第十七話
レイ






「起きてくださーい! 朝ですよー!」

エプロンを着けた杏が黒人を起こす。
「ん、おう」

黒人はむくりと身体を起こした。
リビングに行くと、既に朝食が準備されていた。

「しっかり食べて、今日もお仕事頑張りましょうね」

「ああ、うん」

黒人は箸を持ち、目玉焼きに手を伸ばした。


「随分、料理も上手くなったな」

「あはっ、ありがとうございます!」

杏は笑顔で応える。
黒人もその顔を見て、微笑む。

「くろさんが沢山教えてくれましたから!」

「まあ、そうだな」



朝食の後、軽く掃除などをしながら、客を待つ。
そこまで客が多い訳でもないのに、それなりの生活が出来ているから不思議だ。







昼前頃に、チャイムが鳴った。

「はーい、今行きまーす!」

ドアを開けた杏は驚いたように声を上げた。

「あーっ!」

その声を聞き、黒人も玄関に向かった。

「なんだ、どうした? ……!!」

慌てて玄関から外を見た黒人も珍しく驚いた。

「やっ! 久しぶり〜!」

「麗さん!?」

二人の声が重なった。





「連絡してくれれば準備してたんですけど……」

杏がお茶を出す。

「あはは、いーっていーって! 仕事がたまたまここの近くだったからね」

「仕事って、相変わらずっスか?」

「その台詞、私も使わせてもらうよ、くろちゃん♪」

「『ちゃん』は勘弁してくださいよ……」

「固いこと言わないの! 年下なんだから」

麗は数少ない黒人の年上の一人だった。


麗のフルネームは織野 麗。
黒人より一つ年上になる。
少し赤みがかった髪を後ろで束ねていて、それが重力をうけて垂れ下がっている。
目や口など、どこか猫を思わせるような顔つきをしていて、
実際普段から結構陽気で気まぐれな性格なのだが、意外と回りに目を配ることができる。
そして、当然ながら黒人や杏と同じく、寿命で死ぬ事は無い。
現在は遠くの街で小さな理髪店をある男と営んでいる。


「あれ、そういえば旦那さんは? 一緒じゃないんスか?」

「やだも〜! 旦那だなんて。おませさんなんだから〜。
 今日は私だけだよ。仕事が仕事だからね」

「ああ、また尾行か何か?」

麗は理髪店という表の顔とは別に、探偵業まがいのこともしていた。
とは言っても、依頼されるのは殺人事件などはあまりなく、
特定の人物の生活実態調査などがほとんどらしい。

