第五話
強くなるには




「っあー。今日は客が来ねーなー」

「平和なんですね」

「そういうことなんかね」


「たのもー!」

「たのもー?」

二人は顔を見合わせた。

「なんだ? 人ん家の前で」

「たのもー! 誰もいないのかー!」

「やっぱりお客さんでしょうか」

「いや、ありゃあ道場破りだぜ……」


「たーのーもー! だーれかー!」

「わ、わかりました! 今行きますから一定の間隔で叫ぶのはやめてください! 近所迷惑ですのでー!」

慌てて杏が出迎えた。

「ご、ご用件は?」

「おう! かわいいお嬢ちゃんだな! まあ立ち話もなんだから中に上がっていいかい!?」

「こ、こちらの台詞です……。あまり大声を出さないで……。周りの人が見てますから」

「おお、そうか! いやー、すまない! なにぶん礼儀と言うのは難しいからね!」

「大きな声を出さないでください〜」



「ホント勘弁してくださいよ。客来なくなったらどうしてくれるんすか」

「はっはっは! 仕方ないじゃないか! そういう育ちなんだ!」

実にうるさい男だ。そのいかにもな道着から何か格闘技をしていると思われる。
ひとしきり騒いだ後、男は本題を話し出した。

「俺は赤田 一志! よろしくな! 何でもやってくれると聞いてここに来たんだ!」

「いいかげん怒鳴るのやめてくれませんかね。赤田さんね。よろしく。
 で、もう一回聞くけど依頼は?」

「そうそう! 明日うちの道場で一日弟子の稽古を見てやってくれないか!?
 明日一日用事で道場をあけないといけないんだ! 難しい事じゃないだろう!」

「はあ!?」

「聞こえなかったかい!? 弟子の稽古を……」

「あーあー! 聞こえてるから! ……何で俺達が稽古を見るんだ?
 別に道場で一番強い奴とか自主トレとかにしとけば……」

「それがそうもいかないんだ! あいつらときたら俺が見張ってないとすぐにサボりやがる!
 うちには他に講師はいないし、一人に見張らせようとしてもそいつが報告を誤魔化しては意味が無い!」

「それで俺達に見張り番をしててくれと」

「その通りだ! 俺はあいつらに一生懸命打ち込んで欲しいんだ! 何かを一生懸命やると言うのは素晴らしい!
 何事も一生懸命やらなければ楽しいはずがない! そうだろう!」

「ああ、ああ、そうね」

一志の大声に黒人も杏も対応に困っていた。

「稽古を見ると言ってもそうたいした事じゃない! ただ弟子達の様子を見てて欲しい!
 その結果を俺に報告してくれればいい! どうだ! 引き受けてくれるか!」

「はあ、まあ……」

「そうか! ありがとう! じゃ、頼んだよ! はいこれ、道場の鍵と弟子達の名簿だ!
 住所も書いてあるから来てなかったら迎えに行ってやってくれ!
 そうそう! 稽古は明日の朝七時から昼の三時までだから、お弁当を持って行くように!
 脱水症状が恐いから水分も十分取ること! 質問は!?」

