番外編シリーズ3
GHOST(5)
〜零、無限〜
「大丈夫か?」
彼が私の頭に手を置く。
その手の暖かさが、凍りついていた私の体を溶かしてくれた。
呆ける皆を尻目に、彼が警察に連絡を入れる。すぐに来てくれるらしい。
情けないことに、私は立ち上がることができず、ずっと震えていた。
やがて、警察の人達がどかどかと踏み込んできた。
その頼もしい風貌は、私達にようやく安心感を与えてくれた。
男は気絶しているのだろうか、全く動かない。
「君達は指示に従って外へ! 怪我をした者はすぐに手当てを受けてください!」
張りのある声で警官の一人が言う。クラスメート達は、一言も話すことなくその声に従った。
普段は騒がしいクラスメート達も、精神的なショックが大きかったらしく、誰もが放心状態だった。
私も含めて。
ただ一人、彼だけが気を保って佇んでいた。
「君がやったのか?」
男の頭の怪我を指して、警官が彼に訊ねる。彼は凶器となった椅子を強く握ったままだった。
額に浮かんだ汗を拭いながら、彼が答える。
緊張が解けたのか、椅子が彼の手から滑り落ちる。
けたたましい音を立てて、それは床に転がった。
「すんません、状況が状況だったんで、手加減出来なくて……」
彼の目は、未だ男を捉えていた。彼も、冷静に見えてその実は無我夢中だったようだ。
「いや、まあいい。当たり所が良かったんだろう、それほど深い傷でもない。この程度なら正当防衛の範疇だろう」
彼の鍛え上げられた肉体でも、運良く人を殺める結果には繋がらなかったようだ。それを聞いて、少しほっとした。
「君、立てるか?」
その声が私に向けられているものだと気付くのに、少しの時間を要した。
顔を上げると、いかにも正義感の強そうな面構えの警官が私を見降ろしていた。
立ち上がって早々にこの場を去りたいのはやまやまだったが、体にまるで力が入らない。
それどころか、少しでも気を抜くと、腕の力まで抜けて倒れてしまいそうだ。
震える声でその旨を伝えると、警官が私を抱き上げてくれた。お姫様抱っこなんて初めてだ。
抱き上げられると、私はとうとう全身の力が抜けてしまった。残っているのは意識だけだ。
「代わります。俺が連れて行きますよ」
唐突にそんな声が聞こえた。
彼だった。いつの間にか教室にいる生徒は私と彼だけになっていた。
「そうかい? ありがとう、助かるよ」
警官もあっさりと承諾してしまった。
そのやり取りの後、私は急にひどく恥かしい気分になった。
このままいくと彼が私を抱き上げる事になるからだ。
背負われるのかもしれないが、この際どちらでも同じ事だ。
警官に抱き上げられた時には特に何も思わなかったのに。
そして、警官が私を一旦机の上に下ろそうとしたその時、事が起こった。
そこから先は、本当に一瞬の出来事だったらしく、何が起こったのかさえ分からなかった。
私の脳もフリーズしてしまったらしく、記憶も曖昧になっている。
記憶の続きが始まったのは、やはり教室の中だったが、まるで状況が変わっていた。
私が最初に見たのは、ひたすら謝っている彼と、それに対してひたすら怒鳴っている警官の姿だった。
教室の隅には、砕けたナイフの刃が散らばっていた。
そして私の目の前では、さっきまで気絶していた筈の男が数人の警官に抑え込まれていた。
後から聞いた話によると、男は気絶したフリをしていたようで、隙を見て突然暴れ出したらしい。
そのまま落ちていたナイフを掴んで私達に向かって突進して来たのだ。
背を向けていたにも関わらず、それにいち早く気付いた彼が、警察の制止を無視して男と対峙した。
その時、あろうことか彼は、恐るべき速さで警官から銃を「スッて」いたと言う。
彼が銃を構える動作は見えなかったらしい。
つまり、安全装置を外して、狙いを定めて、引き金を引く。これらの動作が一切見えなかったと言うのだ。
そんな馬鹿な、とも思ったが、誰もが真面目な顔をして話すので、信じざるを得なかった。
乾いた何かが破裂したような音が耳を打った事は覚えている。
いや、音がその後も耳に響いていたから、その音があった事を知っているだけなのかもしれない。
一切の障害が無ければ、彼の腹部に深々と突き刺さっていたであろうナイフの刃は、粉々に砕け散り、
その衝撃で男の手元から弾け飛んだ。
そしてその後の事だが、はっきりと覚えていることが二つある。
