第十三話
Treasurehunt
act6:Cruelly, more
紫色の炎が杏の体を包む。
まるで杏の感情が体全体から溢れ出るかのように。
「炎の制御が出来なくなってやがる……」
次第に炎の色が紫でなくなり、やがてそれは漆黒となった。
「茜ちゃんを撃ったのは、その銃?」
杏は単純な行動をした。
ただ女に正面から近づき、その銃を奪った。
それだけ。
女と杏の距離は十歩程と言った所か。
杏が一連の行動に要した時間は、秒単位で数えても長過ぎる程だった。
「あっ!?」
女が手を見た時、すでに銃はそこにはなかった。
と言うよりも、手首から先が熔けて無くなっていた。
「うあああぁぁ!!」
「五月蝿いです」
杏が女の首を掴むと、そこに炎がほんの少しだけ集まった。
女の喉を焼くには、その程度で十分だった。
「……っ!! ……」
「これで喋れないでしょう?」
表情一つ変えず、女を近くの穴の中に落とす。
女は腰から落ちた。
杏達にとってはなんて事の無い高さだったが、普通の人間にはそうは行かない。
女は落ちた箇所の骨を折ったようだ。
立てないでいた。
「なんと凄まじい……」
鐘雪はどこか喜びを湛えながらその様子を見ていた。
「あの子がキレたら後には死体と灰しか残らねェよ。
俺が止めない限りはな。
……ところで、何か言い残す事はあるか?」
先程まで瓦礫の中心に佇んでいたはずの黒服の青年が鐘雪の背後で銃を構えている。
「ほぉ、いつの間に私の銃を……。素晴らしい」
「あ?」
黒人は銃口を鐘雪の頭に強く押し付けた。
「なに、簡単な話さ。君達、私の部下にならないか?」
「断る」
「はっはっは! 当然か!」
「じゃ、そろそろ撃とうか?」
「最後まで話を聞き給えよ。……それならば、私は君達の依頼者になろうじゃないか」
「依頼者だァ?」
「そうだ。依頼は、我が組織の護衛をしてもらおう。
そこに転がっている小娘の護衛もしていたんだろう?
ならば、私も同じことを頼むだけさ。
断るとは言えないはずだよ? これは君達の仕事だ。断ったら信用に関わる筈……。
この先何事もなく暮らしたいのなら……」
「なるほど、仕事は仕事、私情は挟むな、と?」
「分かってるじゃないか。それなら……」
信用。
この世で最も失いたくないものだ。
これがなくては人は生きる術を失う。
これを利用しない手は無い。
この言葉一つでどんな頑固な奴でも掌を裏返す。
全く、愉快なものだ。
「……引き受けてくれるね? さあ、銃を返してくれ給え」
「ああ、断る」
黒人は鐘雪の足に一発、発砲した。
「!? ……ぐああっ! ……き、貴様!」
「残念だったなァ、小賢しいだけの馬鹿が。
うちの看板に何書いてあるか知らねェんじゃしょうがねーけどな」
「か、看板がどうしたと言うん……」
「うちの看板にはな、『可能な限り』何でもやりますって書いてあるんだ。
残念ながらこの仕事は俺達には不可能だ」
「何を莫迦な事を……! そんなもの、口ではどうとでも言える!
だが私は見たぞ! 君達の力量を! その力で不可能な筈が……」
「可能かどうかってのはな、技術的な事だけじゃなく、精神的なことも関係してんだよ。
どうしても、って言うんなら、そうだな……報酬は国家予算でも足りねェぜ?」
「そんな無茶な料金で良いものか! ちゃんと正規の料金なら……!」
「あァ、一つ言い忘れてた。看板にはな、こうも書いてあるんだ。
『代金 気分次第』ってな」
「そんな……そんなものが通用すると思っているのかぁ!!」
「警察の人によろしくしてもらった事もあるからなぁ。いいんじゃねェの?」
「この……! だがな、ここで俺を殺しでもしたら、貴様の信用は……!」
「教えてやろうか。俺は今まで何人やったかも分からねェ程殺してンだ。
……今日は色々分かって良かったな。あの世で役立てろや」
「や、やめろおおぉぉぉ!!」
銃声と悲鳴が重なった。
「どんな気持ち? 撃たれるっていうのは」
「……っ!!」
焼けた喉からは声の代わりに空気が音を立てていた。
女の体には、両手足に銃創が出来ている。
杏はさらに一発、女の肩を撃った。
「……! ……!!」
声にならない悲鳴で女はもがき苦しむ。
「どうですか? あの子の苦しみが分かりましたか?」
杏の冷やかな声が穴の中に響く。
女は必死に首を縦に振る。
今彼女に出来る命乞いはこれだけだ。
その様を見て、杏は銃を捨てた。
「じゃあ……」
一瞬優しくなった杏の声に、女は安堵した。
だが、それは間違いだったことに気付いた。
杏の腕に漆黒の業火が集中し、増大して行く。
その腕を振り上げ、杏は小さく、しかし確かに聞こえる声で女に言った。
「さよなら」
全てを「燃やす」のではなく「溶かす」程の温度を持った業火を纏った腕を、振り下ろした。
「……くろさん……」
黒人が杏の振り下ろされた手を掴んでいた。
雄叫びを上げんばかりの業火は黒人が消してしまったようだった。
例の「圧力」が生じていたのが、冷静さを失っていた杏にも分かった。
その「圧力」も、すでに消えている。
「圧力」にやられて女は気絶してしまっていたが、死にはしていなかった。
「どうして……邪魔するんですか……」
震える声で杏が言った。
ぱんっ
杏には一瞬何が起こったのか分からなかった。
間を置いて、杏の頬を熱さに似た痛さが襲った。
突然自分に手を上げた黒人に、杏は戸惑いを隠せなかった。
「目ェ覚ませ。友達が殺されたからってキミもこの女を殺して良い訳じゃない。
それに……、あの子が行った所にこんな奴らをわざわざ連れて行く気か?