「いや、ないっすけど……」

「ないなら解散! 明日遅れないように!」

「あの、ここ私達の家……」

「あ!? ああ、すまない! ついいつもの癖が出てしまってね! それじゃ、俺はこれで失礼するよ!
 弟子達のこと、よろしく頼んだよ!」

ほとんど一方的に話をつけて一志は帰ってしまった。
その時、道行く人に道端で道着を着ている人を見るような目つきで見られていた。

「嵐のように行っちまったな……」

「なんだか疲れちゃいました……。……あ、そういえば、道場の場所は?」

「あのおっさん、一番大事なこと言い忘れて行きやがって……。しょうがない、『図』で探そう」





翌朝、二人は道場にやって来た。
集合時間の十分ほど前だ。
道場には「赤田道場」と書いてある。

「あー、眠てェ……」

「くろさんは朝弱いんでしたね」

「杏ちゃんは結構いつも余裕だよな」

「早起きって気持ち良いですよ」

「俺は気持ち良く眠りてェ……」

鍵を開けて道場に入った。


十分後、ぞろぞろと門下生達が集合してきた。全部で二十人いた。

「えー、師範が急用で来れなくなったので代理で来ました、明無 黒人と」

「音日 杏です。よろしくお願いします」

「押忍!」

門下生達はいやに元気良く挨拶をした。
全員、杏の方をじっと見ている。

「えーっと、じゃあウォーミングアップはじめてくれる?」

「はい! その前に質問です!」

「はい、そこの……えっと……日海君?」

「二人は格闘技には詳しいんですか?」

「全然」

「そんな人達に見られても僕達強くなれないと思います!」

そうだそうだ! 俺達と同い年ぐらいじゃないか!
等、不満の声が上がる。

「練習はそっちで思い思いにやってくれればいいよ。俺達は特に口出ししない。
 俺達はただ練習風景を見てそれを師範に報告するのを頼まれただけだ」

「それでも、何にもできないのにいられても無駄だと思います!」

やはり次々と不満の声が上がった。

これは門下生達がなんとか二人を追い出してサボろうと考えていたのであった。

「弱い奴と一緒にいるとこっちまで弱くなっちまうよ!」


黒人は小さく舌打ちをした


ズドォッ…


「ごちゃごちゃうるせェな」

黒人が拳を打ち出した壁はガラスのように砕け散った。

門下生達は静まり帰ってしまった。

それを見て黒人は笑顔を浮かべた。ただし、目が笑っていない。
「それでいい。じゃ、ウォーミングアップ始めて」

「お、押忍!」

慌てて門下生達はアップを始めた。




「えーっと、次は乱取り? そういうのやって」

「お、押忍!」

門下生達は相手を選ばず、あちこちで試合を始めた。
しかし、何人かはスペース不足のため、端の方で待機していた。
一定の時間毎に入れ替わるようにしているらしい。

「くっそ、あの代理で来た奴、邪魔だな」

「あーあ、だりいよ」

「こうなったらあいつに痛い目見させてやろうぜ」

「どうするんだよ」

「一対一で試合してぶちのめしてやるんだ。彼女の前で恥掻かせてやるぜ」

「でもあいつ、壁に穴開けちまうんだぞ」

「ばーか、あんなのどうって事ねえよ。俺達は瓦だって割れるんだぜ」

「それもそうだな。よっし、そうしようぜ」



交代の時間になると、一人の門下生が黒人に言った。

「代理さん、俺と試合してくれよ」

「えーっと、木戸君だっけ。何で?」

「あんなパンチ出すんだもん、手合わせしてみたいのは当然さ」

「あんなのでか」

「いいからやろうよ。それとも負けるのが恐いの?」

周りから笑い声がする。

「俺、試合のルールとか知らねえもん。すぐルール違反で終わりになるよ」

「別にルール違反なんか取りやしないよ。相手を倒せば勝ち、それだけさ」

「そーそー、俺達のはそういう格闘技なの」

ありもしないことを門下生達がうそぶいている。

「そう、じゃあやろうか。時間制限とかある?」

「五分間です」

「あいよ。倒せばいいんだな」

黒人は立ち上がった。


「それでは、試合を始めます。互いに礼!」

二人とも一礼をした。
そして木戸はすぐに構えた。だが。

「代理さんよ、さっさと構えなよ」

「構えなんて知らねーよ。別に俺なりにやってもいいんだろ。なら、これでいい」

黒人はただ立っているだけだった。それは本当にただその場にいる、そんな様子だった。
「あんまり嘗めてると痛い目見るぞ!」

「始め!」

その声と同時に木戸は飛び出した。そのまま黒人に正拳突きを繰り出した。
狙いは、顔だった。


とんっ


軽い音が響いた。
それと同時に木戸の拳は黒人の顔をはずれ、空を切った。

黒人は別段大した力は込めていなかった。
ただ相手の拳の内側に自分の手首を体に対して並行に当てただけである。
それだけで相手の力に逆らわずに完全に拳を逸らしてしまった。
不可能な事ではなかったが、木戸は驚いた。
「受け流し……っ」