「今日は浮気の調査らしいんだけどね〜。結構近付かなきゃ駄目らしいの。
 だから私一人で調べに来たってワケ」

「あの人は普段から殺気立ってるからなぁ……」

黒人は遠い目をしている。

「あはは、だから荒事はともかく、こういうのは私一人じゃないとね〜」

「その点、麗さんなら絶対見つからんもんなー」

「まーね。あんたらには通用しないけどさ」

「そりゃ、ネタがバレてりゃね」

「まあ不意を突けば何とかなるかもね。……あ、いけない! そろそろ行かなきゃ!」

「え、もう行っちゃうんですか?」

「ごめんね〜。もうちょっとゆっくりしてきたかったけど」

「また帰りにでも寄ってください!」

「うん、そーする。……あれ、杏ちゃん、髪随分伸びたね〜」

「そ、そうですか?」

「帰りに切ったげようか?」

「え、いいんですか?」

「うん、任せなよ。可愛くしたげる」

麗はそう言って笑った。
そして、最後に言った。

「色々話したい事もあるし、ね」








何階建てなのだろう。
相当な高さがあるマンションの一角に麗はいた。

「標的は何処かにゃ〜?」

猫のようだと言ったが、猫であった。

やがて一人の恰幅のいい男が、女をつれてエレベーターに乗り込んだ。

「来た来た! さ〜、あんたの素顔、晒してもらうからね!」

麗も気に止めない風にエレベーターに乗り込んだ。


男は十一階で降りたが、麗は十三階まで乗ったままだった。
同じ階で降りると警戒される可能性がある。
もっとも、麗の前には一般人の警戒など、無駄な事だが。


十一階まで階段で降りる。
そして、十一階に着いた頃には、麗の姿は他人には見えなくなっていた。

「どの部屋かにゃ〜」

やがて、標的の男の名が書かれた表札を見つけた。

「見〜っけ!」






数分後、マンションから麗が出てきた。

「張りがないなぁ〜。もう終わっちゃった」

小型のカメラを手で弄りながら歩いていた。

「それにしても、随分元気な夫だこと」

空を見ると、既に夜になっていた。
麗は夜道を駆け出した。







「あっ、麗さん! おかえりなさい!」

深夜にも関わらず杏が出迎えた。

「ごめんね〜、遅くなっちゃって。帰りに不良にからまれちゃって」

「え、大丈夫だったんですか?」

「あたしを誰だと思ってんのよ。軽く一蹴しちゃった♪」

「あんまりやり過ぎないようにしてくださいよ」

「わかってる♪」






帰り道、数人の男が麗に言い寄った。

「こんな夜遅くに女の子が一人で何やってるのかな〜?」

「襲われちゃうと危ないから送ってあげるよ〜」

明らかにただ送っていくだけとは思えない。
男達の内の一人が麗に歩み寄り、腰に手を回そうとした。
しかし、麗はその手を掴んで言った。

「ごめんね〜。あんたらなんかじゃ、満足できないの」

と、男の胸に手を置いた。

「じゃね♪」

ふっと男の身体が浮かんだかと思うと、音もなく後方に吹き飛んだ。
勢いはほとんど無かった。

「頭から落ちるとキツイかもよ〜」

男は偶然あった植え込みに背中から突っ込んだ。
他の男達は呆然としていたが、すぐさま我に返り、麗に殴りかかった。

「てめっ、よくも!」

全員が一斉に飛び掛ったが、その攻撃は一切麗には当たらなかった。
むしろ逸れた攻撃が仲間に当たってしまっていたりもした。
しかし、麗は微動だにしていない。

「あ〜あ〜、そんなありきたりな台詞ばっかだからつまらないの」

頭に来た男はいよいよそれぞれの得物を取り出した。
何処に持っていたのかナイフやスタンガン、鉄パイプなどを持っている。

「ぶっ殺すぞ!」

「なぁに? そんなので脅してるつもり? ダサい事するね〜」

ふと、麗の姿が見えなくなった。

次に麗の姿が現れた時、男達は皆、倒れるか逃げるかしていた。

「あと千年鍛えてきなよ〜!」

そう言って麗は再び帰路に着いたのだった。





「『スケルトン』まで使ったんですか!?」

「だって手っ取り早いもん」

「いくらなんでも怪しまれちゃいますよ!」

「大丈夫だって。何が起こったかなんて分かってないだろうから」

「そ、それはそうですけど……」

「ね? だからほらほら、髪切ったげる」

「え? え?」

押し込まれるようにして家の中に入ってしまった。
そして、手際良く準備をして、杏を椅子に座らせた。

「ばっちり可愛くしたげるからね〜!」

「お、お願いします」

「くろちゃんは出てなよ。男子禁制!」

「髪切るだけなのに?」

「いいから、ほら!」

黒人は半ば無理矢理追い出されてしまった。





「なんでこういうのは止まってないんだろーねー」

髪を切りながら麗は杏に話しかける。

「確かに、不思議ですよね……。心臓の機能まで止まってるのに」

「ま、ちょっとは人間らしいとこも残ってていいんじゃない?」

「そうです……ね」

「ところでさ……」

麗の声が少し真面目になったような気がした。

「な、なんですか?」

「何かあったの?」

「え……」

「くろちゃんにはもうバレてるよ、多分」

「そ、そんなこと……」

「あたしを騙そうったってそうはいかないからね。
 無理に元気出そうとしてるの見ると、なんだか……ね」

「………」

杏が黙っていると、ドアの方から声がした。
「依頼人にさ」

いつの間にか黒人が戻っていた。

「杏ちゃんと仲良くなった子がいたんだけど……」

「別れるのが辛かったって訳?」

「……死んじゃいました」

「………」

「それからずっと、こんな調子で……。
 俺も、どう元気付けてやったらいいのか分かんなくて……」

「分かってたん……ですね」

杏の表情が曇った。

「……成程ね〜。そーゆーコトか」

麗が腕組みをして言った。

「分かるよ、その気持ち。でもね、元気出さなきゃいけないと思うかもしれないけど、
 泣きたい時は泣いちゃってスッキリした方がいいよ。
 無理した所でその子が生き返る訳でもないしね。
 それに……」

