201X年3月5日
かつて、とある目的の為の学生寮があった場所に、自然と集った者がいた。
かつて、その学生寮に住んでいた者だった。
「あれ? 桐条先輩じゃないですか」
「岳羽か。それにアイギス、随分、久し振りだな。まさかこんな所で会うなんてな」
「お久し振りです、美鶴さん。なんだか、今日はどうしてもここの事を思い出してしまって……」
アイギスがかつての学生寮の方に目を向ける。戦いの記憶、仲間の記憶、そして、大事な人の記憶。何もかもが詰まった場所は、既に閉鎖されて入ることはできない。それでも、今日という日には、何故かここを訪れる事が何よりも優先された。
言葉にしなくても、それはアイギス以外の二人にとっても同じことだった。
僅かな沈黙。それを打ち破ったのは、陽気な男声だった。
「あっれー? アイちゃん! ゆかりッチ! それに桐条先輩じゃないッスかーっ!」
名前を呼ばれた三人が三人とも表情を驚き一色で固めた。
相変わらず、トレードマークのキャップを被り、顎には髭を生やしている。
彼もまた、かつて彼女らと共に戦った仲間。伊織順平だ。
それだけではない。背後にもまた、よく見知った顔が並んでいる。
片方は、端正な顔立ちに、一目で鍛えていると分かる体つきで、額に絆創膏を貼った男。両手に薄手の手袋を着けている。
もう片方は、色白で線の細い女性。しかし、弱々しい印象は無く、どちらかと言えば、包み込んでくれるような優しさを含んでいる。
それ程時間は経っていない筈なのに、ひどく懐かしく感じる面々との思わぬ再会に、アイギスが声を上げる。
「真田さん、それに、風花さんも!」
「あらら……おれッチはスルーな訳……?」
「駅で偶然二人と会ってな。目的地が同じだったから一緒に来たんだが……まさか、お前達までいるとは思わなかったよ」
「ふふっ、なんとなく、皆いるような気はしてたんだ。お久し振りです、皆さん」
待ち合わせをしていた訳でもなく、約束をしていた訳でもない。
それなのに、示し合わせたようにかつての仲間達が集まって来る。
この「偶然」に、全員が先の展開を予測する。
やがて、必然とでも言いたげに、次の「偶然」は起こった。
「待てよコロマルーッ! 何をそんなに急いでるんだよ!」
犬の鳴き声と同時に、そんな少年の叫び声が聞こえる。
しかし、数年前と比べて、いささか低くなったように思えた。
程なく、角から一匹の真っ白な犬が飛び出してきた。
力強い鳴き声を上げるその犬の名はコロマル。学生寮で飼われていた雄の犬だが、彼もまた、戦いに身を投じた一匹である。
利発そうな顔立ちに、赤い眼がよく映える。
皆の姿を認めるなり、嬉しそうに尻尾を振りながら駆け寄って来る。
皆も、歓迎するようにコロマルを撫でるなり声をかけるなり、親愛の情を注いだ。
そして、少し遅れて「彼」が姿を現した。
「もー、コロマル、懐かしい所に来たから嬉しかったのか……って……」
皆の姿を見るなり息を詰まらせた少年は、天田乾。当時は初等科にもかかわらず、高校生に混ざって生活し、共に戦った仲間だ。
「ようっ、天田少年! 背ぇ、随分伸びたんじゃねーの?」
からかうように順平が言う。天田は未だに状況が理解できていない様子だ。
やがて我に返ると、天田は、驚きと言うよりも、憤慨したような声を上げる。
「み、皆さん、僕に黙って同窓会でもしてたんですか!?」
その反応に、「偶然集まっただけ」の面々は一斉に笑い声を上げた。
何がなにやら分からない様子の天田に、風花が状況を説明する。
「違うの、天田君。私達、本当に偶然ここに集まったんだよ」
「ほ、本当ですか? それなら良いですけど……でも、そんな偶然って、ありますかね?」
天田がもっともな疑問を口にする。
しかし、ゆかりは当然といった風に答える。
その声には、幾分か寂しさのようなものも混じりながら。
「あるでしょ、そりゃ。だって、今日は特別な日だから……」
「うん。特別な日、であります」
アイギスが妙な口調で同調する。
誰も何も言わなかった。誰もが、同じ人間の事を脳裏に浮かべていた。
かつて、彼らと共に戦い、生物には避けられない「死」そのものと対峙し、それを退け、封印することに成功した、奇跡のような存在。
代償に、自らが封印となり、「死」に人の無意識下にある滅びへの願いを触れさせないように守り続けることとなった、一人の少年。
寂寥とした空気が流れる。
当然と言えば当然のことだった。
彼は此処にはいない。
そんな少し重たい空気を転じようと、順平が強引に話題を変える。
こういう時、彼の空元気は武器になる。
「あ、あーっ、そうだ! 折角こうやって揃った訳だし、皆でカラオケでも行きますか!
