第七話
単独行動





夏の真夜中。
寝苦しい夜だった。

「暑くて眠れない……」

時刻はすでに夜の一時を回っていた。

「何か冷たいものでも飲んでこようかな」

杏は布団から起き上がった。

ピンポーン

同時にチャイムが鳴った。

「こんな時間に……?」


ドアを開けると女性が一人立っていた。
青白い顔をしてまるで幽霊のようだ。夏だと言うのにがたがた震えている。

「何か……、御用ですか?」

「助けて……ください……」

女性の顔には得体の知れない恐怖が写っていた。



「話を聞かせていただけますか?」

杏が尋ねると、女性は口を僅かに動かしながら話を始めた。

「私は……狩原 早苗……。突然……骨……動いて……」

「骨?」

「皆を……殺し……」

「身内の人が殺されたんですか?」

「助け……助け……」

にわかに早苗はひどく震えだした。
怯え方が尋常じゃない。

「な、何かがあなた達を襲ったんですね?」

頷く様は首を振っているのか震えているのかわからない。

「だ、大丈夫です。ここには何もいませんから。
 その何かが出たと言う場所に案内してもらえますか?」

早苗は小さな地図を杏に渡した。
おそらく早苗達が襲われたであろう場所に印が付いている。

「家……家に……」

「家に出たんですね?」

やはり早苗は震えとも取れるような激しい頷き方をした。

「あの……、それならついて来てくれませんか?
 怖いのはわかりますけど、詳しく教えて欲しいんです」

早苗は、何故かそれを拒む事無くついて来た。
一人でいるのが怖いらしい。

杏は寝ている黒人を起こさずに、早苗と二人で行くことにした。





「……眠れねーなあ」





「ここ……ですね」

「ここ……家……家……突然……暗くなっ……暗くなって……」

「停電か何か起こったんですか?」

確かにスイッチを入れても部屋の電気は点かない。
さすがに杏も不気味になってきた。


「こ……この部屋……この部屋っ……!」

「この部屋がどうかしたんですか?」

杏がその部屋のドアを開けると、早苗が突然悲鳴を上げだした。

「皆っ殺さっれっ!」

息が詰まったように言っている。


何事かと部屋の中を見た杏も短い悲鳴を上げた。

「あっ……! これ……は……!」

杏にも恐怖が沸き上がってきた。

腕。

足。

指。

肉。

骨。

首。


人体のパーツが約二十。
それぞれ四人分ずつある。

「あの、天とか言う人みたいな犯罪者……?」

杏はそうも考えたが、少しばかり天とは違う様子だった。

全員の首から上、顔の表情に恐怖が貼り付いているのだが、
どうも人間の表情には見えない。
耐え難い苦痛と恐怖によって殺されたのだろう。
おそらく、一人一人、時間を掛けてバラバラにしていったのだ。


「こんな……こと……」

今までにもいくつもの死体を見てきた杏だったが、やはり死体を見るのは気分が悪くなる。

「助け……助け……助け……助け……」

早苗がずっと呟いている。
杏はこんな風になってしまうのも仕方がないと思った。
自分だって一時もこの場にいたくない。

だが、こんな事をした者を放っておく訳にはいかない。
そう思って中に足を踏み入れた。


ふっ


急に真っ暗になった。
先程までも十分暗かった。
だが、それでも目が慣れると死体の表情を見分けられる程までにはなったはずだ。
それが、今は全く何も見えない。

「な……」

不意の闇に心を乱されそうになるが、なんとか冷静さを保つ。

「早苗さん! 大丈夫ですか! 私の近くへ!」

そう言って気が付いた。早苗はさっきまでひたすら何か呟いていた。
それが今は聞こえない。

「早苗さん! 早苗さん!?」


どんっ

鈍い音がした。
そして何かが転がる音が杏に近づいてくる。

転がってきた何かが杏の足に当たった。


これは、何?

