第一話:博麗霊夢〜Slight mistake〜





 幻想郷。
 巨大な結界に包まれた、人間を主とする外の世界≠ゥら隔絶された、小さな世界だ。
 自然の豊かなこの地では、妖怪などの人外と人間が、 お互いに干渉したりしなかったりと不思議なバランスを保って暮らす。

 博麗神社は、この幻想郷の東端に位置していた。 実際には幻想郷と外の世界との境目に存在しており、厳密に言うとこの場所は幻想郷ではないのだが。
 正面に参拝道、その先に鳥居を据えた木造の建物に、境内、本坪鈴に賽銭箱と、 基本的な造形は一般的な神社のそれそのものである。
 それなりな高台にあるため、ここから幻想郷全体を一望することもでき、景色も良い。
 春には桜が最も綺麗な場所とも言われていて、花見をするにも適していると言えよう。

 だが、この神社には参拝客がめったに来ない。 正確に言えば、人間の℃Q拝客が皆無なのだ。
 原因は多々あるが、その一つとして、この神社の巫女、博麗霊夢が挙げられる。

「そうそう毎日、事件や異変がある訳がないじゃないの」
「別に毎日何かが起こるから来ている訳ではありません。 むしろ、何か起こった時に真っ先に駆けつけられる≠なたがいるから、来ているんです」

 霊夢と問答している少女の名は、射命丸文。
 山伏の装束をアレンジした衣服で身を包んでいる。
 三度扇げば旅人のマントをも吹き飛ばすと言われる団扇と、 風景を一枚の絵に切り取ってしまう写真機、 そして記事になりそうなこと≠纏める文花帖を携える彼女は鴉天狗=B妖怪だ。
 彼女は新聞記者としてあることないことを、ないこと七割ぐらいの記事にしてばら撒くことを生業にしている。
 現在は、ネタ集めのためにちょくちょく神社を訪れることが多い。 ネタ集めの標的は、何を隠そう霊夢なのだ。

「あんまり妖怪に視界をうろちょろされるのは目障りだわ。 仕事≠急かされているようで」

 そう言いながら攻撃用のお札をちらつかせる少女、博麗霊夢は、その姓の通り博麗の巫女である。
 巫女装束を身に纏う、大きなリボンを付けた黒髪の少女は、 外界と幻想郷を隔絶する『博麗大結界』の管理を任された、重要な立場の人間だ。
 その割に彼女は人一倍に暢気で、普段から危機感の無い生活を送っている。
 幻想郷を巻き込む異変解決の専門家でもあり、ひいては妖怪退治も彼女の仕事なのだが、 人妖分け隔てなく適当にあしらう性格がかえって強力な妖怪を惹きつけてしまうらしく、 それを理由に神社には強力な妖怪が集まりやすい。 ただ面白がって来る者もいるが。
 結果として、妖怪を怖れる人間は神社に近寄らなくなり、賽銭箱もまともに機能しない状態が続いているのだった。

「あやや、物事を客観的な目で捉える私が当事者になるのは、いけませんね」
「あら、あんたのばら撒く新聞紙には、客観的に見た物事が書いてあったの?」

 遠慮の無い皮肉を込めつつ、飛び去る鴉天狗を見送る。
 『妖怪は問答無用で退治する』というのが霊夢の仕事に対する心構えだが、今は勤労時間外だ。

 パパラッチも追い払い、落ち着いた所でお茶でも飲もうかと縁側に腰を下ろした霊夢だったが、 

「おーい、霊夢ー!」

 文と入れ違いに、霊夢にかけられる声があった。

 長い金髪の上に被さった黒いとんがり帽子に、黒白のいかにもといった衣装。
 魔力の影響を受けたのか、奇妙な成長を見せる箒にまたがり、空を飛ぶ魔法使い、霧雨魔理沙だ。
 彼女は神社を訪れる数少ない人間ではあるが、参拝客ではない。賽銭を入れることもない。

 霊夢の昔馴染みであり、こうして時々神社に現れては、茶を飲みながら世間話をしたり、 依頼された異変解決を勝手に引き受けたりしている。
 今日も何か適当な話題を携え、お茶菓子をたかりに来たのだろうと霊夢は考えたのだが、 目の前に現れた影は、そんな予想を半分ほど♀Oす。

