第二十五話
アヴェスタ
4:Zero
猫は、人間に見えないものを見ることが出来るらしい。
「お宅の娘さんは、その、人とのコミュニケーションは問題ないのです。
寧ろ積極的に人と接する事が多いようです。クラスでも人気者です。
しかしですね。ええっと、その……何と言えばよろしいのでしょうか。
時々、ええ、本当に時々なんですが……」
「どうしたのかね〜。ボクを倒すと言っていたのは嘘だったのかね〜」
鞭のように襲い来る真紅の蔦を紙一重でかわしながらも、麗は「アムルタート」を睨みつけ、殺意を剥き出しにしている。
「アムルタート」は落ち窪んだ眼窩に埋まっている皮膚同様に青白い瞳を麗に向け、
口の端を引き攣らせるように嫌らしく笑っている。
「そちらから攻撃してくるような素振りも無いし、何を考えているのかね〜」
「あんたをどう痛めつけようか考えてんのよ」
「それは楽しみだね〜。でも、あんまり考えるのが長いと、実行出来ないね〜。ほらっ」
「アムルタート」の合図と共に、蔦の動きが速くなる。
麗はそれに上手く合わせることが出来ず、左腕を蔦の一本に絡め取られてしまった。
それは、麗の動きを止めるには十分だった。
その隙を狙い、二本、三本と体中に巻き付いていく。
「捕まえちゃったね〜。そんなんじゃボクは倒せないね〜」
両腕、両足を拘束され、麗は身動きが取れない状態になった。
それでも、相手を睨みつける事を止めようとはしない。
「いつまでも恐い顔をしていてもつまらないね〜。
これなら少しはその表情も崩れるかね〜」
蔦が、麗を強く締め付けた。
さらに、恐らくは薔薇であろう花が伸びてきて、その棘だらけの茎が麗の体を這い回った。
棘は皮膚に喰い込み、肉を裂いた。服など既にボロボロになっている。
真紅の血液が溢れ、真紅の蔦を更に紅く染め上げる。
「痛そうだね〜。さすがにもうボクを睨みつける事なんか出来ないだろうね〜。
結局は自分の身に起こった事に気が行ってしまうんだね〜」
より一層嫌らしい笑顔を引き攣らせ、麗を締め上げる。
麗は、腕からも、足からも出血している。
それどころか、顔以外の殆どから出血しているだろう。
それなのに、麗は悲鳴を上げるどころか、より険しい表情で、「アムルタート」を睨みつける。
髪同様に、赤の混じった瞳を輝かせながら。
「締め上げられたから何? 皮膚を裂かれたから何?
こんなのじゃ、何とも思わないわね」
余裕を感じさせる口ぶりに、「アムルタート」は僅かに口元を歪めた。
「強がりは止めた方が良いね〜。そんな風に言われると、力加減を間違えてしまいそうだしね〜」
「どうぞ、お好きなように。出来るなら」
「だから、そういった口の利き方は止めた方が良いって言ってるんだね〜」
「アムルタート」が両手を広げ、羽ばたくように仰ぐと、植物の茎から葉が大量に広がる。
それらはもはや植物の原則など無視したかのように無数に生えていた。
そのまま育とうとすると、上の葉が下の葉への日光を遮り、水分は余計に蒸発し、
育つどころか枯れてしまうだろう。
それだけの葉が何故必要なのか。理由は麗には良く分かった。
「これを見ても、まだ強がっていられるかね〜。
君みたいな娘がバラバラになっちゃうのはあまり見たくないね〜」
「そういうのは、私が少しでも怖気づいてから言いなさいよ。
ほら、ひらひら飛ばしてみなさいよ。それとも散らせるだけ?」
「……残念だね〜。もっともっと時間を掛けて嬲ってあげたかったね〜」
「アムルタート」が左手を高く上げた。
それを合図に、好き勝手に並んでいた葉が、一斉に、麗へと葉の刃を向けた。
そして、「アムルタート」は手を下ろした。
「……おかしい」
黒人は呟いた。
「階段を昇って何で外に出るんだ?」
黒人の眼前には、岩壁が立ちはだかっていた。
慌てて「図」の能力を使って、位置を見る。
「あれ? まだ城の中だ。じゃあ、この壁は何なんだよ……」
何処かに隠し扉が有るかどうか探してみるが、それらしいものは一切見受けられない。
「行き止まりだってのかよ。でも引き返すのも何だしな〜。……よっしゃ」
黒人は両手を岩壁にかざした。
「とりあえずぶち壊してみるか。
『熱』と……『侵』だな。溶かしちまえ!」
そして、岩壁に手を当てた。
すると、手を触れた部分から、岩が赤く変色して行った。
その変色は一瞬で岩壁全域に広がった。
やがて、岩壁はドロドロに溶け、黒人の足元に溶岩となって広がった。
溶岩になり、邪魔で無くなったものは即座に熱を奪い、元の岩へと戻す。
まあ、ぶっちゃけて言うと、黒人は上半身を高熱、下半身を冷気で覆っている。
その効果が広い岩壁の全てに行き届くのは、「侵」の能力だった。
「なんだ、ちゃんと道があるんじゃんか」
全ての岩を足元に広げきると、再び先程と同じような通路が広がっていた。
「よし、行くか。てっぺんまで、あとどれ位だ?」
若干脆くなっている岩を踏み、先へと進み始めた。
と、突然、隣の壁に亀裂が入り、何かが飛び出してきた。
壁の亀裂から出てきたようなので、かなり薄いものだ。
「ん? 何だ?」
