第三十五話
アヴェスタ
14:Liberating of calamity






 懐かしい感覚。
 久しぶりの解放感。
 例えるならば、長いブランクをおいたスラッガーが、再びバットを握った時のそれに近い。
 体中の血液が、熱く、激しく、流れている。
 あの女の言葉は間違ってない。
 久々にバットを握ったのなら、白球を思い切り叩きたくなる。
 力を手に入れたのなら、その力を何かにぶつけたくなる。
 ヒトは、そういう事に悦びを覚える。

 自分は違う。正確には、自分はそうであってはいけない。
 自分が力を知る悦びを得る時、その代価は、ヒトのイノチ。
 
 これ以上、殺したくはない。
 この手は、血に染める為にあるんじゃない。

 それでも、たった一人、守ると決めた女の為ならば。

 俺は自ら進んでこの手を紅く染め上げよう。
 力の悦びを、解放しよう。

 命を自由に弄び、葬ろう。
 その為の力すらも手に入れた。

 知っているか、フィスキーナ。
 俺は、お前の想像をも超える化物になった。
 恐怖と苦痛を最大限に与える事が出来る程の―――

 
 『大災害カラミティ』に。





 なんだ? あの小僧は。
 突っ立ったまま、動かない。
 なんという、穏やかな表情。まるで、朝起きたばかりの子ども。
 それなのに、なんという底の深さ。
 なんという、威圧感。

 目の前にいるのは、ただの青年。
 しかし、目に映るのは、化物―――。





 「1%だ」

 そう言って、黒人が左手の手袋を―――人差し指の部分だけ―――破り捨てた。
 たった二人しかいないその空間は、その音だけが響き渡った。

 「1%だと?」

 「ああ。全戦闘能力の内、1%。それを、お前への制裁の為に解放する」

 「ふん、ハッタリも大概にしなよ。1%? だったらなんだい、
 あんたのさっきまでの力が1%にも満たないってのかい?」

 「他にどう解釈できたんだ? あんまり吠えると、びびってるように見えるぞ」

 「黙りな! あんたのその減らず口、二度と開けないように針で縫ってやろうかい!」

 先程までは、一切自分から動かなかった「マズダ」が仕掛ける。
 黒人に近付くと、自らの指を傷付け、血をかける。

 「はっ! なんだい、動きやしないなんてね! 体が固まっちまってるのは、お前じゃないか!」


 「そんなに、動いて欲しいのか?」

 黒人が、ゆっくりと一文字一文字噛み締めるように言った。

 「マズダ」は思わず耳を塞いだ。
 塞がずにはいられなかった。

 「……なんだい、今の声は!?」

 「ん、ああ、悪いな。丁度、封印が解けたらしい。
 こうなると、油断すれば声の大きさまで調節出来なくなっちまうからな」

 「……ちっ! どこまでもハッタリが好きな奴だね! 下等人種が!
 ハッタリの掛け方まで下等だよ、まったく!」

 「下等人種?」

 「はっ! 分からないとでも思ってたのかい? おめでたいねぇ。
 あんたは黒人の血が混じってる! 名前や、その格好が良い証拠だよ!」

 黒人は、溜息を吐いてから答えた。

 「そうだけど? 何かまずいのか?」

 「汚らわしい血の流れてるあんたにゃ、地べたがお似合いだって言ってんのさ!」

 「マズダ」が右手を突き出す。

 「じゃあ聞くが、黒人の血は何故汚いんだ? 誰がそう言った?」

 「昔からそうだと決まってるのさ! 理由なんか知ったこっちゃないね!」

 そう言って、掌を広げる。

 (くく、内側から弾け跳ぶがいいさ!)

 そして、その手を力強く握り締めた。



 「―――じゃあ次の質問だ。何故そこまで人を蔑む?」

 「なっ、にぃ?」

 驚きのあまり、「マズダ」の声が裏返った。
 弾け跳ばない。何処も。僅かな裂け目もないらしい。

 「質問に答えろよ。変な事に気を取られてないでさぁ」

 「この……小僧! 何をした!」

 「自分が答えてから聞けばいい」

 「……! 私は神になるんだ! 貴様等のような汚らわしい者となど、土を分かつ気はないんだよ!
 さあ、あんたにも答えてもらおうか! 何をした!」

 「別に何も」

 黒人が肩を竦める。

 「ふざけんじゃないよ! あんたが何かしたのは分かってんだからね!」

 「さ〜あ? 神サマならこんな汚らわしい血の人間に頼らなくても分かるだろ?」

 「マズダ」は言葉に詰まる。

 「この……糞餓鬼が……!」

 「俺の名はな、俺の親が先祖の血を忘れないようにって付けてくれたんだ。
  この名は、先祖そのもの。そして、俺の誇りだ。
  俺は、俺に流れてる血を誇りに思う。俺に生ある限り、この誇りは傷つけさせない」

