない。こっちの方が問題だ。

「ご、ごめんなさいぃ。そ……れで、ご用件……は?」

 持ちかけられた話を伺ってしまうあたり、私も律儀なんだか間抜けなのか。

 すると彼は、教科書に顔を埋めて青ざめている私に構わずに話を進めた。さっきより近付いてるような気がする。
 お願い、もう少し落ち着かせて…………。


「この問題って、どう解くんだっけか?」

「ほぇ?」

 彼も数学のようだ。……勉強してる?

 問題そのものは簡単なものではなかったが、以前に解いたことがあったので苦労はしないだろう。 というか、何故私が初対面の彼に勉強を教えなければならないのだろう。
 いや、生きて帰る為だ。労力は惜しむべきではない。
 それにしても、こんな奴が勉強してると、妙に可愛く見えてしまうのは不思議だ。
 いやいや、今はそんな事考えてる場合じゃ……。

「分かんねーか?」

「あ、いや、分かります、分かります。ここは確か……」






 どうして私は、もう解放されて羽を伸ばしている筈の公園で不良と缶コーヒーなど飲んでいるのだろう。
 しかし、最初のように緊張はしていなかった。

「いやー、悪かったな! 自分の勉強もあるのに色々教えてくれてよ」

 少し意外だったのだが、この男は普段から人並みには勉強をしているらしい。 私の中のイメージでは、毎日ロクでもない連中と殴り合ってばかりの筈だった。
 よくよく考えてみれば、今日一日、彼は何もしていない。いや、勉強はしていたが。
 とにかく、暴力的な素振りはまるで見せなかった。それがどうにも理解できない。

「変なの……」

「あ?」

 無意識に出た言葉だったので、自分でも何を言ったか思い出すのに時間がかかった。

「あ、えと、変って言うか、何か不思議って言うか……」

「何だよ、不思議って。俺、何か変な事してたか?」

 苦笑交じりに彼が言う。私からしてみれば今日の彼の行動は全部不思議だったと言えなくもない。

「その……あなたの噂、よく聞いてたから」

「噂? なんだよ、それ」



 私は彼についての噂を、包み隠さず知っている限り全て伝えた。
 彼はその全てをキョトンとした顔で聞き続け、私が話し終える頃には笑いが止まらないようだった。

 私、何か変な事を言ったのだろうか。 まさか笑い終えた途端に物凄い形相になって襲いかかって来たりはしないだろうかと身構えてしまう。
 しかし、彼はひとしきり笑うと、呆けている私にこう言った。

「おいおい、俺はいつの間にそんな危ない奴になってたんだ?」

「は?」




 結果から言うと、私の心配は杞憂で済んだようだ。 噂は八割方でたらめに近いもので、暴走族を壊滅など面倒くさい、ましてや人殺しもする気はないと彼は言った。
 ただ、気にかかる事は、彼が銃器の類……というか、一般に飛び道具と呼ばれるものが好きらしい。
 遠距離射撃の利点を彼は喜々として語っていたが、 この情報は読んでいる方々には有益でないので省かせていただく。 とにかく、彼がそういうのが好きだとだけ言っておこう。

 もしかしたら、と思って恐る恐る訊ねてみたが、実物は持っていないと聞いて安心した。


「……っと、話が逸れたな。もう一度言うが、お前が言ってたそりゃ殆どガセだ。
本当の俺はもっとこう、優しさに満ち溢れてだなあ……」

「睨んだだけで人が殺せそうな目つきの人の言葉とは思えないんですけど」

 いつの間にか、私は彼に物怖じしなくなっていた。思ったことを吟味することなくそのまま口にした。 それでも彼は冗談のように笑って受け答えしてくれた。
 こんなに話したのは、いつ以来だろう。どれぐらいの間、笑顔が自然に零れなかったのだろう。
 もっとこの人と話してみたいな。そう思えた。数時間前までは考えられない。


「あっ、ひでえ! 人を見た目で判断するなって、お袋さんから教わらなかったのかよ!」


 …………?

 その一言が、急に私に現実を突きつけた。「お袋さん」「お母さん」…………。
 自分の笑顔が凍り付いたのがよく分かる。顔の筋肉が引き攣っている。それは私に、笑顔でいる事を許さなかった。


「お母さん、いないから」

「え? あ、悪い。悪かった」

 私は首を振った。別に彼に落ち度は無い。ただ、「母」を思わせる単語に過敏に反応する私が進歩していないだけだ。


 今の私はどんな顔をしているのだろうか。

 きっと、彼にも負けないような恐ろしい形相になっているに違いない。母が憎くて仕方ないのだから。

 …………。





「おい、大丈夫か?」

 どれぐらい立ち尽くしていたのだろうか、彼が私に声をかける。

「う、あ、大丈夫……です」

 もういい。今日は十分楽しんだ。早く帰ろう。帰ってご飯を食べてさっさと寝よう。試験勉強は明日でいい。
 そんな事を考えていた私に、彼は思いもよらぬ言葉を返した。

「いや、でもよ。お前、今にも泣きそうな面してたぞ?」

「え……」

 私の顔を覗き込む彼の顔は、本気で私を心配している表情だった。初対面の私を。


 つ、と頬を何かが伝った。





「……んじゃな。俺が言うのもなんだけど、元気出せよ」

 そう言って彼は去って行った。何故か彼を引き止めたかったが、それは迷惑だろうと止めておいた。


 彼には申し訳ないことをした。自分が本当に情けなくなる。
 一晩中、布団の中で同じような事ばかりが頭に浮かび、その度に枕に顔を埋めながら悶えていた。







 次の日の朝だった。


「麗、麗! お前、今日は休みなのか?」

 お父さんの声が響く。その声で私の頭も寝ぼけたまま活動を始めた。

「ふにゃ……今、何時……?」

 そう言いつつも、自分で時計を確認した。

「……あれ」

 短い方の針が……七。長い方の針が……五十!?
 あっと言う間に眠気が吹き飛んだ。





「間に……合った……」

 教室に入ったとほぼ同時にチャイムが鳴った。息はすっかり上がっている。 足を止めると、汗も噴き出してきた。
 今日ほど近場の高校を選んで良かったと思う日は無いだろう。


 しかし……ああ。お弁当を作る時間が無かった。勿論お父さんの分も。
 お父さんは笑って、「どこかの店で買って行く」と言ってくれたが、やはり申し訳ない。 なんだか昨日から申し訳ない気持ちばかりのような気がする。
 私は私で、今日のお昼を購買で済ませるしかないだろう。お金も一応持ってきた。
 とにかく席に着いて、授業の準備を始めた。


 ……彼は真面目に授業に出ているのだろうか。不意にそんな疑問が浮かんだ。
 図書館には勉強しに来ていたのだから、最低でも学校には来ていると考えるのが妥当だろう。

 あれ? 何で急に彼の事?





 四時間目の授業も終わり、教室の中がざわつく。お弁当の良い匂いが何処からともなく漂ってくる。
 私もさっさと購買で何か買ってくるとしよう。財布を持って席を立った。


「お、いた」

 私が教室を出ると同時に、声をかけられた。
 誰もが彼を避けて通り過ぎて行く。今、このドア付近は皆が近づきたくない場所ナンバーワンだろう。

「一番端っこのクラスだったんだな。おかげで結構探したよ」




 私の目の前に立っているのは、金髪で、目つきの悪い、やたらと筋肉質な背の高い男子生徒。



 へぇ、ちゃんと制服着てるんだ。







番外3−2 END








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