ナイフの破片が飛び散ったその先に、アレがいた事。それと、撃った直後の彼の目。
どこに行っても私に警告してくる訳がようやく分かった。
アレは、彼の事を危険視していた。
男は何かのクスリをやっていた。そのクスリの効果か何かで錯乱状態に陥り、乱入事件に至ったようだ。
「全く、人に当たらなかったから良かったものの、一つ間違えれば大変な事になっていたんだぞ!」
銃をスられた警官が、彼に物凄い形相で怒鳴っている。
「スイマセン! ゴメンナサイ!」
彼はひたすら謝っていた。周りから見ると変な光景だろう。
学校で最も恐れられているヤンキーがひたすら平謝りを続けているのだから。
「君、名前は?」
警官に名前を訊ねられると、申し訳なさそうな顔をして彼が答えた。
「しょ、照倶 霧玄と申します…………」
妙な口調になっている。
「ムゲン君、今回は大事にならなかったから良いけど、今後一切、こんな事は無いようにね!」
それだけ言って、警官は去って行った。どうやら今回は活躍に免じて許してくれるらしい。
「ムゲンって言うんだ」
帰り道、彼の背中で呟く。そういえば名前はこの時に初めて知ったのだった。
彼は、親切にも私を家まで送ってくれると言った。
それはつまり、男の人におんぶされたままお父さんと会う事になる訳で……。
「あ? あー、そういえば言ってなかったっけか」
「ムゲン……ムゲンか……」
「なんだよ、そう何回も名前呼ばれると恥ずかしいっての」
繰り返している内に、ある事に思い至った。
少しだけ言うのが躊躇われたが、勢いに任せて口にしてみた。
「私ね、麗って言うの。言ってなかったよね、確か」
「レイ?」
「うん。でね、思ったんだけど、さ」
彼はよく分っていないらしい。私だってくだらない事だとは思っている。
「れいはゼロでしょ、むげんは無限でしょ。……ね、私達、何か凄くない?」
しばらく考えた後、彼も理解できたらしい。大声を上げて笑いだした。
「うははは、くだらねー!」
私も、言ってて自分でおかしくなり、笑いだしてしまった。
「ねー! 私達、無敵だねー!」
「意味わかんねーっ!」
私達二人の笑い声が収まるのには、かなりの時間がかかった。
あんなにも怖い目に遭ったのに、もう忘れてしまったかのように笑い続けた。
「でーもー、警官の銃スッて撃っちゃうのはちょーっとやり過ぎじゃないのー!」
そう言って、無警戒なのをいいことに、彼の首を力一杯締め上げた。
「や……やめ……首が…………!」
彼は必死で振りほどこうとするが、私はなかなか力を緩めなかった。
胸も当たってる事に気付けー!
その後、家に着くと同時に霧玄はお父さんに思い切り殴られてしまった。
私の過去と、彼との出会いを語るのはここまでにしておこう。でも、私達の人生はまだまだ続く。続いている。
私と霧玄の出会いから六年後、崩壊した世界を生き残った私達は、やがて不思議な運命を辿る。
その更に十数年後、私達は仲間と出会う事になる。
「やほー、杏ちゃんで遊びに来たよ!」
「何訳の分らん事を言ってるんスか、麗さん」
クロちゃんが怪訝な顔をする。そんな事はお構いなしに彼らの家に上がりこむ。
いつから私はこんなにも明るく振舞えるようになったんだろう。
毎日がこんなにも楽しい。
「麗さん……何ですかそれぇ……」
杏ちゃんの声はとても可愛らしい。ついいじめたくなってしまう。
私は目つきや顔立ちが猫に似ていると言われるが、この娘は仕草が妙にそれっぽいところがある。
「大丈夫、怖いのは最初だけよっ」
そうそう、昔からどうしても変わらないものが一つだけ。
「能力」とは違う、私だけの不思議な力。
「あの……何やったんスか、麗さん……」
ぐったりしている杏ちゃんを抱き寄せて、クロちゃんが私に詰め寄る。顔を真っ赤にしちゃって、可愛い。
と、出てきた。どうしたもんかな、こんな時に。
「イイ事♪ それよりさ、たまには皆でどっか遊びに行かない?」
霧玄はクロちゃんに出されたお茶を啜っている。なんて締まりのない顔だろう。
「何すか、いきなり……」
結局、今でも正体は分からないままだ。だけど、それで良いと私は思う。
「お告げがあるのさ、私には」
そう言って、私は皆と一緒に、外へと飛び出した。
番外3−5 END
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