第三十三話
アヴェスタ
12:Grip
「ここは……」
魅夜達がたどり着いたのは、杏達のいる場所ではなく、先程までと同様の開けた部屋だった。
しかし、それまで戦っていた部屋とは違い、手入れの全くされていない、今にも崩れそうな部屋だった。
「何や、えらいボロボロな部屋やな」
「結構狭いね……」
蜘蛛の巣が幾つもはられ、一歩足を踏み出すと埃が舞いそうだ。
空中にも大量の埃があるらしく、それらのせいでやや視界が曇った。
一息遅れて四人に追いついたノルム、ヘレン、大作はその部屋に見覚えがあった。
「……この部屋は……」
「知ってんのか? お前ら」
「『ミトラ』の……」
「『ミトラ』?」
魅夜がその言葉を繰り返す。
ノルムが頷き、言葉を続ける。
「あの人は、いつもこの部屋にいます。
ここに来たばかりの僕達もよくこの部屋を覗いては、埃で咳き込みました」
台詞を継ぐように、大作が続きを話す。
「俺達に能力の使い方や、この世界の事を教えてくれた」
「世界の?」
「詳しくはなかった。どれも暗号じみてて俺にはよく分からなかったしな。
まあ、人の好い爺さんだった。それも、今にもポックリ逝っちまいそうなぐらいヨボヨボの」
「もしかして、そのお爺さんとも戦わなきゃ駄目なの?」
麗が不安げに言う。
「……わかんない……自分で、すごく、忠誠心があるって言ってたから……。
でも、私達が……説得……してみます……!」
ヘレンが何時になく決意に満ちた表情で言う。
「お爺ちゃんは……私達の……ほんとのお爺ちゃんみたいに遊んでくれた……!
戦いたくなんか……ない……」
大作がヘレンの頭に手を置き、四人を見る。
「俺も同感だ。俺だってあの爺さんと戦いたいとは思えない。
あれでなかなか頑固だから、厄介だけどな」
ノルムもそれに頷いてみせた。
「それでも、あの歳で無理をさせたくないですから」
魅夜達四人も、三人の言葉に賛成した。
「したら、もしその爺さんが戦う気なら君等になんとしても説得してもらう。
その気がなかったらそのまま大人しくしとってもらう。それでええな?」
「だが、向こうから有無を言わせず襲ってくる事もある。そん時の為に、準備を怠るな」
霧玄が弾丸を装填し、撃鉄を起こす。
「大丈夫! 不意打ちなら、私の能力で防げるから!」
再び流れだした血を拭い、麗が言う。
「俺達三人は何としても、あの爺さんを説得する! 例え戦っている途中でも!」
「うん!」
「が……頑張る!」
三人も神経を尖らせる。
「皆が説得してる内は、私があなた達を守ってあげる。だから、頑張ってね」
魅夜が普段と変わらずに微笑む。
「よっしゃ。行くで」
七人は、部屋の中へと静かに入った。
むせ返りそうな埃の中で、ほんの僅かに人影が動いた。
それは、ベッドらしいものに寝ていた。
やがて、それは起き上がり、一言、声を発した。
「ようこそ、待っていたよ」
「やああっ!」
杏が空気を貫く程の電気と、紫色に燃え上がる炎を纏い、老婆に向かい、駆ける。
不敵に笑う老婆に、電気を纏った掌を向ける。
すると、電気が指先に凝縮され、槍の形へと変貌した。
それどころか、更に杏は右腕の炎をもその槍に纏わせた。
「なんとまあ」
それだけ言って、老婆は何をするでもなく、杏の突撃をまともに喰らった。
電気が老婆の体に流れる。
やがて、ショートするかのように、火花が飛び散り、電気の槍が四散した。
それと同時に、紫の炎が電気の流れに乗り、辺りを燃やす。
たった一度の衝突。
戦闘はそれで終わる事もある。
最初の一撃に最大の力を加える。それだけで。
「まったく、年寄りは労わって欲しいもんだねぇ」
老婆が所々を焦がし、耳や鼻から血を流しながら、ひっひっひ、と不気味な笑い声を発する。
あの電流を耐えたのだから相当の耐久力ではあるが、深刻なダメージを受けている。
それなのに、老婆は笑う事を止めようとしない。
「……はッ、はッ………それだけのダメージで、戦うのは、命に関わりますよ」
息を切らせながら、杏が言う。
「そういうのは先に心配して欲しいもんだねぇ。だが、もう十分さ」
「……?」
老婆は自分の血で指先を濡らす。
「私の血が、お嬢ちゃんの体に触れたからねぇ」
老婆が手を少しだけ上げる。
杏は咄嗟に身構え、炎と電気を再び纏う。
「もう手遅れなのさ。お嬢ちゃんは」
急に老婆の声が、老婆のそれではなくなった。
そして、老婆が掌を強く握り締めた。
―――ぶつんっ
杏の左腕に激痛が走った。
そこから、霧のように鮮血が飛び散った。
「……あっ、うっ、うあっ、あ……ぁ……!」
突然の激痛に、言葉が繋がらない。
「ほぅら、どうした? 私を倒すんだろ?」
「は……ッ……はッ……あなた……は……!?」
杏の目の前にいるのは、老婆などと呼べる程、老いてはいなかった。
それどころか、相当若い。
「まったく、老婆の姿になってるのも大変だねぇ」
(変装………変身能力? でも、それじゃあこの腕のダメージは……!?)