難なくかわし、反対側の壁に突き刺さったそれを摘み取る。
「……赤い葉?」
「突然、何も無い所を一時間以上も凝視していたり、
○○ちゃんが怪我するだのと言って騒ぎながら学校へ来る事もありました。
何か、お子さんには、その、言いにくいのですが……。
よろしくない事をしているのでは、ないでしょうか……」
「いえ、一度、悪いと思いつつもこっそり調べた事もあるのですが、これと言った事は……」
「うーん、一体、何が問題なのでしょうかね」
「……見えるの」
「えっ?」
「明日の事とか」
「それって、ええと、どう言う事かな?」
「夢」
「夢?」
「さあ、幾つぐらいのパーツに分かれちゃったかね〜」
未だ、葉の刃は尽きる事無く四方八方から放たれる。
いとも簡単に壁や大木を貫く程の勢いで、全くの死角の無い攻撃だった。
それは、「アムルタート」の視界すら埋め尽くしていた。
ようやく勢いが収まり、視界も葉以外の物が見えはじめた。
そして、「アムルタート」の笑顔が凍り付いた。
「もう気が済んだの? でも私の気は全然晴れてないの。
あんたの攻撃のお陰で自由になれた事と、あんたの笑顔が崩れた事が、
ちょっとだけ気分を晴らしてくれたけどね」
「……有り得ないね〜。ど、どうしてあの攻撃で生きているんだね〜」
「簡単な事よ。私の能力を使ったの。『スケルトン』って言ってね、
『触れない』でいられるの。いろんなものにね。折角だから教えてあげる」
「触れないって……それでボクの攻撃をかわして……!?」
「あら、何? 普通に喋れるんじゃないの」
一歩、「アムルタート」に歩み寄る。
「ち、近寄るんじゃないね〜!」
合図と共に、蔦や蔓が無数に襲い掛かる。
しかし、それらは全て麗に絡みつく事も出来ず、自らを地面へと叩きつけるばかりだった。
「まだ分かんないの? 最初に捕まってあげたのはわざとだってのが。
何でそんな事したのかって? そうやって得意になってる奴の表情を壊してやる方が、スッキリするもの。
さあ、今度は私があんたを叩きのめす番よ」
「う、うわああ! 来るんじゃないね〜っ!」
再び、葉の刃を麗に向けて飛ばす。
「下手な鉄砲、数撃てば当たる」というのは、この場合では、全く意味を成さなかった。
そして、麗の蹴りが、見事に「アムルタート」の顔面を捉えた。
「なんだってこんなに障害が多いんだよ、この道は!」
次から次へと転がってくる巨大な鉄球を高熱で溶かしながら黒人が道を進んでいた。
「他の皆もこんな目に遭ってんのか?」
最後の鉄球を溶かし切ると、先程までの騒がしさも止み、黒人の進行速度も上がった。
「んなろー、さっさとアフラ・マズダでもアンラ・マンユでも出て来いっつーんだよ」
愚痴りながらも、速度を緩める事なく城内を進んで行った。
「各々が中々の戦闘能力……。
『アムシャ・スプンタ』の内、三人を撃破……。
想像以上にやる。
しかも一人は我々の事を多少なりと知っている模様……。
ならば……」
「『アフラ・マズダ』様!」
突然、ドアを開けて中にいる老婆に話しかけた者がいた。
「……何の用です、『ウォフ・マナフ』自分の部屋にいなければ、奴らが攻めてきますよ」
老婆は、モニターの一つに映った女性を指した。
「そうだ、『クシャスラ』と共にお行きなさい。あなた達は、確か兄妹だったわね」
「……『アフラ・マズダ』様、何時になれば、僕らのお母さんを助けてくれるんですか?」
「ウォフ・マナフ」は懇願するような顔で言った。
「……『ウォフ・マナフ』、よくお聞きなさい。
あなたが一人、我々に害なす敵を討つ度に、
あなた達のお母さんの病は一つ、取り除かれていくのです。
まだまだあなた達は、敵を討たねばならないのですよ」
「そんな……。僕はもう、人を殺したりなんか……」
「……仕方ありませんね。今回の敵は今までで最悪の敵です。
もし、奴らを倒す事が出来れば、私が何とかして、
お母さんの病を全て取り除いてあげますよ」
「ほ、本当ですか!?」
「ええ。私の助けを待つ人々は大勢いますが、特別ですよ」
そう言って、老婆は優しく微笑んだ。
「失礼します」
部屋を出て、「ウォフ・マナフ」は大急ぎで自らの部屋へと戻った。
「クシャスラ」を連れて。
「喜べ、ヘレン。『アフラ・マズダ』様が、お母さんを助けてくれるんだ!」
「本当なの、お兄ちゃん!?」
「うん。でも、その為には、敵を倒さなきゃ! 今度の敵は手強いらしいから、手加減なしで行くぞ!」
「えっ……。また、人を殺すの……?」
「そうさ、殺すんだ! お母さんを助けたいのなら、それしかないんだ!」
「……でも……」
「仕方ないだろう! 殺さなきゃ、お母さんが万の病に殺されるんだ!」
「……うん……」
「大丈夫、止めは兄ちゃんが刺してやるから!」
二人は、子どもとは思えない速度で、城内を駆けた。
「純粋で頭の良い子どもは利用のし甲斐がある……」
城内のいたる所に設置されているカメラの映像を見ながら、老婆が呟いた。
第二十五話
END
第二十六話に続く
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