春のある日
今日はいい陽気だ。
桜の花もここぞとばかりに咲き乱れている。
周りを見渡してもなにもかもが春の色に包まれている。
それなのに。
今日もニュースを見る。
「**小学校の1年生F君(7)の遺体が山奥で発見される」
まだ冬の時に流れていたニュースの続報だった。
そのときはFと言う少年が行方不明になるという最近ではありふれたものだった。
続きを見る。
「少年の遺体はバラバラにされており、頭部は特に損傷がひどく、鑑定も困難であった」
それ以上遺体の様子は発表されなかった。
私はその死体の様子が非常に気にかかった。
バラバラにされたと言うのはいくつぐらいのパーツに解体されたのか。
頭部はどの程度荒らされていたのか。
脳は? 眼球は? そのほかの器官は?
など、色々と気にはなった。
しかし、テレビは色々な人が見るのだ。そこまでニュースキャスターに言わせるのは良くないと誰でも思うだろう。
なので特に反感は無かった。
なんにせよ、また一人、人が死んだ。
今日のニュースではその記事を放送時間を変更してまで様々な専門家を迎えて議論している。
「この犯人は相当血に飢えていたと見られます」
「性的な犯行が目的だったのでは」
「こういう犯人のケースでは……」
その議論を見る度に思うことがある。
なんだか彼らの会話を聞いていると現実感が薄れるのだ。
専門家がいくらそれっぽい仮説を立てても仮説でしかないのだ。
犯人の心は犯人意外に知る事などできないのだから。
どんなに汚れていようとも、また、どんなに純粋でも。
その後付近の住民に対するインタビューも行われていた。
子持ちの主婦はこう言った。
「怖くて子どもを外に出せません」
例の小学校の教師はこう言った。
「わが校からこのような被害者が出たのは極めて遺憾です」
小学校に通う生徒はこう言った。
「怖い」
インタビューを終えると、司会者はこう言った。
「この犯人はいったい何を考えているんでしょうか」
今は警察から逃れる方法でも考えているんじゃないのか。
私は思った。
さらに、被害者の親族のインタビューも行われていた。
「犯人が目の前にいたならば、息子と同じような目にあわせてやりたいです」
涙ながらに訴えていた。
この人達は遺体を見たのだろうか。
恐らく警察に止められているんじゃないか。
インタビューを見てそんな考えがよぎった。
この人は同情を得ていたが、話を聞くと、
「息子と同じ目にあわせてやりたい」とか
「息子の痛みを思い知らせてやりたい」などと言ってる。
つまり、遠まわしに
「犯人をバラバラにして、頭部をぐちゃぐちゃにして殺してやりたい」
と言っているのだ。
それじゃああんたも犯人と同じ事をしようとしているってことじゃないか。
こういうのを連鎖反応って言うんだろうか。
そう思いながら話を聞いていた。
そんな調子で時間は過ぎていった。
ニュースは大体9時ごろまでやっていた。
特にやる事も無いのでずっとそのニュースを見ていた。
例の殺人事件のニュースが終わると、それまでの重苦しい雰囲気が嘘だったかのように明るい調子で
バラエティ情報だの天気予報だのトレンド情報だのと話題を変えて行く。
もはや先の殺人事件など忘れてしまっているかのようだ。
もしかしたら本当に忘れてしまっているのかもしれない。時間枠を変えてまで特集していたくせに。
そういえば殺人事件のニュースの中で少し気になる事がキャスターの口から漏らされていた。
「F君の遺体はほぼ全て集まりましたが、左腕だけが何故か見つからず、依然捜索が続いております」
いつもの私ならば特に気にも留めなかっただろう。
死体の体の一部を捜しても何の得にもならないからだ。
それに、いずれ捜索隊が見つけることだろう。
だが、その事がどうしても私の頭の中から離れなかった。
今まで私は自分の事を「私」と言ってきたが、本来の私は「私」とは言わずに「僕」と言う。
なので、これからは堅苦しい自分称はやめて「僕」と言わせてもらおう。
僕の歳は15。男だ。
それならば学校に行かないのかと思うかもしれないが、生憎春休みだ。
春なのだから。
兄弟はいない。
普通の親に育てられ、普通の生活をしてきた。
僕自身、その事は幸せであったし、不満も無い。
趣味も沢山ある。
漫画も読むし、ゲームもする。スポーツはやっていて楽しいし、音楽も良く聞く。
勉強は好きではないが、必要な時にはやる。
友達は多い方ではないが、親友と呼べる人間もいる。
それでも、人は個性と言うものを持つものだ。
僕は多少ではあったが、死体、それも、猟奇的な殺され方をされたものに興味を示した。
その事は人に隠すほどのものではなかったが、それでも、確かにあったのだ。
僕自身もそれはまずいことではないかと思うし、正義感もあった。
こんな殺し方をするなんて、犯人はとんでもない奴だ。
人としての倫理観さえあるのだろうかと疑うほどだ。
だが、その一方で、やはりその死体のことが気になるのだ。
それは今どんな状態なのか? どれぐらい分解された時に絶命したのか?