「隙だらけ」

そう言って黒人は木戸の額を指で突いた。

木戸は慌てて黒人から離れた。

「ちっ、素人と思って油断したぜ。だが今ので決めなかったのが命取りだぜ!」

木戸が言ったのを聞いて黒人はため息をひとつ吐き、言った。

「真っ直ぐ突っ込み過ぎ。どこ狙ってるのかわかりやす過ぎ。拳出した後止まり過ぎ。
 しかも油断し過ぎ。本当に鍛えてんのか?」

「う、うるさいな! 次はこっちが度肝抜いてやるぜ!」

「お前、今実戦だったらさっきので頭飛んでたぜ。『次』なんてねぇよ」

「黙れ!」

叫んで木戸は再び黒人に向かっていった。

「俺の力、見せてやる!」

「最初っから見せろよ」


木戸は今度は蹴りを繰り出した。
上段回し蹴り。

だが、黒人は易々とかわした。
と、思うと。

「おらァ、今度はテメェが油断だ! 喰らえ!」

木戸の蹴りは上段回し蹴りかと思われたが、蹴りが最上点に達すると、突然蹴りの方向が変わり、
上段回し蹴りが踵落としになった。
黒人は仰け反ってかわした為、その踵落としを避ける事はできない体勢になっていた。


ぱんっ



避けられないのなら、受け止めればいい。
だが、あのような体勢から踵落としの勢いを完全に止める事は不可能だ。

普通は。


「まだ問題点あったな。力、弱過ぎ」

マトリックス程とは言わないが、それでもかなり仰け反った体勢で、
それも右手一本、掌で振り下ろされた足を受け止めている。

「う、嘘だろ!? 木戸のあれが受け止められるなんて……」

門下生達は動揺していた。

「なに、あれが必殺技とかそういうヤツ? 不規則性はともかく一回見たら簡単に破られるぞ」

「な、なんだと!」

木戸は完全に頭に血が昇っている。無茶苦茶に攻撃を繰り出し始めた。


それからの三分間、道場に打撃音が響くことは一切なかった。
聞こえるのは拳や脚が空を切る音のみ。


黒人は一切手を出していなかった。
つまり、空を切る音は全て木戸の攻撃だった。

全ての攻撃を、黒人は難なくかわしていた。
木戸は決して弱いわけではない。
道場内でも三本の指に入る。

「く、くそお……っ」

木戸の体力は底をつきかけていた。

「息上がり過ぎ。最初の勢いはどうした?」

一方黒人は息ひとつ乱れていない。

「じゃ、時間もなさそうだし、俺から行くぞ」

「こ……の……」

カウンターだ。
木戸はそう考えた。
攻撃が当たらないのなら向こうから来た攻撃にカウンターを叩き込んでやる。
木戸は構えた。


……?

奴が向かってこない。
じっと佇んでいる。
何故だ?


そう考えた時、
すでに黒人は木戸のすぐ目の前にいた。

「な……!?」

動く暇もなく、黒人が木戸の懐に潜り込んだ。


木戸の体に掌を軽く当て、一歩踏み込んだ。


たったそれだけで、木戸の体は、風に吹かれた木の葉のように吹き飛び、壁に激突した。


「あらら、やり過ぎたかな?」

木戸はのびてしまっている。

それを見ていた門下生達も驚愕していた。

「どうしたんだ、木戸!? ただ真っ直ぐ近づいてきただけだろー!?」


門下生達には接近していた事はわかっていたようだ。
しかし、木戸はそれを悟る事はできなかった。

「いきなり……目の前に……きやがっ……」

木戸はうわ言でそう言っていた。

「まあ、そう見えるだろうな。さ、まだ試合したいって奴はいるか?」

誰も名乗りを挙げる事はなかった。




「さっきの、流脚でしたね」

杏が黒人に言った。

「何がだ?」

「最後にあの木戸君に近付いたやつです」

「ああ、アレな」

「あんなの使わなくても勝てたでしょう? なんでわざわざ?」

「別に理由なんてないけどな。強いて言えば、上の世界を見せてやったってやつ?」

「上の世界……ですか?」

「あれぐらいレベルの違いを見せてやったらあいつらもそのレベル目指してやろうとするんじゃねえ?」

「一生懸命、ですか。そうなるといいですね」



黒人の読み通りなのか、門下生達は次第に真剣に打ち込むようになり始めた。
まだ多少はサボり気があるようだったが。
特に木戸は急に熱心になり、休憩も取らずに技を磨いていた。