足に当たったものに触れてみる。
やや丸い。
所々硬い部分もある。
そして色々な部分を触っていくと、妙な感触があった。


にちゃ

ぴちゃ


妙に生暖かい。

ようやく杏にはそれが何かわかった。

出来立ての死体。
新鮮な血。
恐怖を映し出した肉の塊。

「いやあああぁぁ!」

すでに何かがいた。

怖い。
だが逃れられない。
そいつは部屋の入り口にいるようだ。

震える体を無理矢理抑え込み、杏は戦闘態勢をとった。
しかし、何も見えない。


どくん


杏の中に、それが入り込んできた。

邪悪。

相当強力なものだった。

思わず杏は膝をついた。

「う……あ……」

胸を押さえている。


「邪」が杏に流れ込んでくる。
だが、いつものような量ではない。
受け止め切れない。

「あうぅ……」

杏は血の滲むその部屋に倒れこんだ。
息も絶え絶えになっている。


杏の能力は杏自身も使う事を躊躇する。
だが、それは杏の意思とは関係なく発現してしまう。

それ故、黒人と出会うまで何も解らず、毎日が地獄の様なものだった。


「ん……く……はぁ……」

苦しんでいる杏に足音が近づいてくる。
「邪」もそれから次々流れ込んでくる。
その度杏は苦しみ喘ぐ。

足音が止まった。
そいつは杏の目の前にいた。

意識も途切れ掛けている杏の目に映ったのは、

真っ白な体。

それは、まるで骨のようだった。

その腕が杏の腕を掴む。
異常な力が杏の腕に掛かった。

「うあ……ぁ……」

「ほう、ワタシに触れられても壊れない生物がこんな所にいるとは」

骨のようなそいつは、そう言った。

もはや杏は目も虚ろに、体を動かす事もできなくなっていた。

その杏の首に真っ白な手が伸びた。


「……」

その力に、杏は声も出せなかった。
首に掛かる圧力がじわじわと強くなっていく。

「どこまで耐えれるのかな……?」


喉の一部をやられたのだろうか、血を吐いた。

「そろそろ、限界のようだな……。それでは、一思いに握りつぶしてやろう!」




その腕が最後の力を込めようとしたその時、物音がした。

かと思うと、場の空気が一気に重くなった。

そして、あの圧力が生じた。


「淡光照影 『月』の旋律」

その声と共に、淡い光が差し込んできた。

「杏ちゃん、ちょっとだけ、我慢してくれよ」

やがてその場は蒼の光に包まれた。
宙には小さな丸い物体が浮いている。

そしてそいつの姿が浮き彫りになった。

その姿は、人間ではなかった。
本当に骨のような姿。
頭から足の先まで真っ白だ。

「何故、ワタシの『闇』を……?」

「やっぱりテメーらか」

黒人の口ぶりはまるでそいつを知っているかのようだった。

「ワタシが何者かわかるのか……?」

「昔、散々世界中を荒らし回ってたからな」

「ほう……面白い」

そいつは杏を持ち上げた。

「だが……待っていろ。この娘を殺してからだ!」

そう言って杏を持つ腕に力を込めた。
しかし、腕に力が入らなかった。

「む!?」

杏の方を見ると、目の前に映るのは血に濡れた壁のみだった。
自分の体についているはずの腕までもが無くなっていた。
今更それに気付いたかのようにその切れ口から真っ白な液体が流れ出していた。

「こ……これは……!」

そいつが黒人の方を向くと、黒人が杏を抱きかかえていた。
真っ白な腕は見当たらない。

「遅くなってごめんな」

「くろ……さ……ん……」

涙の滲んだ目が黒人の姿を捉えた。

「なん……で……ここ……に……?」

「……キミがいたから」

そう言って黒人は杏を優しく寝かせた。


「貴様……ワタシの腕を……!」

「あア、悪いな。

 消しちまった」

「許さんぞ……!」

再び「闇」がそいつの体から滲み出し始めた。


ぴちょん


そいつの真上に水が溜まっていた。
天井スレスレに平たく溜まっている。

「はっ! これが貴様の能力か! だが、こんな水遊びで俺を殺せるか!?」

「そう思うのならやってやるよ」

黒人の殺気がいつもとは違う。
その感覚は、怒りによく似ていた。

「0.1ミリ 初速 3000km/秒
 この圧力で噴出される『水鉄砲』を受け切れるんならな」


つっ


小さな、本当に小さな穴が、その白い体に開いた。


つっ

つつっ

つつつっ


ほんの小さな穴が次第に増えていく。
その場を離れても次々と穴が開く。

それはやがて、大きな穴になった。

「な、何をした!」

そいつが叫んだが、黒人は答えない。

さらに穴の開くペースが速くなった。
次々と穴が広がっていく。

「や、やめろ!」


さらにペースが上がる。それはもはや豪雨となった。


ざあああああぁぁぁぁ


「うがあああああああああ!」


「『水』の旋律 針千本」


弾丸以上のスピード、針以上の薄さの雨が、白い体に降り注ぐ。

やがて穴は一つになり、その穴は大きく広がり、


全てが終わった頃には、そこには何も残っていなかった。
「俺の女に手ェ出すな」






「くろさん、昨日はごめんなさい。勝手に出て行って……」

「キミが死ぬとこだったぞ」

「はい……。でも、あれはなんだったんですか?
 あんなに『邪』が入り込んできたのは初めてです」

「ごめんな、ちゃんと話しとくべきだった。
 ……あいつは昔、俺が退治したやつらの生き残りだ」

「退治したって……まさか……」

「『悪魔』だ。二千三百年前、世界を滅ぼしにかかったやつら」

「私達に、『能力』を与えた種族ですね……」

「あの女はまだ生きてるだろうな」

「でも、なんであれが一人だけで?」

「暇潰しだろ。あいつらはそういう種族だ」

「……」

絶句する杏に、黒人は続けた。

「あいつらの『邪』を奪い取るのは今のキミには無理だ。
 きつかったろ」

「はい……」

まだ杏は体が上手く動かせない。

「十日ぐらいで治ると思うから大人しくしてろよ」

「ごめんなさい……お仕事も休んでもらって……」

黒人は杏の頬に優しく手を触れた。

「仕事なんかよりキミの方が大切だからな」






涼しい風が窓から吹き込んできた。





第七話
END


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