「何よ、それ。自転車って奴?」
「いやー、大変だったぜ。こんなでかい物を運ぶのは」

 魔理沙は、箒に真っ赤な自転車を紐で吊るして飛んでいた。
 『自転車』という名称は、魔法の森の近くに構える『香霖堂』の店主から聞いた名だ。
 自転車自体はそう珍しいものではない。 外界と幻想郷の境目である神社には、外界のものが流れ着くことも多く、自転車も例外ではなかったのだ。
 とはいえ、これほど完全な形を保ったままの自転車は、霊夢も見るのは初めてだった。

「魔法の森で偶然見かけたんだ。上手くすれば、使えるかもと思ってな」

 がしゃりと金属的な音を立てて自転車が地面に下ろされる。
 細い車体が倒れないように、幅のあるスタンドも付いているようだ。

「ふうん、確か乗り物だった筈よね。ここに座るのかしら? ……この変な棒、邪魔ねぇ」

 霊夢が、興味本位で自転車にまたがってみる。
 車輪と車輪の間に、座るのに丁度良い小さな椅子が付いているのだ。

「あ、おい、お前は自力で空を飛べるだろう。 乗り物ってのは私みたいな魔法使いが乗ってこそ真価を発揮するんだよ。箒しかり、絨毯しかり」

 不満を漏らす魔理沙は、自転車が乗り物であるという情報から、空を飛ぶための物だと信じて疑わないようだ。
 しかし、霊夢には、とてもこれが空を飛ぶための物だとは思えなかった。
 理由は簡単で、車輪が付いているからだ。

「土の上を転がる為の車輪が付いてて、どうしてわざわざ空を飛ばなきゃいけないのよ。 浮かせたいのなら、余計な部品は外すべきだわ。その方が軽いもの」
「分かってないな、霊夢。一見無駄に見える装飾が、実は魔法の核を担っているなんてよくある事じゃないか。 ちょっと足、どけてみな……ほら、見てみろよ」

 霊夢の言葉にも耳を貸さず、魔理沙は部品の一部――霊夢が「変な棒」と言ったそれを回転させ始めた。
 すると、チェーンで連結させられた後部の車輪も、同様に回り始める。

「……それが何なのよ」

 ちりちりと音を立てながら回転するそれをしばらく眺めていた霊夢だったが、特に意味を見出せず、尋ねる。
 魔理沙は得意気な表情で答えた。

「外界では、きっとこの回転が何らかの儀式の役割を果たしている筈だぜ。なんでも、 回転というものには無限のエネルギーを生み出すパワーがあるとか何とかって話だ」

 出所の怪しい情報だが、回転というものの解釈については霊夢も異論は無い。
 回転とは循環。循環とは永遠という『完全』を作る為の装置でもある。
 だが、やはりどうしても魔理沙の予測が当たっているとは考えにくい。

「だったら、こっちの車輪は何のために付いているのよ。大体、どうして籠なんか……」

 と、前方の車輪を観察するため、軽く前向きに体重をかけてみたところ、自転車に異変が起こった。
 自転車を支えていたスタンドが、ギシギシと音を立てて動いたのだ。 錆び付いていて確認していなかったが、この部分も可動式らしい。
 スタンドは地面と平行に構える形へと跳ね上がり、それによって後部の車輪も地面に降りた。
 そのせいで、先程まで軽快に回転していた部品も、その動きを止めてしまう。

「……随分小規模な変形だな」
「何か意味があるんでしょう? 無駄に見えても」

 結局、自転車は魔理沙が考えていたような代物ではなく、もっと単純なものらしい。
 スタンドが外れたせいで、車体は安定感を失くし、霊夢がまたがって支えることでなんとか立っている状態だ。
 それに、体重を前や後ろにかけてみれば、車輪が転がり、勝手に進んでしまう。 やはり、地上を基本にした移動の道具と考えるのが妥当だろう。

「うーん、外の世界では何だってわざわざこんな道具で移動するんだ? 歩けば良いじゃないか」

 魔理沙の言うことも、もっともだ。
 こんなにもバランスの悪い乗り物でよちよちと移動することに、何の意味があるのだろう。
 それに、やはり回転する棒が邪魔で歩きにくい。

「いっそ、その棒に足を乗っけてみたらどうだ?」
「それこそ、飛ばなきゃ立っていられないじゃない」

 気が付けば、霊夢も自転車の利用法に頭を悩ませていた。
 彼女らの日常とは、得てしてそういうものだ。







第一話 END










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