「今度はそう簡単にはいかせねぇぞ」







時間は過ぎ、日も高くなり、時刻は十二時を示そうとしていた。

「そろそろお昼休みにしましょうか」

「おお、もうこんな時間。そうするか。
 皆ー、昼休みだー。飯食って休んどけよー」

押忍、というお馴染みの返事が返り、各々食事を摂り始めた。

「はい、くろさん。お弁当です」

「あー、代理、愛妻弁当だー!」

「いーなー! ちょっとくれよ!」

「よぉし! この弁当が欲しけりゃ俺と勝負だ!」

「ずりーぞ! そんなの勝てるわけねーじゃん!」

等、食事時の楽しげな会話をしていた。

「……いつの間にか皆と仲良くなっちゃってますね」



二人の門下生が会話しながら食べていた。
「あー、うめー」

「なんかいつもより美味いなぁ……。ぐっ……喉に詰まっ……」

「はい、お水。いつもより美味しいと思えるのはいつもより一生懸命やって、しっかりお腹が空いてるからですよ」

そう言って杏は水を渡した。

「……っぷは。ありがとうございます。……そうかもなぁ。
 そういえば、初めてここに来た時もこんな美味い飯だった気がする」

「初心忘れるべからず、です」

微笑む杏に二人とも照れ臭そうにしていた。




皆が食事を終え、休憩も程々に取り、午後の練習を始めようとした時だった。

「邪魔するぜぇ」

一人の大きな男が入ってきた。
師範と同じような体つきだ。

「ここで一番強い奴、俺と戦え。俺が勝ったらここの看板を貰う」

「うーわ、道場破り? 古くせー」

その発言を聞いて、男は黒人の襟首を掴んだ。

「俺はただここで一番強い奴と戦いたいだけだ。看板を貰うのは勝った証拠だ。
 もう十九枚取ってきた。ここのが二十枚目だ」

「だからそれが古くせーって」

男はおもむろに黒人を持ち上げ、壁に向かって投げつけた。
しかし、黒人は上手く着地した。

「危ねーな。なにすんだよ」

「黙ってさっさとここで一番強い奴が出てくればいいんだ」

すると、門下生の一人が前に出て言った。

「俺だ! 俺が一番強い!」

その門下生は、青根という名だった。
「なんだぁ? ガキじゃねえか。ちっ、ここはガキの道場だったのか。こんなのが二十枚目とはな」



「おいおい、無理すんなよ、青葉君。嫌だったら俺が代わってやるからよ」

「いいんです。代理の人にそこまで任せるわけにはいきません」

その目つきは、始まったばかりの頃のダルそうな目つきではなく、真剣そのものだった。
自分が道場で一番強いと自覚を持ち、道場のために戦うことを決めたのだから、相当な変わりようだと言える。

