第十六話
ウルト
3:ウルト〜ヴェルダンディ
知ってるか? 希望ってのは元々、殆ど可能性が無いから「希」望なんだ。
「助けてくれえぇー!」
男が一人、必死に走っている。
それを追う、「デウス」の子ども。
しかし、それは結果の分かりきった鬼ごっこ。
男の「勝ち」などありえない。
そして、「負け」は死を意味する。
「デウス」の子どもは逃げ惑う蟻をゆっくりと追い込むように男を追いかける。
「うわっ!」
木の根っこに足を躓かせ、男は地面に転がった。
「デウス」の子どもは地にうずくまる男にゆっくりと近付く。
「く、来るなあぁ!」
男は必死に小石や木の枝を投げ付ける。
それが頭や手足に当たると、「デウス」の子どもは顔を少し強張らせた。
「怒り」によく似た表情だった。
「デウス」の子どもは足を上げた。
そして、男を踏み潰そうとした瞬間。
「おい」
その声に「デウス」の子どもが振り返った瞬間。
その視界は掌で埋まった。
頭を失くしたその身体は、力なくふらふらと二、三歩歩くと、前のめりに倒れた。
「あ、あんたは?」
「悪魔の手先で正義の味方、ってとこかな」
「へ……?」
「まあいいや。この辺りは奴らがうろうろしてるからさっさと逃げた方が身の為だよ。
西の方に行けば多分鉢合わせにならないで済む」
「あ、ありがとう! それじゃあ!」
男は一目散に逃げて行った。
「よーッし、大掃除と行きますかァ!」
黒人は其の場から一瞬にして「デウス」の子どものいる場所まで移動した。
それから間もなく、周囲の木々は紅で染まった。
黒人が元の世界に戻ってから一週間程が経っていた。
黒人は「デウス」の子ども達を次から次へと撃破していった。
しかし、元の数が多過ぎるため、なかなか思うように片付ける事は出来なかった。
そんな時、黒人の能力に異変があった。
黒人は、自分の能力を「周囲に圧力を与え、動きを極端に制限する」ものだと認識していた。
黒人自身はその戦闘能力から能力にはあまり頼る必要が無く、せいぜい大多数相手の際に使う程度だった。
しかし、それはただのオマケのようなものだった。
「ったく、どれだけいるんだよ。この辺だけで手一杯だ。
これじゃあ俺が先にまいっちまう」
黒人は木から木へと飛び移り、周囲を見渡すようにして敵を探していた。
時には向こうから襲い掛かってくる事もあったが、今の黒人にはむしろありがたかった。
しかしその数の多さからさすがに黒人も業を煮やしていた。
「あーもう! どんどんかかってこいっつの!」
黒人は大声で、それこそ付近一帯の小鳥が一斉に逃げ出してしまいそうな程の声で叫んだ。
すると、「デウス」の子ども達が次第に黒人の元に集まってきた。
「最初ッからこうしとけばよかったんだよ……。馬鹿か俺は?」
やがて森全体を覆ってしまいそうな程の数の「デウス」の子どもが集まった。
「に、しても……。こりゃちょっと多過ぎだ……な……」
「デウス」の子ども達は地上も空も完全に覆い尽くしてしまった。
ほとんど全員が集まったのかもしれない。
「能力の効果範囲に収まりきらねーな。まあいいや。とりあえず近くから行きます、か」
黒人は能力を発現させた。
突如として襲い来るプレッシャーに地上にいた者は這いつくばり、空にいた者は次々と落下していった。
それに追い討ちを掛けるように黒人の攻撃が始まる。
スピードは既に音速を超え、パワーは岩をも抉る程になっていた。
しかし、やはり多勢に無勢、これだけの数相手だとさすがに体力がついていかない。
「っくそッ、まだこんだけかよ!」
次々に能力の効果で苦しむ者はいるものの、完全に仕留めたのは十分の一にも満たない。
次第に体力もなくなり、能力の効果も持続できるかどうかといった所だった。
「やっ……べ……」
後から後から襲い掛かって来る「デウス」の子どもに押され始めた。
仕方なく、一時的に逃れようと場を離れた。
「あんなにいたのかよ……。こりゃ長引くなぁ」
能力を解こうとしたその時だった。
「……なんだ?」
能力を止める事が出来なかった。