それであの子が嬉しいのか?」
穴の外では、鐘雪が泡を吹いて気絶していた。
頭のすぐ上の岩場に銃創が出来ていた。
まだ新しいもので、硝煙が上がっていた。
「……ごめんなさい……。私……」
言葉を遮るように黒人が杏の頭に手を置いた。
「もういいさ。これからもこんなことがあれば俺が止めてやるから」
「………」
言葉も無く、杏はうつむいた。
「茜ちゃん……」
茜は静かに、眠っている。
二度と目を覚まさない眠り。
杏はすぐ側にあった「宝箱」を手に取った。
「それ……どうするんだ?」
「これは茜ちゃんのお祖父さんが茜ちゃんの為に遺したものです。
それなら、茜ちゃんの為に使います」
そう言って、杏は中から化粧品を取り出した。
「ほら、血を拭かないといけませんね」
茜の口の周りをハンカチで拭った。
「任せてください。私、お化粧を人にするの得意なんです」
返事が返ってくる事も無いのに、杏は茜に話しかける。
「これなんか良いんじゃないですか?
……あはっ! よく似合いますよ」
「出来ましたよ。ほら、くろさん、見てください!
すごく綺麗でしょう?」
「うん」
「生きてるみたいですね」
「うん」
「ホントに……綺麗……」
「うん」
「あっ、ごめんなさい。汚しちゃった。
化粧が滲んじゃいましたね。すぐ直します」
茜の肌には水滴が落ちていた。
「あっ、また……ごめんなさい、茜ちゃん」
杏はそれを何度も拭く。
「あはは……これじゃ出来ませんね」
「うん」
杏は満面の笑みを浮かべている。
頬に何本も出来た水の流線を抑える事もなく。
「それで……いいんじゃないか。十分綺麗だ」
「そう……ですね……」
杏はその笑顔を崩そうとしない。
「くろさん……」
「なんだ?」
「生き物は……皆死んじゃいますよね」
「ああ」
「だったら……死なない私達は……何なんでしょうね」
「………」
「だって、死なないなんておかしいですよ。これじゃ、私達まるで人間じゃないみたい」
「そうだな」
それだけ言うと、突然黒人は杏を抱きしめた。
「く、くろさん!?」
「でもな、こうすれば分かる。
体温もある。息もしてる。皮膚の感触がある。心臓だって脈打ってる。
それが多分『生きた人間』の証拠なんだろうな。
でも、あの子はもう抱きしめてもそうならない。
体温も無い。息もしてない。皮膚も硬い。心臓は動かない。
それでも、あの子は『人間』だ。
確かに普通に生きてる人間とは違う。
それでもあの子は『人間』なんだよ。
俺達も同じだ。どんなに普通とは違っても、俺達は『人間』だ。
それだけは変らない」
「人間……。茜ちゃんも、人間なんですよね」
「ああ」
「ちょっと普通とは違っちゃったけど……。私達の友達の茜ちゃんなんですよね」
杏の声が震えている。
「ああ、俺達の、友達だ」
「……うぁ……ぁあ……」
杏もしがみ付くように黒人の胸に顔をうずめた。
そこから、抑え切れない嗚咽が溢れ出た。
黒人は泣き崩れる杏をただ黙って抱き締めた。
強く。
強く。
「……ありがとうございました」
「何がだ?」
「その……止めてくれて……」
「ああ。……言ったろ、俺が止めてやるって。
……もうしばらく此処にいるか?」
「ううん、もう私達が出来る事はありませんから」
「そっか。じゃあ、おぶさりな」
「はい」
二人は友人の眠る無人島を後にした。
「……バイバイ……」
船が一艘海の上を走っていた。
その上を一つの影が通り過ぎた。
船員達は鳥か何かだと思ったようだ。
人間が通るなど普通は有り得ないのだから。
「ねぇ、くろさん。もし、私が……」
「ん、どうした?」
「……ううん、何でもないです」
「それはいいけど、いくらしっかり掴まってろって言ったからって、力入れ過ぎだ。
首、絞まってる」
「いいんです。振り落とされるよりは」
「俺の首が良くねーよ」
至って普通の顔のまま、黒人は言う。
大きな山が一つ中心に聳える無人島がある。
その山には大きな穴がいくつも開いている。
その理由はよく分からない。
人が入り込んで調べたわけでもないからだ。
もしかしたら、そこには特別隕石が落ちやすい地点なのかもしれない。
そうして沢山開いている穴の中でも一際大きな穴の中に、
一人の少女が眠っている。
その手には一枚の写真と、一枚の手紙が握られている。
その顔は、誰が施したのか、綺麗に化粧がされていた。
生きていれば、十人中十人が振り返るだろう。
その少女は、ある青年の手により、二度とその形を損なうことは無い。
永久にその美しさを遺したまま、その無人島で眠り続けるだろう。
どんな生物であろうとも活動を停止する、極低温の中で。
ふたりとも ともだち
わたしの たからもの
第十三話
END
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