ライフ・ワーカー（後編）
「いや〜っ！ 駄目だったか！」
「くあ〜、あのサード、なんつー反射神経だよ！」
２番の豪がサードライナーに打ち取られ、あっさりとツーアウトになった。
後が無くなり、打席に立つのは、３番 主将の桜田である。
「キャプテーン！ 俺らの仇、取ってくれー！」
いつの間にやら笹原と豪がハモる程揃ってベンチで応援していた。
「調子の良い事を……」
苦笑しながら桜田が打席に入る。
審判の「プレイ」の掛声の後、切羽が投球する。
１球目は外角低めいっぱいのストレート。
が、キャッチャーの銀嶺のミットにボールが収まる事は無かった。
そして、その反射神経も役に立たない高さで、高峰の頭上を越えていった。
「行ったーっ！」
快音と共にボールは三塁線、ファールラインギリギリの所を勢いよく転がっていった。
「回れーっ！ キャプテーン！」
言われるがままに一塁を蹴り、二塁へと悠々辿り着いた。
「っしゃーっ！ 初ヒットー！」
思いがけず、かつあっさりと長打が出てしまった。
茫然とする切羽の前に、４番 キャッチャーの予藻木が立つ。
「全力で走った後だってのに投げ急いだのが仇になったなあ！」
豪がバント……のフリをして、切羽を少々走らせたのが効いたようである。
多少走ったぐらいでスタミナが尽きるようではピッチャーは務まらないが、
何度もダッシュした直後には多少の疲れとペースの乱れはどうすることもできない。
自分ではなんともないように思えて、意外とダメージはあるのだ。
慌てて銀嶺がマウンドに駆け寄る。
打たれた事で精神的なダメージも少なからずある筈だ。
そう思って声を掛け、やがて切羽が意気を取り戻したのを見て安心し、戻って行った。
ペースを回復した切羽は、郷土の４番にも臆する事無く向かって行った。
そして、銀嶺のリードと共にこれを抑えた。
その後も両投手のピッチングが冴え、お互いに１点も譲らない投手戦になった。
更には、お互い守備の調子が良く、ホームベースは更に遠いものになっていた。
こうなってくると、１点を取る事が、即ち勝つ事に繋がる。
そんな試合になると、必ず出てくる郷土高校の弱点がある。
例え打撃に優れていると言っても、必ずホームランを打てる訳ではない。
また、必ず試合でホームランが出るとも限らない。投手が優れているなら尚更だ。
そこで監督が考えた練習メニューが活きてくると思われたが、やはりそう簡単にはいかないようだ。
一方、舞羽高校はある事が気に掛かっていた。
「なんか今日さ、向こうさん、やたら盗塁狙ってきてないか？」
「郷土にしちゃあ珍しいよな。どっちかと言うと歩いて帰ってきたがる筈だけど」
「ま、１点が取れないからどうにかしようと焦ってんだろ」
「そうだな。成功率も高くないし」
そして、舞羽高校の面々は、８回の守備に赴いた。
８回裏、郷土高校の攻撃は、何の偶然かイニング数と同じ、８番のサード呉羽からである。
この試合、呉羽はノーヒットだったが、今回ばかりはどうにか四球で塁に出ることが出来た。
しかしと言うか、やはりと言うか。終盤に至っても切羽はタイミングを掴ませない。
疲れも見える為、運良く四球が出てしまったが、すぐに持ち直し、
続く９番 ピッチャーの杉田はファーストフライに打ち取った。
そして、打順は先頭に戻り、１番、笹原。
「本当にその作戦使えんのか、生野？」
「んまあ、君が塁に出さえすれば、俺がどうにでもしちゃるよ」
「信用してるぜ〜」
なにやら話をしてから、バッターボックスに向かう笹原に、応援の名を借りた檄が飛ぶ。
それらを背に受けて、恐らく最後であろう打席についた。
「っしゃ、来い！」
（この回、コイツさえ打ち取ればかなり楽になる……。その分、最終回が正念場だな）
と、ほんの少しの気の緩み―――疲れによるものかもしれないが―――は、切羽の手元を狂わせた。
快音。
土の舞うグラウンド。
泥を巻き上げ走る者達。
「打ったぁーっ！」
「ランナー走れー！」
「早く！ サードで止めれるぞ！」
「中継入れーっ！」
双方の怒声にも似た叫び声が入り混じり、周りにいる者の耳を劈かんばかりに共鳴した。
レフトからショート、ショートからサードへと中継も入り、ボールが三塁へと投げられる。
呉羽のスライディングは間一髪、ベースに触れた。