それどころか、「圧力」は急激に強さを増し、やがて大木が縦に潰れた。
「止……まらね……」
やがて自分自身にもその力が掛かり始めた。
すると、左手に浮き上がっていた紋様が紅く光った。
それと同時に、黒人は力が一気に抜けていくように感じた。
「なん……だ……こりゃ……」
その圧力ゆえに「デウス」の子ども達は近付けなかったが、
黒人は地に伏していた。
さらにその圧力が増し、黒人自身が押し潰されそうになったが、
左腕の紋様の発光が収まったかと思うと、途端に圧力は弱まっていった。
身体が軽くなるのを感じ、即座に立ち上がろうとしたが、どうにも上手く身体が動かなかった。
「……能力の反動か? ……くそッ、動けねェや」
圧力がなくなり、危険が無くなった事を知ると、「デウス」の子ども達は一斉に黒人に襲い掛かった。
迫り来る敵を前に、黒人は妙に静かな気分になった。
「いけると思ったんだけどな……」
黒人の精神の中に「死」と言う文字が大きく浮かび上がった。
シヌ
しぬ
死ぬ
死
死
死
屍
そのイメージがはっきりと、
まるで現実であるかのように浮かび上がったその時。
最初の「文字」が、発現した。
身体が、自らの意思に反して、勝手に動いた。
まるで、能力の使い方を自分自身に教え込むかのように。
途切れ途切れになりつつも、意識はあった。
黒人が見た物は―――。
「………」
黒人はたった一人、広い森の中に立っていた。
血と肉塊が辺りに散乱している。
その風景を眺めながら。
茫然としている黒人を我に返らせたのは、しばらく経って降り出した雨だった。
「これが俺の本当の能力か? 何で今更?」
もう一度それを発現させようとしてみた。
しかし、それは先程のような力は無かった。
それこそ、本当に役に立たない、「虫一匹も殺せない」程だった。
「こりゃあ練習が必要みたいだな。でも、こんな能力、鍛えたところで―――」
「侵略」終結後の人口、
総数約七百万。
その内、「侵略者」、これを撃破した人間の数、
約一名。
戦闘手段、
不明―――。
数年後。
黒人の力は当然増していた。
何の役に立つかは分からないが、能力も一応鍛えておいた。
また何時あんな事が起こるか分からない。
そんな時、手っ取り早く片付けるにはこれが一番だった。
既に発現時を大きく上回る力になっていた。
そんな時だった。
「火事だーッ!」
住宅が一軒、炎に包まれていた。
黒人はそこに偶然居合わせただけだった。
その日が、黒人の最も思い出したくない一日となった。
「火事だって?」
「ああ、消防車もまだ到着してない。それに、あの家にはまだ人が取り残されてるって話だ
ほら、見てみろよ。あそこにいるのがこの家の奴さ」
「まだ、まだうちの子が中に!」
「ホントだ、こりゃ大変だな。助けに行かねェと」
黒人はほんの少しの躊躇も無く燃え盛る家に入って行った。
「あ、おい坊主!」
話をしていた中年の男性が突然の事に驚き、止めようとしたが、その頃には既に黒人の姿は無かった。
「すっげェ火だな。えーっと、取り残されてるのは……と」
瓦礫の下で蠢くものを見つけ、黒人はそこに向かった。
炎は多少熱かったが、頭部さえ守っていればこの時の黒人の肉体ならば特に命に関わるような事は無かった。
「おっ、いた!」
「う……。た……助けて……」
「もう大丈夫だ。今これを退けてやる」
そう言って子どもに圧し掛かる瓦礫を掴んだ。
ただ、掴んだ。
すると、その瓦礫はシャボン玉が壊れるかのように弾けて粉々になった。
黒人は、この時、自分の強さが何処まで達しているのか気付くべきだった。
「……? 燃えて脆くなってたのかな……。まあいいや」
「足が痛くて、立てないよう……」
「あ? しょーがねェな。連れてってやるよ」
そうして子どもの肩と足に手を掛けた。
ただ、子どもを抱いただけ。
やがて、消防隊が駆けつけ、炎を全て消し止めた。
しかし、家は殆ど面影も残さず、燃え尽きてしまった。
取り残された子どもと、それを助けに入った青年は?
