第三十四話
アヴェスタ
13:Revival of calamity






埃のせいで少しばかり視界が霞むが、そこにいるのは、確かに髪の真っ白な老人だった。

「もう話は聞いているかな? 私が『ミトラ』と呼ばれている者だというのは」

「ほんの少しですが、あなたの事は僕達が話しました」

「おお、ノルム坊や、久しぶりだね」

「久しぶり……おじいちゃん……」

「おうおう、ヘレン嬢ちゃんも元気だったかい? そっちは……大作君か」

「ひ、久しぶりだな……爺さん」

三人は「ミトラ」の方へと近付く。
ヘレンとノルムは頭を撫でられている。

「そちらの方々も、こちらへいらっしゃい。取って喰いはしないから。
 そうだ、取っておきのお茶とお菓子があるんだ。皆で食べないかな?」

「あらあら、ありがとう」

何故か魅夜が猜疑心もなく「ミトラ」の方へと歩み寄る。

「み、魅夜さん、そんなホイホイと……!」

「大丈夫、彼に敵意はないわ。それに……」

互いの顔がはっきりと見える程近付くと、「ミトラ」が目を瞠った。
大きな驚きと、僅かな喜びがその表情から分かる。

「おお……あなたは……」

「やっぱり、あなただったのね。今、はっきりと分かったわ。
 どんなに歳をとっても、面影は残るものね」

「なんや、知り合いなんか?」

椋池が興味深そうに老人の顔を覗き込む。
つられるように麗と霧玄も「ミトラ」の元へと歩み寄る。

「彼女の求めた『答え』は……こんなにも身近にいたのか……」

「ミトラ」が震える手で魅夜の頬に触れる。

「私の事、覚えてる?」

「もちろん……何十年も経た今でも変わらず美しい……。
 また出会えて……私は幸せ者です……先生……」

「せっ……」

「先生!?」

魅夜と「ミトラ」を除く六人が一斉に声を上げた。

「魅夜さん、このお爺さんの主治医か何かだったんですか!?」

「まさか姐さん、弟子でもいたのか!?」

「いやいや、阿呆か、お前ら。先生言うたら、先生やろ」

「うん、少し前の話だけれど」

「あれから……教師を続けてはおられんのですか?」

「ええ、ずっとこのままだと流石に怪しまれてしまうもの」

「それもそうか……ふふ……しかし、驚きました。あなたが時の流れを逸した者だったとは……」

「そうよ、私を入れたこの四人と、あと……此処にはいないけど、二人いるわ」

「なんと……! そんなにもおられたのですか……。
 道理で、『ヤザタ』『アムシャ・スプンタ』でさえも歯が立たぬ訳だ。
 遥かなる、経験の違いとでも言いましょうか」

「そうね。きっと……」

と言葉を続けようとした魅夜の肩に手を置き、椋池が咳払いをする。

「あー、うん。お二人さん、俺らも話に混ぜてくれんか」

「あ、あらあら、ごめんなさいね。懐かしくって、つい……」

「もー、お陰で警戒心も薄れちゃった」

「で? 何で爺さんは俺達を此処に連れてきたんだ?」

「ほっほ、そこまで知られておりましたか。あなたの能力ですかな?」

「そうだ。詳しく教える必要は今は無い」

「そう怖い顔すなや、こんな老人相手に」

「老人だろうが、敵の幹部だろ?」

「そうは言うてもやな……」

「良いのですよ、私が敵であるのは違いない。ただ、戦う気が無いだけですよ」

「だったら、さっさと理由を教えてもらえねーかな」

「ええ、ええ。そう急ぐ事もありますまい。
 私はただ此処であなた達の足止めを命じられただけですよ」

「足止め!?」

「『ミトラ』! この人達は悪人ではありません!」

ノルムが「ミトラ」の手を握る。

「そうだ! 俺も聞いたぜ、『マズダ』の事! 俺達は、騙されてたんだ!」

大作も、「ミトラ」の説得を試みる。
ヘレンも説得をしようと背伸びしてベッドに手を掛ける。

「お願い、おじいちゃん……この人達を通してあげて……!」

「ミトラ」は、三人の顔を見回し、一息ついてからゆっくりと話し始めた。

「安心なさい三人とも。私に彼らを害する気は無い。
 それに、本当に足止めするつもりならば、あの黒いコートの青年も此処へ導いた……」

「そ、そういえば……」

「なあ、爺さん、その言い方……あんたひょっとして、この城の建築者と違うか?」

「建築……って、こんなお爺さんがこんな大きなお城……!」

「いや、でも大作君の話やと、城を建てたんはたった一人の人間やと……」

「あ、ああ。俺もそう聞いてる。まさか、爺さんだったのか?」

「ほっほ、いやいや、私ではありませんよ。この城を建てたのは、私の古い知人です。
 私はただ、彼女の能力で建てられたこの城と契約しただけで」

麗が怪訝な顔をして聞き返した。

「契約って、どういう事?」

「おお、そうでしたな。私の能力を話しておりませんでしたな」

「ミトラ」が間違いに気が付いた時の様に笑った。

「私の名もそれに由来します。『ミトラ』という名に覚えは?」

「『ヤザタ』の一人、契約神『ミトラ』ね」

「ええ、その通りです、先生。私の能力は『契約』
 能力との契約です。色々と条件はありますが。
 契約している間は、その能力を相手と共有出来ます。
 そして術者が死ねば、能力は私に受け継がれる」