さらに、その隙を突いて、自慢の俊足で、笹原自身も二塁へと進んだ。
「よっしゃあー！ ナイスバッティン！ あとは任せぇ〜！」
勇んで豪が打席に入る。
この試合、豪は３打席で１本だけヒットを打っている。
それもライト前に何とか落としたポテンヒットだった。
初回のバスター以降は淡白と言うか、あまり目立った動きをしていなかった。
それでも、威勢だけは良いのだが。
これ以上ランナーが出て大量得点を許す訳には行かない。
しかし、緊張と疲れで制球が乱れるようなことになってはいけない。
何とか気持ちを落ち着けようと呼吸だけでも整える。
そして、いざ投球に入ろうとしたその瞬間、
自分が疲れているのか、相手がふざけているのか分からなくなった。
豪の構えが先の３打席とはまるで違う。
それまでは、どちらかと言うと、教本のような所謂正しい体勢だった。
スイングも波打ったりせず、それこそお手本のような綺麗なものだった。
ところが、今、豪の構えはお手本や教本とは無縁のものであった。
「やっぱり俺にはこの構えが１番さなぁ！ さあ〜、来い！」
バットを自分の腰の高さに、そして体に垂直に構えている。
握りだけがそのままだ。到底長打を狙えるとは思えない。
狙いが全く分からない。
エンドラン？ スクイズ？
考えれば考える程、あの構えの意味が分からない。
このまま考えていても埒が明かない。投げるしかない。
いずれにしろ、あの体勢ならば高めの球には反応できない筈だ。
そして、１投目が切羽の掌から放たれた。
その瞬間、呉羽と笹原が地面を全力で蹴った。
スクイズ！
そう思った瞬間には体が動いていた。
当然だ。あのふざけた構えから出来る事など、何も無い。
それならば、体勢を変えるしか打球を前に飛ばすことなどできない。
ただ、あの構えは、バントの体勢に入りやすくするためだけのものだったのだ。
打球を遠くへ飛ばすことしか考えない、彼らの弱点がここ１番の場面で露になった。
高峰もほぼ同時に動いていた。彼の脚力なら余裕でランナーを殺せる。
さらに、ファーストの雀廉も前進している。
セカンドは一塁に、ショートは三塁に。
完全に打ち取ることが出来る。それどころか、併殺にも出来る。
筈だった。
が、予想に反して、豪のバットは一切の躊躇なく、一文字を描くように走った。
「ここじゃあーっ！」
そして、次の瞬間、豪のバットが、たった今描いた軌跡をそのままなぞるように逆走した。
「なっ……！」
スイングのあまりのスピードに３人は反応できず、そのまま前進することしかできなかった。
ただのスクイズならばボールに勢いは無い。
拾って投げればすぐに終わるはずだった。
スイングしてくるのなら、勢いがある分、後方のカバーに任せればそれでよかった。
しかし、豪の放った打球はどちらでもない、所謂、「ボテボテのゴロ」だったのだ。
それも、微妙に軌道を変えながら、地を這うように。言ってみるなら、
まるでプロゴルファーが芝のラインを読み、ピンポイントの穴への様々な道を辿らせるような、
絶妙な転がり方をしたのだ。
打球は切羽と雀廉の間を抜け、ピッチャーマウンドを迂回するように転がり、
セカンドベース手前でぴたりと止まったのだった。
フィールドにいた９人もの人間は、たった１つの、
コロコロと転がったボールに反応できなかった。
いや、反応した時には、既に遅かった。誰もが、そのボールまで遠すぎた。
呉羽だけでなく、笹原もその足でホームベースを踏んだ。
豪は無理矢理二塁を狙い、狭殺プレーでアウトになった。
「だはは、殺られちまった！ でもまあ、作戦成功！」
その後、試合が終了するまで、歓声が止む事は無かった。
試合終了後、笹原が豪に聞いた。
「最後のやつ、どうやったんだ？」
その質問に、豪はわざわざバットを持って説明した。
「こう、ミートの瞬間にバットを引くんだわ。そうすれば打球は伸びんが、死にもせん。
まあ、見栄えは良いけど、プッシュバントと大差ねえんだわ」
「おまっ、じゃあプッシュバントのが全然簡単じゃねーか！」
「いや〜、でもウチはガンガン振ってくから、こっちのが合ってるかと思って」
長打力に加え、生野 豪というランナー生還タイプの選手の加入による得点力が強化された、
一皮剥けた郷土高校が快進撃を始めるのは、そう遠くないのかもしれない。
おしまい
←中編へ