怖いもの見たさと言うものだろうか。
実際、あまりグロテスクなものを見ても、僕は嫌悪感や吐き気など感じなかった。
むしろ細部まで見てみたい、という思いに駆られるのだった。
それに根拠は無かった。
自分の中では体の中の物を見ているだけという気分だったのかもしれない。
それに、あまり見ることのできないものだから珍しく、もっと見てみたいと思うのかもしれない。
さらに言えば、こんな姿になっても人間であるのだ。
その姿を美しいと感じる事もあったかもしれない。
血液の色は時間が経てば黒っぽくなるが、血管から外に出た瞬間の色は確かに他のペンキなどの赤よりも鮮やかな気がする。
などと考えてみるが、やはりこんな考え方をする僕は何かおかしいのだろうか?
その答えは僕自身には知る術も無かった。
僕の話はこれくらいにしておこう。
とにかく、見つからない左腕のことが気になってしょうがなかった。
なぜこんなにも気になるのかは分からなかった。
僕の個性のせいかとも思ったが、あまりパーツに興味を示した事は無かった。
血を出し尽くして枯れてしまった腕など誰が見たいと思うだろう。
冬にいなくなって春に死体が見つかると言うのはそういうことだ。
言い忘れていたが、僕が興味を示す死体はまだ新しく、血液が残っているものだった。
ひょっとすると僕は血が好きなのかもしれない。
ヘマトフィリアというやつだろうか。
とにかく、そんな死体にしか興味は示さなかった。
今回気になったのはただ犯人の心理について。
だけ。
……のはずだった。
しかし、左腕の事が頭から離れない。
なぜだろう。
やがて僕は、一つ決心した。
左腕を捜してみよう。見つからないのならそれでもいい。
Fという少年への憐れみもあった。
若いのに可哀相だと若い僕も思ったワケだし。
気になるという事はそれに惹かれているということなのだ。
本来そこには好きも嫌いも関係ないのだ。
元をたどれば好きも嫌いも同じものなのだ。
とにかく左腕を捜す準備を早速始めた。
準備といっても大したものではない。
ただ着替えて、小さなかばんを持って、それに必要最低限のものを入れる。それだけだ。
ついでに携帯音楽プレーヤーも持った。
胸ポケットに入れておいた。ランダムに音楽が再生されるように設定してある。
死体が見つかったのは**山の山中らしい。
他のパーツもその山の至る所で発見された。
ならばその山をあたるのは当然だろう。
その山はそんなに高くない。
4〜500メートルくらいだろうか。
ただ、横に長い山で、計れば街の一つや二つすっぽり入りそうだった。
しかし、特に問題は無かった。
もう一つ言い忘れていたが、僕の趣味には散歩というものがあった。
なにも目的をもたずに歩くというのは何故か気持ちのいいものだった。
学校があるときでも、土日などに外をぶらついた。
歩く場所は基本的に自然の多い場所と決めていた。
川のほとりや、小さな森の中。
そして、山の中。
さあ、そろそろ出発しよう。
目的のある散歩に。
死体が見つかった山は、もう歩きつくして最近行ってなかったから
久しぶりにあの見晴らしのいい展望台が懐かしくなってたとこだ。
春のある日
END