「それで、あんたがその能力を受け継いだって事か」

「ええ。今の私にはこの城の構造を操る能力だけで十分です。満足頂けましたか?」

「ふーん、それならどっちにしろ俺らとは戦えへんな」

「その通りです。彼らの戦いが終わるまで、此処で待っていてはくれませんか」

「戦ってるのか……『マズダ』と……その、黒人とか言う奴が」

「どちらが勝とうとも、あなた達はこの城から脱出させてあげましょう。
 ヘレン、ノルム、大作、あなた達は協力してあげなさい」

「はっ、はいっ!」

「ちょ、ちょっと、何で? あんた、忠誠心が強いんじゃないの?
 そんな簡単に、私達を逃がしちゃっても良いの?
 ……って、私達が言うのも変だけど………」

麗は自分がおかしな事を言っているのに気付き、次第に口調が冷静になっていった。

「なあに、簡単な事ですよ。間違った方向に進む主人を諌め、その責任を取る。
 私の『忠誠心』とは、そういう事です。何も、必ず賛同するのが正しいとは限らない」

「なかなか面白い考え方だな。あんたの入れ知恵か?」

霧玄が魅夜を見る。

「さあ、どうだったかしら」

魅夜はとぼけてみせる。

「ふふ、先生は面白い話を時々聞かせてくれました。
 その中でも、忘れられないような話もありました。
 そうだ、先生。退屈凌ぎに、一つ話してもよろしいですかな?」

「あらあら、恥ずかしいわ」

魅夜は照れ笑いしつつもOKした。
まあ、照れ笑いと言っても、傍目には表情は変わらないのだが。
そんな魅夜を前に、「ミトラ」は話を始めた。
その目は、懐古しているようでも、先を見据えるようでもあった。

「あれは確か、卒業する一月前ぐらいでしたかな……」






「何がしたいんだい? お嬢ちゃん。
 そいつはもう死んでるって言ってるじゃないか。
 諦めが悪いねぇ。イライラするよ」

杏は、黒人の手袋の欠片を口に咥えていた。
真っ黒なその手袋は、みるみるうちに朱に染まった。
杏の意識は殆ど定まっておらず、目は虚ろになっている。

(これでも……駄目……なのかな……)

「それにしても、貧相な格好だねぇ。醜いったらありゃしない。
 そうそう、そいつの名前も黒人っていうらしいじゃないか。
 はっ、『黒人』と書いてクロトか。下等な名前だよ」

「!!」

杏の目がほんの少し、輝きを取り戻した。

「そんな………言い方……」

「だってそうだろう? 遥か昔から、黒人ってのは差別を受けてきたらしいじゃないか。
 それだけ下等な種族に決まってる! そこの小僧も、見た目は黄色人種だが、
 その格好、まるで黒人の血が流れている事を物語っているじゃないか!」

「だから……何だって………言うんですか……」

「そこの小僧は、そうやって地べたから立ち上がることを許されちゃいないって事さ!
 くだらない種族など、必要ないんだよ!」

「そんなの……どうだっていいじゃないですか……」

杏が拳を強く握る。
そして、涙を流しながら叫ぶ。

「種族とか! 上等か下等かなんて、関係ない!
 そんなもので、その人の生きる意志を、生きる意味を消す事なんて、許されない!
 あなたは恐れているだけです! 自分達の知らないものを持っている人を!」






「先生は、昔の話が好きでしたね。あれも今にしてみれば納得ですが。
 そう、確か……差別の話を聞かされました。
 かつては生意気の盛りだった私は、今まで何度もその話を聞いてきた。
 なので『またその話か、もう聞き飽きたよ』と思ったものです。
 しかし、ああ、何と言うか、先生の話し方は何処か違いましたな。

 その時は『人種差別』……の話でしたかな。
 なんでも、肌の色などの、見た目の違いで差別されるという。
 無理矢理にその違いを格差とし、優劣をつける。
 劣る者と格付けされたものは、とことんまで蔑まれるのでしたね。
 特に、肌の色の濃いものは、差別を受けやすかったとか。
 酷いものでは、生まれた国によって虐殺される羽目になった人々もいたと聞きます。
 