「さて……」
「マズダ」がまた腕を上げる。
それに気付いた杏は、出来るだけ高速で動き回った。
「何か勘違いしてるのかい?」
「マズダ」が掌を握り締める。
再び、何かが引きちぎられたような音が、杏の頭を揺らす。
それと共に、右足から血が吹き出した。
「………ッ……!!」
あまりの痛みに声も出ない。
血液がそこから流れ出るのが自分でもよく分かる。
ポンプで押し出されているかのような感覚。
杏はバランスを崩し、そのまま倒れこんでしまった。
「お嬢ちゃんはもう逃げられやしないのさ。ただ私に握りつぶされるだけ」
動きを止めた杏にゆっくりと歩み寄る。
白髪だけはそのままに、もはや彼女が老婆だったとは考えられない程の容姿になっている。
「肌が張りを取り戻すのに時間がかかるのは嫌なもんだねぇ。そうは思わないかい?」
一方的に話しながら、その掌を握り締める。
同時に、杏の左足が激痛に感覚を奪われる。
「うぁあっ!!」
「後はその右腕だけしか動かせないねぇ。無様だよ。
ほぅら、彼氏の仇が此処にいるよ、殺してみなよ」
杏に顔を近づける。
「う……!」
杏はその顔に右腕を精一杯伸ばす。
力を振り絞り、炎を纏わせる。
「その程度で私を殺せると思ってるのかい? 安く見られたもんだよ」
「まだ……もっと………!」
更に多くの炎が集まる。
「良いねぇ、か弱い女の子が必死に足掻く姿は」
杏が歯を食いしばり、「マズダ」に敵意を見せる。
「はッ……はッ………あなた……は……こんな事をする為に……大勢の人を……巻き込んで……!」
「ああ? 知らないよ、何人巻き込もうが」
その冷たい言葉と共に、「マズダ」からの悪意が少し増えたのが感じられた。
「私の理想の為なら、いくら凡庸な人間が死のうがどうとも思わないねぇ。
そもそも、お嬢ちゃん達だって、そんなに目立つような事をしてるから悪いんだよ」
「私達は……普通に生活していただけの筈です……!」
「よくとぼける事だねぇ。幾人もの能力者を狩ってきただろう?」
「狩って……? 私達は、ただ自分の身を守っているだけです」
「どの口が抜かすんだろうね、まったく。何も知らないとでも思ってるのかい?」
更に「マズダ」からの悪意が増す。
「お嬢ちゃんとそこに転がってる男……。
あんた達と出会った能力者は皆、
何らかの形でその能力を使えないようになっている。
これはどういう事かねぇ?」
「それは……出会った能力者が悪人だったからです……! 能力を悪い事に使うのは、間違ってます……!」
「そうかい。ならお嬢ちゃん達が能力者を狩るのは、悪い事じゃないんだ、ね!」
「マズダ」が杏の左腕の傷口を踏みつける。
「………ぁ……う……!」
「自分達の立場を守る為に他人を犠牲にする。あんた達のやってるのはそれさ。
相手が悪い? だったら殺しても良いのかい?
結局の所、自分達の存在が脅かされるのが怖いからその芽を摘んでいただけだろう?
誰だってそうさ。自分を守る為に他者を排除するんだ。
奇麗事ばかり言っても、その本質だけは誤魔化せないよ」
杏の腕を踏む足に、更に力を入れる。
それに合わせるように、悪意も増す。
「私だってそうさ。私は自分の身を守りたい。だから巨大な城を構える。
城の中に守人をつかせる。罠を仕掛ける。
そして、能力者を狩る者がいたら、そいつらを逆に狩る」
「………!」
「だがそんなものはほんの通過点みたいなもんだ。私の目的は他にあるからねぇ。
特別に教えてあげようかね。どうせお嬢ちゃんの先も長くないことだし。
私の目的は簡単さ。誰もが憧れ、夢見るも、恐れて手を出す事の叶わなかったもの。
実にシンプルなものさ。それはね………『不老不死』だよ。その為なら、何千人でも犠牲にしてみせるよ」
「不老……不死……」
「考えてもみなよ。老いさえしなければ、死にさえしなければ。
たったそれだけで何が出来ると思う? 本当に『何でも』出来る!
そうなったら、私はあるものを見てみたいのさ」
「ある……もの……?」
「世界の終わりさ。いや、この宇宙そのものの終わりを見たいのさ。
不老不死となれば、それを許される!