何なら、いっそのことちょっとした旅行に……とか何とか言っちゃったりしてー!」
順平の心遣いが伝わったのか、他の面々も合わせるように表情を緩める。
「旅行か……悪くないな。ここの所忙しかったし、良い気分転換になるかもしれない」
美鶴が呟くように、一人で頷いている。
「美鶴さんが乗り気のようです。私も、その……行きたい……な」
アイギスが、そんな彼女の様子をわざわざ報告し、後に私情をぼそっと挟む。
「良いですね! 修学旅行の時は僕とコロマルだけ置いてけぼりだったし、一度皆さんと旅行してみたいって思ってたんです」
天田も乗り気のようだ。
コロマルも、同意するように鳴き声を上げる。
「あ、あれ? ノリで言ってみたけど、皆行く気満々? やっぱり俺って、空気の読めるナイスガイ?」
「調子に乗らないの! ……でも、良いかもね、旅行。こうして再会したのも何かの縁だし、久々に皆と一緒に寝起きするのも楽しいかも」
「あ、それなら私、旅行先とか調べてみようかな」
次第に、順平の軽口が現実のものになっていく。
「おっしゃーっ、それなら早速段取り考えようぜ! 今すぐってのは無理だけど、皆で予定合わせてさあ!」
皆がそれぞれの予定を調べ、どうにか全員が空いてそうな日取りを探してみると、案外それは近くにあった。
「三月二十日から二十一日にかけて……この辺なら、なんとかなりそうだな」
美鶴が意見を纏める。ここはやはり年長者がまとめ役に向いているようだ。
「二週間後ぐらいですね。うわ、早く予約しなくちゃ、間に合わないですよ!」
思いの外早々に訪れる予定日に、天田が慌てたように言う。
「のんびり探してる時間は無いかもね……でも、それでハズレを引くのも……」
風花は困ったように考え込んでいる。
そこへ、ゆかりが思い出したとばかりに声を張る。
「そうだ! そう言えば高校の頃、運動部の子達が合宿で行った所が凄く良かったって話してるの、聞いたことあるよ!」
ゆかりは高校時代、弓道部に入っていた。その影響か、他の運動部の女子とも交流があったようだ。
「ああ、それなら俺も後輩から聞いたことがある。どこかの田舎町だと聞いたが――何という所だったか」
真田も同じく、ボクシング部に所属していたため、小耳に挟んだことぐらいはあるようだった。
「ええと――何て名前だっけ……確か、やそ……うーん……」
「一時、ニュースでも良く見たんだが……確か、殺人事件がどうとか、霧がどうとか……」
噂程度の情報、しかも過去の記憶と照らし合わせているのだから、思い出すことは容易ではないようだ。
真田もゆかりも、ある程度は思い出せるようだが、どうしてもあと一歩が足りない。
その思い出せそうで思い出せない気持ち悪さを解消したのは、意外にも帰宅部の順平だった。
「もしかして、八十稲羽ってとこか?」
「そう、それ! それそれ! なんで分かったの!?」
ゆかりも、順平がそんな田舎町を知っていることに驚いたようだ。
しかし、順平はむしろ知ってて当然と言った顔で胸を張って見せる。
「真田先輩が霧って言ったろー? それでおれッチ、ピンと来ちゃった訳よ。その時期って、あの『りせちー』が休業してた頃じゃんか」
「りせちー? あ、そういえばあったね、そんなこと。でもそれが……ああ!」
風花も気が付いたようだ。
「そう! あのりせちーの出身地ってこと! ファンなら知ってて当然の常識ですよコレ!」
「あんた好きだもんねーそういうの。あ、待って待って、だんだん思い出してきた。確か、泊まったっていう旅館が……そう、天城屋旅館!」
引きずられるように、ゆかりの記憶が戻っていく。
「結構な老舗で、温泉もついてるらしいよ」
「マジで? これはもう決まりですなー! のんびりした田舎の新鮮な空気を味わいながら温泉! ヤベェ、最高じゃんか!」
「そんなこと言って、順平は女風呂覗こうって魂胆じゃないのー?」
「ふふふ、チドリちゃんに報告しないとね」
「だーッ! ここでチドリを出すのは反則だーッ! つーか、この清廉潔白かつエレガントな紳士、伊織順平サマが覗きを働くなんて思われちゃあ心外ですよ!」
「順平……お前って奴は……」
何やら真田が神妙な面持ちで順平を見ている。睨みつけているようにも見える。
「しかし、他に良い案もなさそうだ。
それに、八十稲羽と言えば、あの八十神高校のある町じゃないか。少し興味があるな。
山岸、時間があれば調べておいてくれないか?」
「はい。あ、でも、コロちゃんも泊まれるのかな……それも含めて、調べてみますね」
風花が目をやると、コロマルもすっかり旅行に行く気満々のようだ。
「よっしゃー! そうと決まれば早速準備だーっ! もしかしたら帰省中のりせちーとバッタリ……なんてこともあるかも!?」
順平は興奮が抑えきれない様子で何やらぶつぶつと呟いている。
呟いているとは言っても、周囲には丸聞こえなのだが。
「はぁ……バカじゃないの?」
ゆかりが呆れたように言う。
「と言うか、バカですね、順平さん」
アイギスも同様に順平に言う。
「な、何か懐かしいけどあまり嬉しくないノリ……」
順平がガックリと肩を落とすと、皆の笑い声が重なり合い、和やかな空気が訪れた。
「それじゃあ、予約が取れたら連絡しますね」
「ああ、よろしく頼む」
「楽しみにしてるからねー」
「移動手段の確保は任せてください」
「あ、僕の携帯番号伝えておかないと」
「ワフッ」
「自然を利用したトレーニングにも期待できるな」
「うおーし、待ってろ八十稲羽ぁーっ!」
七人と一匹の、忘れられない旅行は、こうしたちょっとしたきっかけから始まったのだった。