 ここまで聞いていると、やはり何て事のない教科書通りの話でした。
 普通の教師と違うのは、先生は、自らの体験を語ったという事です。

 先生も親からその話を聞いたのでしたね。
 初めてその話を聞いたときは、そういった人々が、人とは感じられなかったと仰りました。
 『黒人』『ユダヤ人』そういった呼び方が、彼らを人と感じなくさせていたのでしょう。
 ところが、何年かしてから先生が初めて黒人に出会った時でした。
 先生はこう感じたそうです。
 
 『人だ』

 それ以上の感想は無かったそうですね。
 そう、彼らは、差別を受ける要素の全く無い、単なる『人』でした。
 その時初めて理解できたそうです。

 人種差別がどういうものなのかを。
 他人を貶めたいが為に身体の特徴を蔑み、
 それを自分と同じ種族に広め、知らず知らずの内に浸透させる、
 言わば『サブリミナル』のようなものだという事を。
 初めて親から話を聞いた時、既に自分にもそのサブリミナルの効果が及んでいたという事を」






「随分とつっかかるじゃないか。そんなに嫌なことかい?」

「嫌に決まってます!」

「何故? 他人の事じゃないか。他人がどう言われようとあんたには関係ないだろう。
 他人の事なんて放っておきゃ、そこの小僧も死なずにすんだのに」

「一緒に暮らしてた人が、他人だなんて思える訳ないじゃないですか!」

「他人さ。どんなに触れ合っていようが自分ではないんだからね。
 あんたにそいつの気持ちが分かるかい? そいつにあんたの心が視えるかい?
 所詮口先だけの世界で、自分以外はどこまで行っても他人なんだよ!」

「だから……! そういう考え方をするからあなたは不老不死なんてものに頼ろうとする!
 あなたは、そうやっている限り、『自分』を受け継いではもらえないから!」

「知ったこっちゃないよ! あんたこそ、その小僧を庇う理由があるってのかい!」


「だって、この人の事が、大好きなんだもん!!」

「ああ?」

「好きな人が、こんなになってまで、私を助けに来てくれたのに、
 そんな風に言われるなんて、嫌に決まってます!!」

「はっ、色恋なんぞに目を眩ませて、自分までその命を投げ出して!
 本当に馬鹿な娘だね!」

「恋した事の無い人に、こんな感情が分かってたまるもんか! 私は―――!」

あまりに叫びすぎたのか、一気に意識が遠のき、更には吐血までした。

「わた……し……は………」




目を閉じかけた。

その時、不意に真っ黒な影が光を遮った。

私は、その中に、顔をうずめる。



「………! 小僧……」

血を流して、転がっていた男が、体を起こした。

「あ……は………くろ……さ……ん……」

「………杏ちゃん………」

男は、ひどく穏やかな様子だった。
冷静、といえばそれだけなのだが、明らかに、何かが違った。
自分の体に寄りかかる杏を、突き放すでもなく、抱き寄せるでもなく、何もしなかった。
男には、何も出来なかった。

「『戒』を……破ったのか……」

そして、杏にまだ意識があるのを確認すると、能力を発現した。

「本当に……この力にキミを慣らせておいて良かった……」

男が杏に手を触れないようにかざす。

「闇形絶歌 治の調―――」

一瞬の間を置いて、杏の体がぴくりと動いた。

「う………」

「お疲れ」

黒人が杏に微笑みかける。

「くろさん……」

安心したように、もう一度黒人に寄りかかる。

「こらこら、『戒』が解けかかってんだ。危ねーよ」

「だって……」

「全部終わってからなら、好きにしていいからさ」

黒人が困ったように笑う。

「だから、杏ちゃん、今は皆と合流して、外に出ててくれ」

「くろさんは……?」

「決まってる。見せ場が無いのはご免だからな」

「……ふふっ」

「なんだ、泣いてんのか?」

「な、何でもないです! なんでも!」

そう言って、慌てて立ち上がると、出口に向かって走り始めた。

「待ってますよ! 皆で!」




「な、なんであんな風に走れるんだい!? あいつの筋肉はズタズタに……!」

ドアから出て行った杏を茫然と見送る。

「……あんたの仕業かい!」

黒人を睨んでみせる。
しかし、黒人が振り返ると、突然、体が凍ったような感覚に襲われた。

(何だこいつ……! 何だ……!? この……恐怖感!!)

「どうだっていいだろ」

黒人は依然穏やかな表情をしたままだった。

「くあ……まだ眠いな……ま、終わってからゆっくりと寝るか。
 さっさと終わらせよう」

そう言って立ち上がる黒人の体には、ナイフで付けられた傷は既になくなっていた。
黒人に漂う雰囲気は、普通の人間にはありえない深い闇があった。

「茶番も終わりだ。あの子を傷付けた罪は重いぞ、『スプンタ・マンユ』」

そして、黒人が手袋の、破れた指先の部分に触り、唱えた。



「解放 1%、旋律『破』」









第三十四話
END


第三十五話に続く





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