 そして、黒人は能力を放った。
 静かに、それでも確かに。

 「解放―――『異形フリークアウト』!」

 いつもの圧力感が無かった。
 その代わり、黒人の体が、漆黒の「何か」に包まれていた。

 そう見えた。

 「……何だ、それは……? 何なんだい!?」

 「マズダ」の表情が、みるみるうちに引き攣り、冷や汗に濡れ、さっきまで姿を変えていた老婆のように醜くなっていく。
 黒人の影が、人の形をしていない。
 例えるなら、鬼。悪魔。怪物。
 どんなに馬鹿げた考えを棄てようとしても、その影は強烈におぞましいものとなって網膜にこびり付く。
 黒人の影をそうさせるのは、纏った漆黒の「何か」のせいなのかもしれない。
 しかし、「それ」は確実に見えるものではなかった。
 異常な密度でありながら、蜃気楼のように儚くもあった。

 「『文字』は連なり意味を成す。
 メロディは『不』、リズムは『死』。
 ―――戯曲『不死』」

 黒人の掌が天に吸い上げられるかのように上を向いた。

 「この餓鬼……何をするつもりだい!」

 「もう、終わったよ」

 静かに、深く呼吸するように返答する。

 「お前を、不死にした。それだけだ」

 「な……に……?」

 「聞こえなかったのか? お前を不死にしたっつったんだ」

 「……くく、ははは……」

 「マズダ」が笑った。表情が無かった。妙な所をじっと見ている。

 「お前が? 私を? ははは、ありがたい事だねぇ! あんたにそんな力があるってのかい!?」

 「証拠が欲しいか?」

 黒人が正拳突きの構えをとった。

 「今度はその右手を握りつぶしてやるよ!」

 「マズダ」は両手を重ねるようにして目の前に突き出す。
 そして、渾身の力を込めて、両手を握り締めた。


 その瞬間には、「マズダ」の心臓は消し飛んでいた。
 黒人がいつの間に近付いていたのか。
 それどころか、黒人が拳を突き出す瞬間、引く瞬間。
 全ての動きは、「マズダ」の眼には残像すら映らなかった。
 いや、心臓が消し飛ぶその瞬間まで、黒人は数メートル離れた場所で構えをとっていた。
 
 背後から、風が流れ込んでくるのを感じた。
 倒れ際、バランスが崩れ、後ろを向いた。

 「マズダ」は、黒人の拳たった一発で、部屋の半分はおろか、
向こう三里までは細胞一つ残ってはいなさそうだった。

 「出始めだったから心臓一つで済んだみたいだな」

 「き……さ……ま……」

 「マズダ」は地に沈んだ。



 「……?」

 「マズダ」は異変に気付いた。
 心臓を完全に破壊され、それ相応の苦しみも痛みもある。
 それなのに、意識だけが消えない。
 死ぬほど苦しいのに、気絶すらしない。

 「言っただろ、お前を不死にした、ってな」

 頭上で黒人の声がした。
 「マズダ」は、かろうじてその声を聞いた。

 「不死にはした。が、死なないだけだ。無くなった心臓は戻らない。
 苦しみは永遠に続く。生きて苦しめ。それでも贖罪にはならんが、な」

 「な……なんだってえぇ……!?」

 「ちょっと解放しただけで、あっと言う間に決着が付くもんだなぁ」

 黒人が、「マズダ」に手を翳す。

 「メロディは『侵』、リズムは『水』。
 ―――即興曲『侵水』」



 じわり、じわり。
 「マズダ」の体が、妙な湿気が染み渡った。

 「な……これは……!?」

 やがて、体を包む程の水が何処からともなく溢れ出した。
 それが、次第に集まり、形を造る。

 出来上がったそれを見て、「マズダ」は絶叫した。

 その姿は、髑髏のような顔をした、自分そのものだった。
 眼窩が露になり、鼻が削げ、立体感の無くなった顔だった。

 「お前はこれから、それ以上に体を蝕まれる。それこそ、完全に溶けちまうまで、ゆっくりとな。
  皮が無くなるまででも何年かかるかな? まあ流石に跡形も無くなれば死ぬとは思うよ。
  その頃には世界も終わってるさ」


 絶叫し続け、あまりの声に自身の喉が耐え切れず、血の泡を吐きながら、
がぼがぼというノイズ混じりになっていた。

 それでもなお叫び続ける「マズダ」を其の場に残し、黒人は部屋を後にした。



 自らを神と名乗ったただの人間。
 他人を全て犠牲にしながら真の神になろうとした愚かな人間。
 自分以外の全てを傷付け尽くした人間。

 悪魔が神を名乗った罰は、鈍重に響く、ドアの閉まる音だった。







 ―――呆れるを通り越して笑っちまう。
 あの子を守る為なら、世界を滅ぼすよ、俺。
 多分。








第三十五話
END


第三十六話に続く





←第三十四話へ
第三十六話へ→






ClockLockに戻る
自作小説小屋に戻る
トップへ戻る