そこにいる全ての人が、奇跡と言うものを信じずにはいられなかった。
瓦礫や灰の中、青年が何かを抱きかかえて立っていたのだ。
母親は安堵の表情になり、事件を見守っていた人々は歓声を上げた。
にも関わらず、瓦礫の中に佇む青年はその腕に何かを抱きしめたままどこか虚ろな目をしている。
消防士が青年に駆け寄って来た。
その時に消防士は、彼が腕に抱いているものを見た。
内、数名は数日間食事を摂る事が出来なかったと言う。
青年の衣服からは夥しい量の血が滴っていた。
衣服に滲むだけでなく、滴っていた。
「俺が……殺した……ん……だ……」
その手に抱えられた肉塊は、かつて人間の形をしていたとは思えない程に、壊れていた。
母親は、息子の今の姿を知り、絶望した。
既に、希望すら見る事のできないその現実は、「絶望」以外の何者でもなかった。
黒人は地面に頭を付けて母親に謝った。
何度も、何度も頭を地面に打ち付け、謝った。
如何に強くなった黒人の身体でも、それだけ頭を打ち付ければ、血が滲み出た。
ごめんなさいごめんなさいごめんなさい
俺が悪い全部俺が悪い俺のせいだ
許されない許してくれ俺は何をした
殺した殺した殺した俺がこの子を殺した面影一つ遺さず
「デウス」を殺った時には完全に麻痺していた感情が、ようやく黒人に戻った。
何もかも、遅かった。
地面に頭を下げたままの黒人に、母親が近付いて言った。
「そんなに謝らないでくださいな。
貴方は私の子を助ける為にあの炎の中に一人突っ込んでくれた。
息子を助けられなかったのは貴方のせいじゃない。
寧ろ、何の面識も無い私達を助けてくれようとしたその心が嬉しいんです。
本当に、ありがとうございました」
母親の目には涙が浮かんでいた。
まだ若く、子どもも幼かった。
違う違う違う
俺が殺したんだこの手で
強くなり過ぎたこの手で
本来なら、恨まれる筈の状況で礼を言われた。
黒人には、それが酷く辛かった。
責められる筈の事をしてしまったのに、心の底から礼を言われる。
耐える事ができなくなり、黒人はそこから立ち去った。
そして、その後、黒人の姿を見た者は数年間、一人もいなかった。
人間は。
「えらく憔悴しているな」
懐かしいその声に、ふと顔を上げた。
黒人は事件の後、山の中に篭った。
なるべく、人に見つからない所へ。
なるべく、生物のいない場所へ。
それから、黒人は一切の動きを止めた。
目を閉じ、仰向けに寝転がり、身動き一つ取らなかった。
動くと、何かを傷つけるから。
そんな状態になってから、何年も経っていたが、
黒人は死ぬどころか虫一匹寄りついていなかった。
不老不死と言うのは、どうやら本当らしい。
人の形をしているが、額に禍々しい紋様のある女がそこにいた。
「……あんたか」
「久しぶりだな。……見ていたぞ、あの日」
「そうか……」
「良いのか? 私を殺しに来なくて。
あの力が原因で起こった事なんだぞ?」
「今はもうあんたには感謝しかねェよ。
あの事件は全部俺が悪いんだからな」
「ふん、馬鹿正直な奴よ。それにしても、随分退屈そうだな」
「俺が動く事が災害だからな」
「まあそう卑屈になるな。どうだ、ここは一つ、私が手を貸してやらんでもない」
「どういうことだ?」
永い間動かなかった黒人の表情が、ほんの僅かだが、変わった。
「せっかくそれだけの力を手に入れたんだ、その力を試す『遊び相手』が欲しいだろう?」
「何が言いたい」
「造ってやろうと言ってるんだ」
「まさか……」
「そうだ。私の能力でな」
「……いや、そんな事したところで、どうせ俺の力は止められない……」
「止められんでもないかもしれんぞ?」
黒人の身体はその言葉が鼓膜を通り、脳に伝わる前に活動を始めた。
その動きだけで木々は倒れ、葉は吹き飛んだ。
「ほう、相当なもんだな」
「どういうことだよ」
「なに、私から教える必要などないさ。お前が諦めさえしなければ、な。
唯一つ、ヒントを与えるとすればだな、自分の能力を知ることだ」
「俺の……能力?」
「そうだ。お前はどうやら人を超える素質があったようだ。
いや、本来、人間が持つ最大の力を扱える素質がある、と言うべきか。
まあいい、私はこれからお前の『遊び相手』を造りに行く。それじゃあな」
「待て! 何であんたは、そこまでしてくれるんだ!? 俺に何かして、得があるって言うのか!?」
「言っただろう、お前が気に入ったのだ、と」
フィスキーナは薄く笑みを浮かべ、立ち去った。
黒人は目を閉じ、深く瞑想しているようだった。
力を封じる力が欲しい。
災いとなる力を戒める力が。
戒める
戒めろ
戒
戒
戒
「………」
黒人は、窓の外を眺めている。
外は雨が降っていた。
「くろさん、どうかしましたか?」
「あァ、いや、ちょっとな……」
「考え事でもしてたんですか?」
「ああ……」
自分の力も自覚せずに馬鹿な真似をしたどうしようもない餓鬼の事を、とは言わなかった。
カッコ悪いから。
第十六話
END
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