そして、杏の肩に手を置き、そっと耳打ちした。

「惚れた男に気を使わせるような真似しちゃだーめ」

いつになく優しい声で囁いた。

「さ、残りもさっさとやっちゃおうね!」

不意に明るい声に戻り、麗は作業を続けた。

「麗さん……」

「ん? なぁに?」

「ありがとうございます」

笑顔で言った杏の目から涙が零れ落ちた。
それは止まる事無く、あふれ続けた。





「うん、よし! これならオッケー!」

少し短くなった髪を撫で、杏は立ち上がった。

「ありがとうございました!」

今度は元気良く礼を言った。
もう、杏の心の曇りは、切った髪と一緒に落ちてしまったようだった。

「あはは、可愛いねぇ、あんたは」

そして、杏の肩に手を回し、自分の方に引き寄せて、再び耳打ちした。

「で、どこまでいったの?」

「ふぇ? な、何がですか?」

「くろちゃんとよ! キスぐらいしたの?」

「えっ……いえ……その……」

杏の顔がみるみる赤くなっていった。

「まだ……です……」

「も〜、それぐらいしちゃいなよ! なんなら強引に……」

「できませんよ、そんなの〜」

「あはは、冗談冗談。でも、あんたも初心だね〜」

「ほっといてください……」

「何の話してるんだ?」

ぬっと黒人が覗き込んできた。

「わあっ! なんでもないです〜!」






「ねぇ、今日泊めてくれない?」

「泊まるって……?」

「もう夜も遅いし、いいっスよ」

「きゃ〜! ありがと〜!」

「じゃ、杏ちゃんと同じ布団でいいっスか?」

「うん! いいよ〜!」






「さ、行きなよ」

寝ようとした時に、麗が言った。

「い、行くって……何処へですか?」

「決まってんじゃない。くろちゃんのトコ♪」

「そ、そんなこと言われても……」

「あたしの寝相が悪いからとか適当に言っとけば大丈夫だから!
 ほら、行った行った!」

「あう〜」


動くはずの無い心臓の鼓動が高鳴るような気分になりながら、黒人のいる部屋に向かう。

そして、ドアを開けた。


「ん、どうした?」

「えっと、あの……その……」

杏はドアの前に立ち、うつむいている。
やがて、顔を下に向けたまま言った。

「その……麗さんに布団を独占されて……」

「で、こっちに来たってことか」

「は、はい……」

「……まぁ、俺は良いけど?」

「え?」

「寝れないんなら俺の布団使えば良いよ。俺は別のとこでもいいから」

杏は、黒人がそう言う事を想定していなかった自分が少し恥ずかしかった。
そして、黒人は部屋を出ようとした。


「あ、あの!」

黒人の袖を掴んで精一杯の事を言う。

「もし良かったら……一緒に寝ませんか?」

突然の申し出に、黒人はきょとんとした表情になった。

「……別に俺はいいけど」

「ほ、本当ですか!?」

「じゃあ、寝るか」

黒人は杏の頭を撫でた。



「ああ、そうだ」

「な、なんですか?」

「その髪型、可愛いな。似合ってる」

それだけ言って黒人は電気を消した。


お互いの息遣いが聞こえる。

杏は、それだけで眠れなかった。

ふと、黒人の寝顔を見てみた。


気持ち良さそうに眠っていた。

暫くその顔を眺めていた。
すると、黒人の腕が伸びてきて、杏の肩を抱いた。
寝ぼけているようだ。

より一層距離が縮まって、杏は余計眠れなかった。
寝息が杏の頬をくすぐる。


やがて決心したように杏が動いた。

「眠ってるのに……ごめんなさい」

そう言って、黒人と自分の唇を重ね合わせた。

さすがにそれ以上は何もできず、杏も眠りに就いた。





翌日、目が覚めると目の前で黒人が寝ているのを見て、
前日の夜の事は夢ではなかったと知り、杏は再び顔が赤くなった。








第十七話
END





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