『終わり』を見届ける『神』のように!」
「神……」
「ああ、そうだね。私は神になりたいのかもしれないねぇ。
この壮大な理想の為には人間の寿命では短すぎるんだよ。
ところで、どうしてこんなに長い間話していたか分かるかい?」
「……え……?」
「痛みっていうのはね、忘れた時が一番痛むんだよ」
「マズダ」が掌を握り締める。
杏の、残された腕の血液が弾け跳んだ。
「うっ……ぁぁああ!!」
「今更だが教えておいてあげようかねぇ。私の能力」
痛みにのた打ち回る杏を無理矢理押さえつけ、耳打ちする。
「私はね、『掴む』ことが出来るのさ。自分の血の染み込んだ相手の何もかもをね。
眼球だろうが、心臓だろうが、ね」
「……ッ………掴む……!?」
「あんたの場合は、手足の筋肉を握り潰したのさ。
皮膚もその時に少し剥いだから、盛大に血が吹き出したねぇ。
分かるかい? あんたの手足はもう、使い物にはならないんだよ。
ああ、そうそう、私の体は自分の皮膚を掴んで無理矢理形を変えていたのさ。
自分に対しては、痛みが無いみたいだからねぇ」
「……そんな………!」
痛みに耐えて無理矢理手足を動かそうとするが、震えるばかりでまるで言う事を聞かない。
ただただ、夥しい量の血が吹き出るばかりだった。
「その出血じゃあ、すぐに手当てでもしない限り失血死だねぇ。
ま、ゆっくりと死の足音を聞けばいいさ」
「マズダ」の言葉通り、杏は意識が次第に遠くなりはじめていた。
「さあ、足掻いてみせなよ。断末魔を上げるがいいさ。
必死で生にしがみつこうとしてごらん!」
さらに「マズダ」からの悪意が増す。
杏はそれにも耐え切れず、吐血した。
それでも、体の動く部分を少しずつ動かし、地面を這う。
「能力まで教えてあげたのに逃げるのかい? おお、速い速い。追いつけないよ」
「マズダ」の言葉に、悔しさのあまり、涙が溢れる。
血を吐きながら、芋虫のように這う。
「ほう、死ぬのならせめて彼氏と一緒に、てことかい?」
杏は、ゆっくりとだが、黒人の方へと向かっていた。
杏の顔は、まだ全てを諦めてはいなかった。
「彼氏にたどり着くまでに、命が保つのかねぇ?」
「……あなたは言いましたよね。自分を守る為に、他者を犠牲にすると。
奇麗事を並べても、それが人間の本質だって。
でも、あなたのやろうとしている事は、ただの我侭です……!
不老不死は……あなたの身を守ってくれはしません……!
ただ……永遠に……あなたを苦しめる……!
そもそも……不老不死になんか……なれやしません……!」
「そう思うかい? だがね、私は知っているんだよ。
この世界に、既に命の枷を外された者達が紛れ込んでいる事を」
杏の鼓動が速くなった。
まさか、自分達の事がバレているのか。
そんな考えが頭を過ぎった。
「是非とも会ってみたいものだねぇ。どんな人生を歩んできたんだか」
自分達の事が知られてはいないという事を知り、鼓動が静まるのを感じた。
そして、杏は、どうにか黒人の元に辿り着いた。
「私達に能力を授けた女神。彼女に何かヒントがあるはずさ。
その、不老不死者をよく知っていたみたいだからね。
あんたが死んだら、此処を壊して、彼女の住む世界を探しに行くのさ」
「………ッ……!!」
「現段階において、私の障害になるのはあんた達で最後なのさ。
此処には仲間がいるんだろう? どんなに強くても、
この大きさの城が岩石になって迫ってくれば、ひとたまりもないだろう?
だったら丁度良い壊れ時じゃないか」
「そんな事は……させません……!」
「そんな体でどうやって私を止めるんだい?」
「悔しいけど……私にはそれは出来ません……」
「ふん、結局そんなもんかい。理想を叶えるだけの力も無い。憐れだね。
だが私は違う。どんな壮大な理想でも叶えられるんだからね。
この能力で、邪魔者を排除すればね」
「それは……不可能……です……。
壮大な物語なんかにはさせない……!
あなたの理想は……此処で……
ちっぽけな幻想で終わる……!」
杏が黒人の胸に頭を置く。
(聞こえる……くろさんの心臓の音……ほんの少しだけ……。
それに………すごく………温かい………)
黒人の胸から、転がるように離れ、左腕の前に、頭を近づける。
「は……ぁ……はぁ………ッ……」
杏の意識は、もはや視力を殆ど保っていなかった。
(ごめんなさい……また……こんな事に巻き込んで……)
それでも、杏は最後の力を振り絞り、黒人の手袋の、ほんの指先を噛み切った。
黒人の鼓動が、一際強く波打った。
第三十三話
END
第三十四話に続く
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