「大人相手には分が悪いですけど、なんとか頑張ります!」



二人が道場の中央で相対した。
まるで親子のような体格差だった。
実際、それぐらいに年が離れてはいるだろう。

「それでは、試合を行います。互いに、礼!」

青根は礼をしたが、男は礼をしない。

「礼だぁ? ガキに下げる頭なんざ持ち合わせてねぇよ!」

武道をする上での態度とは思えなかったが、試合は開始された。

「始めっ!」



ドズッ


開始早々、男の一撃が青根に入った。
その衝撃で少し体が浮いた。

その一撃ですでに勝負は決まっていた。
はずだった。

だが男はそのまま間髪入れずに二撃目を背中に叩き込んだ。

「青根!」

青根は畳にうつ伏せた状態になった。

「へっ、やっぱりガキなんてこんなもんだな」

そう言ってさらに大きく足を振り上げた。
門下生達が絶叫した。

「やめろおォー!!」



ずんっ


「ナイス、杏ちゃん」

男の振り下ろされた足を受け止めていたのは、杏だった。
普段の穏やかな雰囲気が失われ、鋭い眼光で男を睨みつけている。

「……んだぁ!? なにしやがる!」

油断していたためか、男の足にはそれほど大した力はかかっていなかった。

「もう勝負は付いてたはずです。ここまでしなくてもいいじゃないですか!」

「へ、相手が動かなくなるまでぶちのめすのが俺のやり方だ! 文句言ってんじゃねえ!」

「……杏ちゃん、下がってな」

黒人が歩み寄った。

「どうやらコイツは、自分がぶちのめされなきゃあわからんみたいだ」



「ひでえ……。こんなになるまで……」

「血ィ吐いちまってるぜ」

青根は見ただけでも無事でない事がわかる。
「病院に連れて行かなきゃ」

「私が……、連れて行きます」

そう言って杏が連れて行った。



道場の中央には黒人と男が相対している。

「んだぁ!? またガキか! 結果は一緒だぜ!」

「試合を始めます! 互いに礼!」

しかし、二人とも礼をしなかった。

「てめぇ、どういうつもりだ」

男が言った。

「お前もしてねえじゃねぇか」

「俺はする必要はねぇ! だがお前は年上である俺に敬意を表して礼しなけりゃあならねえんだよ!」

「その理屈で言えば年上は礼する必要はないってことだよな」

「ああ、そうだよ! だから……」

「俺がお前みたいなガキに礼する必要なんてねえってことだな」

「あんだと!? ……生意気なこと言いやがって! ぶち殺してやる!」

「は、始めっ!」


男は青根の時と同じように一撃目を素早く黒人に打ち込んだ。

だが、黒人は難なくかわすと、その腕を掴み、百キロはありそうな巨体を放り投げた。

男は壁に叩きつけられたが、すぐに起き上がった。

「このガキ……!」

「はっ、遅ェなあ! 糞餓鬼が!」

その言葉で完全にキレてしまった男は猛スピードで黒人に襲い掛かった。

「……さっきの俺と同じだな」

木戸が小さく呟いた。




しかし、今度は少しばかり違った。
今度は打撃音がいくらか響いた。
それらは全て黒人の攻撃だった。
それは力を込めて撃ったものではなかったが、何発も当てるとさすがにダメージが溜まる。
次第に男の動きは鈍っていった。

やがて黒人が口を開いた。

「よーし、皆! 今から俺の技の秘密をひとつだけ教えてやろう! 後で青根君にも教えてあげてくれ!」

「技?」

門下生達が口をそろえて言った。

「そう! さっき木戸君に難なく近付いた技だ!」

頭に血が昇った男にはそれを聞く余裕はない。

男の攻撃をかわしながら器用に話している。

「まず体は相手に対して垂直からやや斜め!
 そのまま足を相手に悟られないように足首のみの力で強く蹴りだし、
 体が浮き過ぎないように低空で前に飛ぶ! これが」

男から距離を取り、たった今、自分が言った体勢になった。

男が迎え撃とうと構えていたが、

黒人が近付くのを悟ることができなかった。

「走術『流脚』」

男の懐に潜り込んだ黒人は今度は掌ではなく、拳を撃ち込んだ。


スピードによる急接近ではない。
ただそれだけだったなら門下生達に黒人の姿は見えないはず。
だが、門下生達には黒人が近付くのを見ていた。

その理由は、黒人を見る角度。
彼らは黒人の動きを真横で見ていたため、通常の移動に見えたのだ。

「流脚」の正体。
それは、二次元の移動。
離れていた敵が突然目の前にいたのはこのためだ。
動きを一切見せない上に、踏み込みの際の頭の位置の変化すらない。
そのためにその姿を立体的に捉えることができず、黒人の接近を許すことになったのだ。

言ってみれば簡単なことだが、これを完璧にやるのは不可能に近い。
相手に悟らせない二次元の接近など、できるはずがない。

だが、二千三百年の修行。
この果てしない積み重ねが、不可能を可能にした。


ドゴッ


黒人の拳は男を容赦なく殴り飛ばし、壁を突き破って男を道場の外まで吹き飛ばした。

「俺をガキ扱いするなんて、二千三百年早ぇーんだよ」

「す、すげー! あいつを手玉にとるなんて!」

「しかも最後の一撃! ありえねー!」

「どうやってそんなに強くなったんですか!?」

その質問に、黒人はこう答えた。


「一生懸命打ち込む事かな」







翌日、一志が黒人達の所へやって来た。

「君達! 昨日はありがとう! しかし、どんな魔法を使ったんだい!?」

「相変わらずお元気な声ですね……」

「なにかあったんすか?」

「道場に行ってみて驚いたのなんの!
 弟子達が皆とっくに練習時間を過ぎたのに熱心に練習に打ち込んでいたんだよ!
 あのサボりたい放題だった奴らがだよ!」

二人は顔を見合わせて笑った。



「そうそう、皆リュウキャクがどうのって言ってたけど、あれはなんだったのかなあ!?」

一志は不思議そうに言った。





第五話
END

←第四話へ
第六話へ→






ClockLockに戻る
自作小説小屋に戻る
トップへ戻る